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塔12月号若葉集から好きな歌5首

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年も、ゆるゆるお付き合いいただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。

塔12月号若葉集で私が好きだった歌、5首です。

愛想よくすればするほど耳の奥のダムから水の流れ出る音 石田犀さん

200p

感覚的なものですが、すごく共感しました。
「耳の奥のダム」と「水」の選び方もすごいです。耳は奥の方で脳とつながっていそうで、そのダムは、私には自分の心を守る砦のように感じました。そのダムから「水が流れ出る」、つまり、自分の心を犠牲にして、相手の気持ちを優先させている。その時聞こえる「音」がある。この「耳」と「音」がちゃんと繋がっているところに、よく練られた歌だと思わされました。
耳の奥のダム、大切にしたいですね。



すぐにでも発つ気でいたんだ戦前教育昭和の父は 大西信子さん

201p

一連の歌から戦争の歌だとわかる。お父様は文系の帝大生だったらしい。学生はいよいよというまで招集されなかったから、お父様は生き残った。学生まで招集する学徒動員まであと二年だったという。
戦前の人の心は、今の私たちには本当には理解できないのだろうと思う。
アメリカの国力を知り、戦争の末路を知っている私たちには。
でも、当時は多くの人が「国のために戦おう」と思っていたし、反戦など言葉に出しただけで警察に捕まった。
「発つ気でいた」と書いていることから、これは特攻機のことを指すのではないかと思う。実の父が特攻で死んでいたかもしれない、哀しみ。
二年という猶予があったことを幸いに思う。



つひに心象すべて砂漠ときめたれば夜毎に還るきいろのさばく 日下踏子さん

202p

なぜ、心象のすべてを「砂漠」と決めたのか、よくわからない。だが、この歌の入った一連は、淋しい感じがする。夢の獣があらわれて金の指輪をくれる話、祖母に棄てられてしまったへその緒、頭のひどく長い獣と人間を表現し、ここは安全の海と詠う歌。その一連の最後にこの歌がくる。
「安全な海」ではなく、どうして「砂漠」と決めたのだろう。「砂漠」と決めてしまえば、どんな出来事にも恬淡としていられる、そんな気持ちが伝わってくる。そして最後に「黄色の砂漠」をひらがなに開くことで、そのさばくは荒涼としていても、作者にはくつろげる場所なのだと思う。
「月の砂漠」の歌を思い出しました。あの淋しくて美しい音色を。



夜半に起き本を開けど窓の外照る満月に目を奪はれる 木下令夜さん

203p

真夜中に起きて、どうせ起きちゃったなら本を読もうと思う。そういうことは読書好きの誰にでも経験のあることだと思う。
本を読もうと思ったのに、満月に目を奪われてしまった。
部屋には大きな窓があったのだろうか。読書用のライトをつけても、部屋は少し薄暗くて、満月の光が窓から差し込んできたのかもしれない。
満月の光はきっと明るかったのだろう。だから作者も月の光に気づいたのだろう。
本を開きながら、月を見上げている姿がとても美しく目に浮かびました。



昼過ぎに急に雷鳴り始め追いかけらるる髪の先まで 丸山かなえさん

208p

結句の「髪の先まで」が、とてもいいですよね。
髪の先まで追いかけられているのだから、もし雷鳴と一緒に雨が降っていたなら、ずぶ濡れになっているのだろうな、と思う。そして濡れた髪の先から雨の雫がぽたぽたと落ちる。それを「髪の先まで」「追いかけらるる」と表現されているのだろうか。
四句と結句を入れ替えると普通の歌になってしまう気がする。「髪の先まで」が結句にくることがいい。
こういう歌を詠えるようになりたいなぁ、と、思う一首でした。

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