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【Footwork & Network vol.23】 ”団欒” が語るもの

 「また行きたいな。」と思う場所ってありますか。私はたとえその場にいなくても、誰かの息遣いを感じたり、何か新しいことが起きる予感に満ちている場所に惹かれます。そんな場所をつくる香川県の料理人、浪越弘行さんを紹介します。

ふらっと現れた浪越弘行さん

 7月5日。 投げ銭スタイルの不思議な食堂 "鬼丸食堂" のお手伝いで、香川県の三豊市に行った時のことです。初めての場所での開催だったので、店を開ける準備をしながら、お客さんは来てくれるのだろうか。という不安もあるなか、一番に来てくれたのが、 "団欒料理人" の浪越弘行さんです。浪越さんは自身が作る塩を私たちにプレゼントしてくれました。

 翌日鬼丸さんとお礼をするために浪越さんの働くカフェに行きました。食べ終わりに挨拶をして、なるべく長居をしないように帰ろうとすると、浪越さんが私たちのテーブルに来て、鬼丸食堂の感想や、これからの父母ヶ浜をどうしていきたいかという話など、およそ15分も話してくれました。いざ帰ろうとするとき、「実は裏にも鬼丸さんに見てもらいたいものがある」と運営するゲストハウスを見せてくれました。カフェの仕事も忙しいはずなのに、なんでこんなにもしてくれるんだ。と思えるほど、浪越さんは私たちを迎え入れてくれました。

 浪越さんは料理人ではなく、"団欒料理人"と名乗ります。それは、料理をきっかけに、人と人が語り合う場をつくりたいという想いからきたものです。

「そんな空間が本当の豊かさなんじゃないか。」

 浪越さんから語られる「豊かさ」という言葉に胸を惹かれた私は、その豊かさの理由を知るため、夏休みに2週間浪越さんの下で働き、さらに10月の浪越さんの担当するイベントにもお手伝いをさせていただきました。今回はそのイベントのお話をしようと思います。

三豊鶴ART RESTAURANT


 10月の浪越さんのイベントは、廃業した酒蔵をリノベーションしたゲストハウス三豊鶴のレンタルスペースで行わました。香川県の食材を大切に使った食材を、コース料理で提供するイベントです。三豊鶴のテーブルは、酒蔵のタンクの蓋を再利用したもので、これだけでも十分素敵です。それでも、浪越さんは父母ヶ浜の流木、塩を飾るプレート、そして生け花と、どんどん空間を彩っていきます。

父母ヶ浜の流木や、アーティストとコラボしたプレートなど、
それぞれに想いが込められている
お客さんが入る前に撮った三豊鶴の会場


それは単なる席替えではない

 完成した場で私はホールを任されたのですが、なんとイベントの4日間、毎回のランチとディナーの度に机の配置を変えるのです。浪越さんはプロの料理人です。どのようなオペレーションをしたら効率が良いかは百も承知です。それなのに席の配置をまた崩して、ディナーの人数に合わせて机と椅子の数を調整するのです。修行してきた店舗ではいかに早く料理を提供するかを競わされていたというのだから、浪越さんはどうして真逆ともいえるこのようなスタンスになったのか、不思議に思いました。

手書きでどこに誰を案内するかまで決める
机は団欒をコンセプトに丸く囲んだ

 ホールを任されていた私は、ようやくこの場所の動き方を覚えてきたかなあというところで、机の配置変えることは正直、「まじか」と思いました。それでも "団欒" をこの場で表現するため、お客さん同士が背を向けないように机を並べていきました。ディナーに来てくれるお客さん同士が、できるだけ適切な距離感でお話を楽しむことができるように実際に座ってみたりして、机を減らして、椅子を増やし、机の飾りも調整しました。すると、ディナーでは、もちろん一部ではありますが、お客さんの会話にスタッフが入って閉店の時間まで語り合う場面が見られました。もし、机の配置を変えずに効率だけを考えていたら、この場面を見ることはできなかったなと思いました。

”団欒” という場づくり

 スタッフが徐々に慣れてきて、仕事を作業的に「こなす」ようになってしまうとき、浪越さんはそのままお客さんに出せるほど美しいまかないを作ります。急いで準備をしなければ間に合わないような時、あえて珈琲を淹れて、「焦ってもいいことはない」と語りながら、おいしい珈琲を渡してくれます。みんなが効率よく提供できるかを考えて、お客さんをどう「裁くか」という方向に流れそうなとき時、机の配置にこだわったりして、浪越さんはその流れをぐっと戻します。

焚火的空間を体現する人

 そんな浪越さんのつくる団欒は、ゼミが目指している焚火的空間と重なるものがありました。私たちが過ごす空間には、井戸的空間と、焚火的空間と呼ばれるものがあります。井戸的空間とは、水を汲むために井戸に行くといったような、必要な要件のために行く空間です。一方、焚火的空間とは、用件そのものよりも、対話を楽しんで関係を紡ぎ、気づきを得ようとする場だということです。そのため、井戸的空間は、必要な用事を済ませるための空間であるので、できるだけ効率的に、生産的にすることが「よい」とされる場である一方、焚火的空間は対話を通して今までにはなかった気づきを得たりするような、創造性を大切にする場です。

長岡ゼミで目指したいのは焚火的空間

浪越さんの「豊かさ」を考える

 
 確かに、自分は毎回机の配置をすることは本当に大変でした。大変で、正直面倒だったけれども、それによってお客さんとスタッフが楽しそうに話して、店員と客の境界が溶けて一歩踏み込んだ関係性になる場面を見てしまいました。それは生産性を過度に追求しないことで、生まれた場であったと思います。
 ”団欒料理人” と名乗る浪越さんの肩書について注目すべきところは、もしかしたら料理人の部分ではなく、団欒の部分なのかもしれません。ただ料理を提供するのではなく、焚火的な空間をつくるために、料理というツールを使いながら、団欒という場を1から作り上げる浪越さんは、「料理を提供すること」だけを目的にするのではなく、料理をはじめとして「空間全体を豊かにすること」を目指しています。
 常に焚火とともにあるゲストハウスで料理を出しながら、お客さんや仲間と対話を重ねて過ごしてきた浪越さんだからこそ、焚火的空間が創造性が高まりいい場になることを経験的に知っていたからではないかと思います。

 浪越さんの語る「豊かさ」とは何だろう。と惹かれて香川に来た私ですが、ようやく一つ見えてきたのは、「豊かさ」という言葉には、経済合理性だけを絶対視して、生産性一辺倒では新しいものは生まれないという意味が込められているということです。流れる時間を味わいながら、対話を通して気づきを得る。料理を出すという仕事において、毎回毎回その場限りの空間を作り上げる浪越さんは、生産性を過度に追い求めないことで、「豊かさ」を体現していきます。私は、そこに惹かれていたんのだと、気づくことができました。

三豊鶴のスタッフのみなさんと

【浪越さんのnote】


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