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映画『君たちはどう生きるか』をようやく観に行った【ほぼエッセイ】

その日は東京に台風が直撃していて、洗濯機日和だった。
公開されてから1年以上観ることができていなかった『君たちはどう生きるか』の上映館を調べ、下高井戸に向かった。
高いが下にある井戸とは一体何か。
湿気と疑問が交錯する京王線に乗った。
慌ただしい乗り換え。新宿から高幡不動行きへ。
車内は空いている。誰もいない優先席に腰を下ろす。私はふと、いきものがかりの「さよなら青春」を思い出していた。

「また会えたらいいね」と最後に君は言った
あの日の写真はまだ アルバムに挟んでいる
見てしまえば泣くから まだ開いてはいない
僕だけが この今を生きている
君と出会えたことを 君を愛したことを
忘れはしないだろう 忘れられないだろう

https://www.uta-net.com/song/279329/

窓の向こうの雨の街並みにぼんやりと視線をやりながら、けだるい体を起こして映画館まで移動している自分に葉緑素を注入する感覚が走る。
電車は10分ほどで4駅を刻んだ。下高井戸駅ではやけに人が降りていた。まるで近くに日本大学でもあるみたいだ。

映画館に着いたとき、私より先にお客さんは三人並んでいた。
ご婦人の二人と、緑Tシャツの紳士。皆、私の倍は生きていそうな方々。
開館時間まであと2分。
私の後ろに紳士が一人並ぶ。まぁ、紳士と言ってもA型せっかち日本人が歳を取って生きやすくなった男性なのであろう。
開館時間を迎える。
まだシャッターは七分開きだ。中でスタッフらしき方々が忙しくしている。
振りかえると、紳士の後ろに若い男性。さらに後ろに、妙齢の婦人。さらに後ろにだらしないカップルみたいな親子。映画好きそうな眼鏡の若い男性。
列らしい列ができ始めている。雨が弱まっているとはいえ、台風が直撃している日にわざわざ小さい映画館まで足を運ぶ人たちがいることに驚いた。
世の中、映画好きが多いのか、『君たちはどう生きるか』のファンが多いのか、『君たちはどう生きるか』を平日の午前中に観に行く自分に酔いしれている人が多いのか。君がどう生きるかは君次第なのであろう。

開館時間の3分後、案内が始まった。学生証を提示して料金を支払い、劇場内に入った。全部で126あるはずの座席の群が右手と左手に配置され、中央と両端は通路になっている。
私は前から3列目、真ん中に近い席に座った。
数分後、一個前の席にどなたか存じ上げぬが(今さらかよ)紳士が座った。館内の粋なつくりによって席に高低差があり、再生の間に合わない焼畑を行っていそうな頭皮を特等席で見ることができた。
目のやり場に困る。新しいタイプの「目のやり場に困る」だった。
席を変えようかとかなり考えた。そんな私は目を閉じて、心を落ち着け、映画を迎え入れる準備を内蔵や脳に呼び掛けた。
おかげで邪念は取り払われ、館内は暗くなって宣伝が始まった。暗くなってしまえばこっちのものだ(誰も争ってはいないが)。
席の座り心地を改めて確かめながら、映画『瞳をとじて』のCM(PV?)を見て、「これは平井堅じゃないんだ」と気づく時間を過ごしていると、あっという間に“東映”という文字が画面に現れた。

スタジオジブリ。
心が静かにざわめく。
始まる。

燃え盛る炎とともに映画は幕を上げた。
私の、僕の、我の心は着火する。
とにかく最初から美しい。すごい。という感情の連打だった。
ジブリ映画を大きくなってから劇場で見るのは初めてだった。
少なくとも思春期に入ってから劇場で見たアニメーション映画は『すずめの戸締り』が最初ではないか。これはたしか3年ほど前のことだ。
私は大学生になってから、アニメを見る習慣がついた。
アニメ映像のクオリティについては、視聴者としては目が肥えているほうだと思う。先日『ルックバック』を観たときは、絵から音楽からいろんな情を揺さぶられてぼろぼろに泣いていた。
そして、目の前のジブリ映画の絵(画)の質・微美・細微が私を魅了した。
主人公眞人となつこさんが屋敷にやってくるときに見られた、細かい石の崩れ、自然よりも大自然な草木の柔らかさ、壁などが日焼けして消耗した跡……。
眞人に与えられた部屋の壁に貼られた緑色の生地。ここからは繊維を表すように縦と横の線で塗られていることがわかる。さらに矢が刺さった後の壁の穴も非常にリアル。
観れば見るほど発見があってジブリ映画にハマる人がいるのも頷ける。

物語が進んでいくと、要所要所でジブリっぽさを感じた。
体中に動物が這い回るところとか、紙吹雪が体を覆うところとか、わらわらという小動物みたいな魂とか……。

火が平等に死をもたらす、脅威であることが象徴的に描かれているように思った。
冒頭では焼夷弾。
中盤以降では、キリコやヒミが使う炎。

若返ったバージョンのキリコさんがいい声をしている。他の役者さんはわからなかったが柴咲コウだと気づいた。

序盤、眞人が学校で他の学生から不遇な対応を受け、帰り道で自分の頭に石を打ちつけ、出血してしまう場面があった。
大好物だった。青年期の不安定な気持ちそのものが現れている描写がすごく好きだ。
眞人くんは移住先についてから全く一言も発していなかった。そこからも彼の気持ちを感じられた。
それから母さんを助けられなかったことによる悪夢を見るシーン、なつこさんと父親ふたりだけの時間を目撃して音を立てずに自室に戻るシーンなどが最高だった。

中盤以降、ヒミという少女に出会った。
宮崎駿特製のヒロイン。だいぶかわいい。住んでいる部屋が素敵すぎる。
ジャム塗りすぎだろ。眞人への愛を表現しているみたいだ。
途中で私はヒミが眞人の母親であることはわかっていたが、ヒミが眞人の母であることを知ってからの眞人への愛表現がいい。
それだけではない。
最後の別れるシーンだ。
妹のナツコに、声を掛けるところで涙があふれた。
何て仰っていたのか、思い出せない。「無事にね」というような言葉。
ナツコの人生を後押しするような、安らかな出産を願うようなメッセージに、私の胸は切なく愛しく引き締まった。
左頬が濡れていた。
命の重さに私の体が呼応した。
拭きたくない涙は特別だ。

エンドロールでも涙がひしり。映画の雰囲気と音楽がマッチしているのだろう。
手書きのような、関係者の名前の一覧は、一人一人を大事に扱っているようにも思えて、安直にも愛を感じた。
それから、キムタクが出演していたことに驚き、あいみょんという平仮名を一瞬で忘れ去ってしまった。

館内が明るくなる。
息を吸って映画館を覚える。
おもむろに立ち上がる。映画館の上映スケジュールが書かれた冊子をもらってから、ドアを通った。
外は雨が降りつつも小雨だった。失恋ショックを乗り越えつつある、嵐の去ったあとのような下高井戸だった。
さて、私はどう生きるのか。
地図アプリで“パン屋”を検索する。
一店に目星をつけて散歩に出かけた。
書くべき小説にはまだ手をつけられぬまま。

階段を降り、数歩進んで映画館を背にしたとき、観たばかりの映画のことを思い出した。
眞人が現実世界に戻ってきたとき、眞人は向こうの世界にあったものを持ち出してしまっていた。
普通は向こうでの経験を忘れてしまうらしい。
きっと彼にとって、多感な時期に向こうの世界に行ったことはかけがえのないものとなり、それは忘れようと思っても忘れられないことであることを私は願う。

忘れることはない、あの人との思い出。
さよなら青春。
私はもう少し、この社会で生きてみようと思う。
濃密な灰色の雲が広がる空の隅で、強い風に流されて飛んでいる鳥がいるかもしれないから。

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