受験、というか親からの束縛とその告白

ただのへそ曲がりな自分の、過去の少年らしい親への反抗をここで昇華させて頂きたい。

昔から、自分はそれなりに勉強ができた。
別に好きでもなかったけど、それなりに世界の事柄に対して関心はあったから、学校の授業くらいはぼちぼちしっかり聞いていた。田舎の公立中学校で5本指に入るくらいだったと記憶している。
今思ってもろくでもない教師がたくさんいた。自分は小学生の頃に教師に無情な嘘をつかれてハメられかけた経験があり、それ以後教師に対しては常に大きな猜疑心と嫌悪感を持って接していたと思う。
火遊びしただの路上に落ちたシケモク吸っただの学校にエロ本持って行っただのがバレただので、よく学校から呼び出しがあり、親と頭を下げに行ったことが何回かある、当時の自分自身もかなり世の中を舐めたクソガキだった。

高校は地元では1番のところに入学した。内申点はボロカスだったけど、ギリギリ合格した。
高校では友達が全くできなかった。田舎の特有の閉塞感が漂う、変なやつは村八分にされ、所謂陽キャという人間たちと教師が統治する社会だった。
迎合して安寧の高校生活を享受すれば良かったのだが、当時の自分は、それをするにはあまりに子供すぎた。
高校ですることは勉強と読書だった。部活も陸上部に所属していたが、1年の一学期以降顔は出さず、授業もよくサボって図書室で本を読んだり、数学の問題を解いていた。
数学は当時の自分にとって格好の暇つぶしだった。家に帰ればゲームやアニメがあったが、親に叱られるので、学校には行かなければいけないからだ。

変に勉強したせいで、成績も良く、親、とりわけ父親には高校二年生の三学期くらいから受験に対して過度に期待された。自分はとりわけ良い大学に行きたいという気持ちとか勉強したいこともなかったが、重苦しい親の重圧、期待に逆らえずに勉強は続けた。

大学は東京の私立の大学を1校はセンター利用、もう1校を一般受験、また国公立大学も東京の国立大を受けた。

私立大学の一般受験を受けに行った日、自分の人生が180度変わったと思う。
受験校が新宿から近かったことがあり、西武新宿駅付近の大きなホテルに、同じ大学を受ける中学の友達と2人で泊まった。彼も自堕落なやつだが、昔からの親友で、小中に親で呼ばれた時は大体彼の親もそこには一緒にいた。
夜、俺たちはホテルから出てすぐの歌舞伎町に遊びに出かけた。田舎の高校生2人にはそれはかなり目に毒だった。
歌舞伎町一番街のアーチをくぐると、煌々と光るネオン街が、LSDでも食べた時のように、それらは俺たち2人を釘付けにした。一つ一つの電灯は鮮烈な色彩を放ち、まるで生きた女のように俺たちを誘惑した。俺たちの精神が世界を空間的範疇以上のものとして認識した。
街を歩けば、キャッチのおっさんに お兄さん、おっぱい!!ギャンブルもあるよ!! だのと田舎の街では考えられないような言葉を度々投げかけられ、ビルにはピンク色に光る風俗店の看板が光り、完全な別世界に入ったように思えた。
その世界は性欲、金、酒にまみれていた。
俺たち2人は、生まれて初めてこの街で酒を飲んだ。
今でも鮮明に覚えている。奥のホテル街にある、戸口には暖簾がかかった居酒屋だった。
周りにはキャバ嬢やホストと思われる夜の世界の人達が座っていた。俺たちは完全にその世界に対しては異邦人で、彼らのようなこの世界の住人は、当時でこそ俺たちの心を憧れと尊敬で満たすには十分すぎるほどだった。

俺たちは朝まで酒を飲み倒して、後日の受験はバックれた。その日、センター利用で受けた私立大学の合格発表があり、合格の文字を見て、前日の刺激に興奮冷めやらぬ胸を安堵で撫で下ろした。これで東京で大学生活を送ることは決まった、俺はこの街で仕事をすると意気込んだ。

国立大学受験の時も、俺は同じことをした。年齢を偽って風俗店に行ったのを覚えている。
勿論、その国立大学の受験もバックれた。その時自分はこの街で後世を歩むことを再度決め決意を固くした。今思うと、とても哀れで愚鈍な決意だ。

親の期待に背きたい反抗心と、煌びやかな街が生んだ反逆行為は、親にも話せずに今に至っている。墓場まで持っていくつもりだが、自分は今も、親には適度な愛と援助を受けているから、懺悔のつもりでここに告白し、昇華させていただくことにした。
ばいび

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