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上野、桜見てきました。

上野メモ

偶然、持ち合わせたタバコは、韓国で買ったタバコだった。タバコのパッケージの写真でバッド入ると思ったが、グロ画像はそれ以上の意味を持たなかった。時の止まった静止画であり続けた。通常、グロ画像は常に詩的である。より広がった想像の世界を生む。この写真には劇がない。血みどろで乾いた汗と精液の臭いがした悲劇がない。こんなモノに喫煙を止めるような抗力があってたまるか。肺炎で誰にも看取られずに死んだ俺のおじの写真でも貼っとけ。
喫茶店の窓辺から喧騒の街並みを見渡す。人一人に銘々のドラマ、素人芝居にしたって出来すぎてる。みんな自分という役の役割もわからずに演じきってんだ。そりゃこんなつまらねえ劇になるさ。無機物への憧憬。それがそれであること以上の意味を必要とされないことへの憧憬。何かを求められ続けることへの嫌悪。
海に、自然に、何も求めない。世界をそのままに、幼児に対するものと同じように、求めることなく観察することへの美しさ。それ自体が発する根源的な美、いたるところに散らばめられた蓋然性への許し。同時に、世界(社会だとかの構造を抜いた自然としての)は俺に何も求めない。俺が俺であり続けることを許してくれる。
胸が早鐘を打つ。煙がいつもより彫塑的に揺らめいてる気がする。後ろを向かなくても背後の光景がありありと見える。店内を掃過する歌謡曲が賛美歌となって世界中にこだまする。昔、あの日友人の家でもらった烏龍茶の匂いがする。四方八方、匂い、音、全てが自分の精神に包含されていく。
目に入るもの全てが詩を唄ってる。雲雀のさえずりさながら。そのものに心算のない。雲雀の鳴き声は甲高くとも奔放であり行き違いが許される。春の豊かさはそれを許容する。美空ひばりの語源はきっとこれかな。甲高さ、本来耳障りなものを許容し愛でること。
それが存在するだけで肯定されること。そのための美の追求。そのためにキメる時はいつも化粧してんだって。紙を食って神を拾う。その姿勢が祈りに昇華されるために。
桜よりも開けた空の方が綺麗。空には自由がある。桜は散りゆく運命にしかない。身近なものを忘れちまってんだ。人間に対する厭わしさ。だけどこの桜も、不忍池の蓮も、守ってきたのは人間。少なくとも、それらを愛でようとする意識、たとい消費されるものとなったとしても、保全してきたのは人間。
散りゆく運命にしかない桜が自由を謳歌する空に、儚げに微笑んだ。
桜のもつ自由への憧憬を鮮明に感じた。白みがかった花は空によく馴染む。
人工物の実直さ。それがそれであるために、真っ直ぐ。桜の真っ直ぐに曲がる様。真っ直ぐだけど曲がってんだって!
鑑賞するものをそれ自体ではなく消費してる人間ホント気持ち悪いな。
文化の保全。大衆の文化資本。その桜の前にお前が写ってたって何になるんだ。不調和。間の悪さ。
桜に対する独占欲。他人に消費されるなら俺の女になれってんだ。浮気への寛容さが欲しい。桜という、空があってこそ美しい、夜だからこそ儚い、薄命。それ自体で輝けない切なさ。今しがた入籍しますた。桜には自由がない!だけどその自由のなさがまた同情を誘うんだ。散りゆく姿だけは自由で無目的だから美しいんだ!
俺たちだってそうだ!他人の目的でこの世に生を受けたんだから、伸び方に自由は無いかもしれない、けどどう散るかは無目的でいいんだ!死にてえ〜〜
桜と一緒に、中指と親指立てて脳天ぶち抜かれてえ〜桜と死にてえ〜
桜が散りゆく時に孤独なのが悲しい!一緒に散りてえ〜しかもその散り方がこうやって美として許容されるのって最高だな!桜にメンヘラこじつけんな俺!桜はみんなに愛されるのが仕事なんだ!その生彩はみんなのものだ!
グローバリズムが謳われる昨今で日本固有の文化を軽視して何になるんだってんだ!資本主義に囚われ文化資本の重要性を失うなんて倒錯だ、、、
1世紀も前になれば、写真なんてハイカラなもんはなかったってんだ、、、じゃあその桜の綺麗さをお前らは写真がなければ絵にしたのか!?言葉にしたのか!?桜の風姿に感銘を受けて一緒に写真を撮るやつがそんな上等なもんなわけねえだろ!

スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレの預けり知らないところだ。岡潔
スミレの無目的さ。外側からではなく内側から自分を規定する。でも桜にはそんなふてぶてしさもねえんだ、、
詩人になるなら死んでやる。ヘルマンヘッセ
芸術に生きる人間の内的自由。自然を嗜み、それを言語に打ち出すことで食ってけるなら最高だねーっ!

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