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実録:COVID-19流行下での妊娠・出産(産科入院編)

COVID-19流行下での入院生活は、それまでにない制限のたくさんあるものだった。ここでは、産科病棟に入院してから、出産し、退院するまでを書きたい。

入院する前の「産科通院編」はこちら

入院の経緯

妊娠30週にはいった5月下旬ころから、毎日測定している血圧、とくに拡張期血圧(下の血圧)が上がっていることに気づいた。私は妊娠前から血圧を自己測定していたので、血圧が上がってきたのに気付くのも早かった。

6月に入って最初の妊婦検診で、血圧データを持参して自己申告した。先生は「確かに上がってきていますね」と仰って、経過観察をすることになった。それまで間引きになっていた検診頻度は1週間に1度になった。そうやって血圧を観察しながら、ようやく産休に入ったのが6月半ば。その直後の検診で胎盤のエコーの所見が芳しくなく、管理入院が決まった。妊娠35週になった6月下旬から出産まで、産科の病棟に入院することになった。

入院とPCR検査

このころ外来で、助産師さんから初めて保健指導があった。マタニティクラスがすべて開催中止になっていたので、病院の助産師さんと話すのはこれが初めてだった。このとき、PCR検査についての説明を受けた。この病院では、妊娠38週の時点ですべての妊婦が新型コロナウイルスのPCR検査を受けることになっている。ただし、陣痛は妊娠38週より前に発来することもある。そのときは、PCR検査の結果が出るまで、母親も赤ちゃんも検査済の人とは別の病室に入ってもらう。病棟にいくつもある分娩室は、PCR検査前の産婦さん用と、PCR検査陰性確認済の産婦さん用で使い分けている。生まれた赤ちゃんが過ごす新生児室も、検査前のお母さんから生まれた赤ちゃん用と、陰性確認済のお母さんから生まれた赤ちゃん用で分けている。混乱しないように、赤ちゃんを入れるコットとお部屋にそれぞれマークをつけて、区別できるようにしている、という話だった。

この病院で妊婦向けのPCR検査が始まっていたことは、数週間前から外来診察室の扉の横に貼り紙がしてあったので、だいたい把握していた。当時、同じ市内の他の産科病院で全妊婦にPCR検査をすることになった、というニュースがテレビ報道されていたし、その流れだろうという理解だった。とはいえ、そういった報道の中で、PCR検査は「妊婦の不安を解消するため」だとされているのがずっと気になっていた。「妊婦の不安」とは? 感染の不安だろうか。しかし、PCR検査を受けて仮に「陰性」だったとして、偽陰性ということだってあるし、陣痛が来て入院するまでに感染してしまうことだってあるだろう。また、検査で陽性が出たときに、お産はいったいどうなるのか。妊婦という、およそ事前確率の低い集団で検査を行うとなると、偽陽性が出ることもそれなりにあるはずだが、そういった場合はどうなるのだろう。PCR検査は、「妊婦の不安」への対応というよりむしろ、現場の医療者の皆さんを守るというのが、第一の目的のはずではないのか。そうすると、PCR検査の妊婦本人へのメリットはあくまでも間接的なものであって、直接的なものではないはずだ。医療者の保護と出産環境の維持が目的なら、それはそれで意義が非常に大きいのだからそう言えば良さそうなものだが、なぜそういう説明にならないのだろうか。そういう、なんとなく腑に落ちない気持ちがあった。「妊婦の不安を解消するためのPCR検査」という言説にたいする、この「腑に落ちない」気持ちは、産後2か月たった今でも完全に解消されたわけではない。

私は、いざ自分が「PCR検査を受ける」という話になったときには「陽性になったらどうなるのでしょうか」と尋ねようと思っていた。が、外来では結局聞くタイミングを逃した(し、ついに入院中にも聞くことができなかった)。ただ、助産師さんとの話を通じて伝わってきたのは、この検査が基本的には院内感染のリスクをできるだけ低くするためのものだということだった。それを聞くうちに、いざ陽性反応が出たとなれば、専門家のアドバイスを受けながら、しかるべき施設へ案内されるほかないのだろうという諦念(覚悟?)がまとまってきた。もともと、院内感染防止に協力することに否やはまったくないのだ。入院前も入院中もそうだったが、医師や助産師さんと相対しているときには、他に聞かなければならないことがあまりにも多かった。PCR検査については、尋ねる機会がなかったとも言えるかもしれない。 

後でもふれるが、妊娠38週以前に入院となったときには、入院初日にPCR検査を受け、結果が出るまで個室に隔離という措置がとられていた。私は妊娠35週で入院したので、このルートでPCR検査を受けることになった。


外界と隔絶された入院生活

さて、一旦入院したら出産まで外出禁止ですよ、とは事前に聞いていたものの、実際の入院生活の隔絶ぶりは想像以上だった。

まず、家族だろうが何だろうが見舞いや面会は一切禁止、病院外への外出は言うまでもなく、患者が病棟から外に出ることも禁止。院内の売店に行くことすら禁止だった。いったん病棟に入院したら最後、退院するまで病棟外に出られない。これは、入院時にPCR検査をして「陰性」を確認した後に感染機会をもつことがないようにするための措置だった。

そんなわけで、入院時に病棟の前で夫と別れてからというもの、検査や手術のときを除いて、私は病棟から一歩も出ることがなかった(夫と次に顔を合わせたのは、緊急帝王切開で手術室に運ばれるときに廊下で顔を見た一瞬だった)。病棟内の空調が完全に管理されていたこともあり、外界とは完全に隔絶されて過ごすことになった。ちなみに「院外外出禁止」というのは事前に聞いていたが、「病棟外外出禁止」は入院当日まで知らなかったので、入院してからの物資調達に多少苦労する羽目になった。

入院時には、他の患者さんたちに感染症をうつすことのないように工夫した措置がとられていた。まず、入院になると、大部屋希望でも個室に入れられる。これは隔離のためなので、追加の料金はかからないということだった。そこで、血圧や体重測定、尿検査、採血といった入院時の検査に加えて、新型コロナウイルスのPCR検査も受ける。私が受けたときは、唾液を用いたPCR検査だった。聞いたところによると、私が入院した週から検査の方法が変わり、迅速に1日程度で結果が出るようになったらしい(それまでは2~3日かかっていたということだった)。

PCR検査の結果が出るまでは、原則として病室から一歩も出ないように指示があった。洗面台もシャワーもトイレも備え付けられた個室だったので、基本的には困らなかった。しかし、水分補給には困った。食事に飲み物がついていないうえ、売店に行けず、病棟内の給湯器にすら行けないからだ。「病棟外外出禁止」を入院前の説明で聞いていなかったので、これだけは準備が足りなかった。もし知っていれば、ペットボトルをもっとたくさん持参するなり、水筒を持ってくるなりして、スムーズに対処できただろうと思う。売店に行けないかわりに、カタログを見て注文書を出せば病室まで品物を配達してくれるというサービスが始まっていたが、このサービスでの注文は正午までだったので、入院初日は困った。

見舞いは禁止だが、差し入れは病棟の入り口まで持ってきてもらえば、看護師さんに取り次いでもらえた。夫に依頼して、後からこまごましたものを追加で持ってきてもらうことになった。

PCR検査の結果は翌日出た。陰性だった。これで、病棟内であれば自分で移動してよいことになった。最初の隔離個室は1日で出て、大部屋へ移動した。そこでは、皆それぞれベッド周りのカーテンをひいて個別のブースに分かれ、ただただ静かに過ごしていた。カーテンの外に出るときには、病棟内でもマスク着用というルールだった。医師の先生と話すときも、お互いのためにマスクをしていた。このマスク着用ルール、よれよれのすっぴんをごまかせるので、ある意味楽といえば楽だった(笑)。

病室を出てよいことになったとはいえ、病棟内もそんなにうろうろするわけにはいかない。実際のところ、うろうろするような場所もなかった。歩くことができないので、運動量が激減した。仕方がないので、ベッド上でストレッチしたり、ベッド横でゆっくりスクワットしたりして、なんとか体をほぐしていた。病棟内では談話室も事実上使用禁止となっていて、医療スタッフ以外と会話する機会はまったくなかった。病棟での生活で聞こえる音といえば、ひっきりなしにどこかで鳴り続けるアラームの電子音、看護師さんや助産師さんたちの話し声、ベッドやカートを押す音、どこかで測定中の胎児心音、お産があるときに分娩室から聞こえる叫び声、それ以外の静寂。一日2回のノンストレステスト、頻回の血圧測定、尿検査。気分を変える手段とタイミングが無さすぎて、ストレスマネジメントがかなり難しかった。慣れるまで1週間くらいかかったと思う。 

それでも私の入院は妊娠35週に達していたので、ストレスといってもまだ大したことはなかったろうと思う。妊娠25週あたりから切迫早産で長期入院の見通しになっている妊婦さんなんて、点滴に繋がれたまま、見舞い皆無で、隔絶された数か月を病室で過ごさねばならなかったはずだ。常にもましてメンタル面が辛かったろうと想像する。

私はといえば、とにかく降圧剤を飲みながら正期産となる37週まで逃げ切ろうとしていた。入院するなり尿蛋白が出て、妊娠高血圧腎症が確定し、血圧も150/97とかがときどき出るようになってきていた。大部屋にいたのは1週間ほどで、その後はMFICU(母体・胎児集中治療室)へと移り、37週に入ったところで誘発分娩となった。誘発を始めてから、胎児心拍に問題があるということで緊急帝王切開に切り替えとなって、出産した。

ちなみに、私の出産は2週間の入院からの誘発分娩だったからかどうなのか、陣痛時のサージカルマスク装着はなかった(ただし、移動の時に必要なので、陣痛室にマスクを持参していた)。なお、立ち会い分娩は春先から中止になっていた。私の夫も当然立ち会っていない。どの妊婦さんも立ち会い無しで出産されていたと思う。帝王切開の場合は、手術室に運ばれていくために病棟を出る、その一瞬だけ家族の顔を見られる。私の場合も、入院以来はじめて夫の顔を見たのはそのタイミングだった。

家族が一切お見舞いできず病棟に入れないとなると、子どもの父親は退院まで子どもの顔を見られないということになりかねないが、そこは配慮がなされていた。私が入院していた病院では、自然分娩(病棟内での分娩)の場合には、生後すぐに看護師さんが病棟入口のガラス扉のところまで赤ちゃんを運んで、ガラス越しに父親に面会できるようにしているという話だった。帝王切開の場合は、保育器に入った赤ちゃんが手術室から病棟に戻ってくるので、父親はそれを病棟前で一瞬見ることができる。私の夫は病棟前で保育器のなかにいる子どもに初めて面会し、その一瞬で子どもの記念写真を撮ってくれた。その後は、母子が退院するまで、原則として父親は子どもにも母親にも直接会えないというルールだった。

この「見舞い禁止」というのは正直なところ良し悪しで、産前はかなりつらいけれども、産後には助かった面も大きかったように思う。以前に手術で入院したときには、手術翌日の午後いっぱい、ひっきりなしに入れ代わり立ち代わりお見舞いが来て、夕方には気絶しそうなくらいしんどかった。もしも産後に同じくらいお見舞いが来ていたら、体力的にもたなかっただろう。産後の体がしんどいときに、お見舞いの相手をせずに済んだのには助かった。産後の入院も、COVID-19対策ということで通常より1日短くなっていた。出産した日を含めて7日で退院した。産前2週間強、産後1週間、合計3週間ちょっとの入院生活だった。

このように、COVID-19流行下の入院生活は、これまでには無いさまざまに厳しい制限を伴ったものだった。ただ、ストレスはたまったものの、不満はなかった。自分自身のストレスよりも、感染が発生してお産ができなくなってしまうことや、同じ病棟内にあるNICUが入院停止になって治療を受けられない赤ちゃんが出ることのほうがよほど恐ろしかった。それに、行動に制限がかかっていたのは妊婦だけではなかった。医師・助産師・看護師さんたちをはじめとする医療者の皆さんも、もう何か月にもわたる行動制限の下にあるということのようだった。ちょっとした会話の中で小耳にはさんだだけでも、1人で外食するのにも○分以内といった制限があるとか、休日になかなかストレス発散できないとか、そういったエピソードがいくつも出てきていた。医療スタッフの皆さんのストレスはいかほどであろうか。それもこれも、大学病院の産科病棟で感染が起こり、クラスターなど発生してしまった日には、地域の周産期医療が大変なことになってしまうからだろう。この病棟での妊婦やその家族の我慢も、医療スタッフの皆さんの我慢も、ひとえに周産期医療の堅持のための努力なのだ、ということは、入院期間で身にしみて感じられた。

なお、子どもは生後すぐにNICUに入院し、私と一緒には退院できなかった。さまざまな制限は、NICUに通うなかでも実感することになった。

「NICU編」に続く

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