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愚直なほどの深い愛❤️(母の日に寄せて🤱)


北野武のお母さんほど、見事な母親を私は知らない。自分もそのようでありたいと思う。


<本文はこちらの記事より抜粋>



たけしさんが芸人で売れるようになった途端、母が会いに来るたび20万円、30万円とお金を要求していました。
教育熱心で優しかった頃の母...すっかり変わりはてた姿に、たけしさんも「因業ばばあめ!」と悪態をつくこともあったそうです。。。

そんなお母さんが、お金をたけしさんに乞うようになったのは、ある理由があったのです。

子供の頃には「飯に金をかけるよりも参考書を買う」と言って、教育費のために生活費を削ることもあった。
とにかく教育熱心だった母の薫陶が功を奏し、たけしさんの成績は優秀。
1965年(昭和40年)に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学しました。


しかし.....大学での生活には適応できず、五月病を患うような状況に。
そして大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、新宿界隈でての無い日々を送るようになるのです。
そしてせっかく入学した大学は、勝手に中退をしてしまったそうです。

*さきさんはたけしの中退を知らず、大学から連絡があるまで、ずっと学費を払い続けていました。


中退後、アルバイトを転々としながら、フランス座、松竹演芸場などの舞台に出るようになり、徐々に顔を知られるようになります。
そして、ついにはテレビに出演するようになり、人気を得るようになっていました。


  (北野家を描いたドラマ📺)




さきさんが亡くなる2年前の1997年。

たけしさんは、92歳になり、軽井沢の病院に入院していたさきさんをお見舞いに行きました。

この頃も、お見舞いに行くとさきさんは、「今度おまえが来るときは、あたしは名前が変わってんだ。戒名がついているからさ。葬式は長野で出すから、おまえは焼香のだけ来
りゃあいい」
と憎まれ口を叩いており、まだまだ元気そうだなとたけしさんは思ったそうです。

しかし。。。。。。
その帰り際、たけしさんのお姉さんから「たけしに渡してくれ」とさきさんに頼まれたと紙袋を受け取ります。

紙袋の中には、一冊の通帳が。

しかも、名義はたけしさんの名義。。。
中身を見て、たけしさんは仰天したといいます。
通帳の中は、お母さんの年金から少しずつ出したお金と、たけしさんに要求していたお金がそのまま入っていたのです!!
1円も手をつけられていないその通帳はなんと
1000万円近くにもなっていたとか。
この包みを握りしめ、涙が止まらなかったといいます。


芸人というのは人気が無ければ無職同然になってしまう商売。
そんな不安定な仕事をしているたけしさんのため、失敗しても大丈夫なようお母さんが貯金してくれていたのです。

さきさんが心配していたのは、芸人はいつ収入がゼロになってもおかしくない職業にもかかわらず、たけしさんは入ってくれば全部使ってしまうというのがその理由だったようです。

この時たけしさんはお兄さん達から「いつも
オフクロはお前のことを心配している」と聞かされていたことを思い出しました。
この時、たけしさんはこれまで憎まれ口を叩き、お金ばっかり無心してくると思っていた母親の本当の愛を知ることになったのです。
自分が嫌われてまでも息子の将来を心配していたお母さん。



北野武と母さきさん



「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカだ」(北野武)
出典:thisisenglish.jp


「子供の貧乏は親の責任」
「親の貧乏は子に連鎖する。それを断ち切るには教育しかない」(北野さき)


常日頃、武さんのお母さんが言っていた言葉だそうです。
貯金するだけでなく、将来を考えるという教育の意味も込めて、お母さんは武さんにお金を要求していたのかもしれません。




1999年8月。
たけしさんの母親、さきさんがお亡くなりになりました。
さきさんが亡くなったお通夜の記者会見で、たけしさんは
「かあちゃん......」と絶句し、体をふるわせて号泣します。



 荒野より  中島みゆき





荒野より  中島みゆき


<母の日に娘から送られて来たLINE>




母である人と
母を持つ人が
想い合える
幸せな日になりますように🍀💕

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