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非凡な人間が自由を欲して

何に対してもある程度のパフォーマンスを示せる人がいる。全くの自慢では無いのだが、自分自身がそうだと思う。基本的に何をするにしても人並みより少し上くらいの成績が出せる。しかし、それを仕事として食べていけるような、そういう天才型の人間ではない。

別の話をさせてもらう。この現代社会で生きるということはある程度不自由というものを避けては生きられないと思う。働くということは、それだけその仕事に対して自分の身体が拘束され、営業だとか、エンジニアだとか、そういう仕事内容について考える時間も必要になるわけで、そういう意味では精神すらも拘束されると思う。
私は昔から、精神への拘束に対して、過剰な反発を示す癖がある。学校などで、道徳の授業などを通して、先生からの倫理的な教育を受けると、それに対して懐疑的になるめんどくさい学生だった。人が個人個人で自由に何かに対して思考するということを束縛するのは、(それが束縛されていることに気づかなければ問題ないが)そこに不快感を感じるのは私は当たり前だと思う。
人間は常に考え、思うことができる、人間は機械では無いのだ。

そういう面で、私は社会に出て働く、機械になる、歯車になるのがとても悩ましい。

私が思う、最も"自由"な職業は芸術方面の仕事だと思う。
デッドラインさえ守れば、ある程度の精神的、身体的な自由は担保され、それは全て"その人らしさ"として評価される。こういう理由で私は昔から漠然と何か芸術関係の仕事に就くことに理想を抱いていた。

しかし、私は読書感想文や高校の頃の部活で小説を書いた時など、ある程度の評価をされたが、一番になることはできなかった。自分の物書きとしての才能のなさは小学生の頃から痛いほど感じてきた。

今、私は大学生をしていてバイトなどを通して、ある程度社会の中で生きるということに体を慣らしてきたように思うが、そういうことに慣れてしまってる自分を悲しく思う時もある。本来の自由な自分がどんどんに切り取られていってしまうように感じるのだ。

当然なことではあるが、自由に生きるということは、自分の自由さを表現することに対してある程度の才能が必要なのだと思う。

不自由な自分を受け入れて社会に溶け込むか、なんとか自由を求めてアクションを起こすか、高校生のようなそういう未来への悩みに21歳になった私はまだ薄暗い壁の中で閉じ込められている。

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