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ライトノベルの賞に応募する(9)

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 ミワのお弁当と、朝食にみそ汁と卵焼き、ソーセージを焼いた後、ごみ袋を抱えた。今日は燃えるごみの火だ。家中を回って、ごみを拾い集める。台所から始まって、リビング、トイレ、洗面所。2階に回って、僕の部屋、ミワの部屋、ピアノのある物干し部屋、母親の寝室。1階に降りて祖母の部屋、父親の部屋。父親の部屋の机の上には、灰皿にタバコの吸い殻が積み重なっている。僕はこの父親の吸い殻を片付けるのが何より嫌いだった。部屋中に染み付いたタバコのにおい。それはまだ我慢できる。灰皿を手に取り、完全に火が消えていることを確認して、ざらざらとゴミ袋に移す。タバコの灰が舞わないように気を付けるが、それでも細かくなった灰が口に鼻に届く。ウエットティッシュを手に取り、灰皿の周辺だけでもふき取る。タバコの灰でウエットティッシュはすぐに真っ黒になる。ゴミ袋の中も、タバコの灰にまみれて8割増しで汚く見える。オトナは何でタバコなんか吸うのだろう。火事は怖いし、くさいし、吸い殻は汚い。運動するのに肺活量だって落ちる。僕もいつかオトナになったら、タバコが吸いたくなる日が来るのだろうか。父親はすぐ横のベッドでいびきをかいて寝ている。地を這うような低い音が、一定周期で響き、消え、また響く。僕もこんな風にいびきをかいて寝ているのだろうか。寝ているときのことは自分でもわからない。それとも年を取るといびきをかくようになるものなのだろうか。父親は僕に背を向けて壁の方に向かって寝ているので、顔をうかがい知ることはできない。父親の顔の細部が思い出せない。もちろん知ってはいるし、見たことがないわけではないのに、顔が思い出せない。シルエットで父親と認識できるが、どんな顔だったのだろうか。父親の顔を最後にまともに見たのはいつのことだろう。幼い時の記憶では笑っていた気がする。僕を高く抱き上げて、笑っていた。でも僕はその時の顔も思い出せない。口元が笑っていても、顔の上半分がどうしても思い出せない。僕は父親に似ているのだろうか。父親が11歳の小学校5年だった時、今の僕と同じ顔をしていたのだろうか。
 いびきをかく父親の背中を見て、不快感が増していた。僕もいつかこんな風になってしまうのだろうか。朝も起きず、人を見れば大きな声で威嚇し、酒を飲み、タバコを吸う。仕事が、仕事が、と口では言うものの、家から日常的に出かける姿はもうしばらく見ていない。僕はこんなオトナになるのだろうか。遺伝子は争えない。遺伝子の示す位置に人は収まるという話を聞いたことがある。社会的立場は遺伝子が定めた場所に落ち着くのだという。僕にとっては呪いでしかない。将来の自分を想像した時、こんな風になるのかと思ったら怖くなった。僕はこんなオトナになるのだろうか。
 集めたごみ袋の口を堅く縛って玄関に置いた。出かけるときに持って出て捨てればいい。父親に感じた得体のしれない不快感も一緒にゴミ袋に入れて、もう湧きあがってこないようにきつく縛って、ごみに捨てる。
 僕は気分を切り替えて、ミワの部屋に向かう。僕の足首を、父親の影が掴んで離さないような気になる。不快感というか、恐怖感というか、僕の影になって僕の後にずっと付きまというような気がする。どんなに僕が足掻いても、結局なるのはそこだよと、死神にささやかれているような気分になる。僕がどんなに頑張って、そうならないように頑張って足掻いても、結局オトナになったらこうなるんだよ。死神が耳元で囁いている。頭を振って、その思考を振り払おうとする。その位では死神は居なくならない。どうせこうなるんなだよ、と笑っている。どうせお前は年を取ればこうなるんだ。死神の笑い声が聞こえる気がする。朝から気分が悪い。違う、僕はそうならない。そうならないように毎日僕なりに頑張ってる。僕はオトナになってもこんな風にはならない。僕はマトモなオトナになる。僕は父親みたいな人間にはならない。いくらそう強く念じても、死神はすぐ近くで笑ってる。僕の抵抗をあざ笑うみたいに、すぐ近くで笑ってる。その笑い声が、耳元で聞こえる気がする。
 朝から嫌な気分になってしまった。僕はゆっくりと階段を昇る。一段一段が重い。僕の足はこんなに重かっただろうか。心臓がバクバクしている。心臓の音ってこんなにうるさいものだったろうか。めまいがするようだ。倒れこまないように階段の手すりを強く握った。大丈夫。僕はここに居て、父親とは別人格の人間だ。僕はオトナになっても父親のようにはならない。自分で自分に言い聞かせる。そうでもしないと、このまま倒れこんで、2度と立ち上がれないような気がした。精神的にも、物理的にも。階段の手すりを強く、強く握った。体が硬直するのがわかる。手すりと反対の、左手も強く握っていた。行き所のない怒りのような何とも言えない感情に支配されていた。悔しかった。僕はオトナになっても、父親とは違う。そう誰かに証明して欲しかった。父親の人生と、僕の人生は違う。そう誰かに言って欲しかった。マトモなオトナは、こういう時、どうやって気持ちを切り替えるのだろう。
 僕は、ミワの部屋の扉の前で、深く深呼吸した。6秒我慢すれば、怒りの感情は収まるという。僕はミワの部屋の扉の間で、大きく6回深呼吸した。

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