おもゆ

「味」との邂逅

 今月初め、玉置浩二氏が憩室炎で緊急入院した。ワイドショーで「憩室炎」という病名が飛び交い、謎の小部屋がポコポコできた大腸のイラストが登場する様子を見て、なんか妙にむずかゆい気分に。その後とくに続報がないので、玉置氏の今回の炎症はおそらく手術ではなく、絶食&抗生物質で散らす方針がとられたのだろう。なんにせよ、回復・復帰が待たれる。
 さて、憩室炎をめぐって自分の腸に起こったいろいろを記録し、あらためて〝食べること/食べないこと〟や〝痛み〟〝不快感〟〝病〟などについて考える連載。3回目のテーマは「味」です。

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*01 それは腸の囁きから始まる

*02 金竜飛は「食えなかった」が、力石徹は「食わなかった」

■ おもゆの変身

「おもゆ」をご存知だろうか。漢字で書くと「重湯」。流動食の一種で、多量の水分を加えて煮た薄い粥の上澄み液のことをいう。つまり、ほとんどただのお湯と思ってもらえれば間違いない。

 左がお茶で、右がおもゆ。見るからにくそつまらない食膳だ。「今日から食事再開ですね、よかったですね」と看護師に笑顔でいわれ、一週間ぶりに出てきたのがこれだった。あんなもの二度と食べたくない。というより、あんなものを食べるハメには二度と陥りたくない。思い出したくもない。——と、今だからそんなふうに思うのだが、当時この食膳を前にした私はなぜか感動していた。とくに膳に添えられたこの小袋から、目が離せなかった。

 塩である。最初は自分が何に感動しているのかを測りかねたが、この白い粒をひと舐めした瞬間にすべてがハッキリした。

「味だ、これは味だ!」

 ほんの一週間程度の絶食で大袈裟な、と思われるかもしれない。でもしばらくぶりで「味」というものを体感したことで、自分が求めていたのがたんに「満腹すること」ではないとあらためて気づいたのだ。何のおもしろみもなかったはずのおもゆは、ほんの0.3gの塩によってともかくも「味」を備えた食べ物に変身した。味ってすごい!味ってすばらしい! そんな興奮を覚えながら、私はおもゆのあるかなきかの味を味わい尽くしたのだった。

■ 「味」をめぐる人間と虫の対話

 しかしなんだろう、「味」とは。「食感」とか「香り」とかも含め、人間はいろいろなものを食べ物に期待するけれど、その欲求を実現した食事は必ずしも最適とされる栄養摂取の具合とは合致しない。むしろ矛盾することの方が多いのではないか。たとえば、私は過去に二度カキにあたってのた打ちまわった経験があるが、あいかわらず生ガキが好きだ。夜中に急に焼きナスが食べたくなれば台所に立つし、かっぱえびせんはやめられない止まらない。

 「食欲」とはあらゆる動物に欠かせない重要な欲求のひとつである。ただ人間の場合、「生きるため」と言い切るには無駄な要素が多すぎる。人間は無駄が好きだ。なんにしても無駄を楽しもうとする。もちろん自分もその一人であり、先日、九州出身の友人と刺身を食べながら醤油について話した際にも「人間の無駄好き」を実感した。九州では甘い醤油、関東では辛い醤油を使うのが通例であり、私は生まれも育ちも関東なので辛い醤油に馴染みがある。刺身にはどちらが合うかで議論になったが、結果的には「魚種によりけり」ということで決着がついた。「マダイには甘い醤油がよく合い、マグロは辛い方でないと厳しい」と細かな意見も一致した。

 食事の席でこういう話をするのはなかなか楽しい。でもあとから振り返ってみると、私はなぜか、いつの間にやら人間と対極の存在である虫のことを考え始めてしまう。私と虫が会話することができたとして、私が甘い醤油と辛い醤油について熱弁したら、きっと虫はこう答えて嗤うだろう。「それって、『生きるため』とまったく関係なくない?」と。虫への反論として、私はいちおう「いや、人間だって健康維持とかのために、いろいろ理に適った食事を追及してきたんだよ」と言ってみる。何と何の食べあわせがいいとか悪いとか、DHAを摂るとかしこくなるとか、生魚に殺菌効果のあるワサビを塗ったり足の速いサバを〆たりの知恵とか、漢方やハーブの効能がどうとか、実例はいくらでも並べられる。だがそうした工夫の前提となっているのは結局、「いろいろおいしいものを食べたい!味わいたい!→ じゃあどう食べんのがいいのか考えよう!」という人間ならではの大いなる無駄であって、そもそも無駄を知らない虫はやっぱり、「味とか香りとかへのこだわりってのがそもそもいらないじゃん」と事もなげ。こうして私と虫との食談義は永遠に堂々めぐりを続け、両者が分かり合うことはない。

 話がどんどん脱線していくが、虫ってのは本当に無駄がなさすぎて怖い。たとえばカイコガの触覚は、メスの尻から放出されるフェロモンだけに反応するセンサーの役割を持っていて、オスは普段はほとんど動かないくせに、フェロモンを感知した途端にガサガサーッと狂ったようにメスに向かって突進していく。ある甲虫の幼虫は火災で燃え落ちた樹木の中だけで生育するため、成虫のメスはそこに卵を産みつけようと数十kmもの遠方から森林火災を探知する。ミツバチが正確にミツの場所を探り当てるのは、彼らが紫外線を見ることができるからである。人ジラミは人の匂いにだけ反応し、犬ジラミは犬の匂いにだけ反応する。その他いろいろ。

 つまり、虫はあえて感知できるものを絞り込むことで、生き残るために最適な行動だけを確実にとれるよう作られているのだ。これに対して人間は「無駄を楽しむ」ことを選んだ。人間の目は数百万の色を、耳は50万種類の音を、鼻は1兆種類の匂いを識別できるといわれている。的が広すぎる分、当然のことながら感覚の精度は他の生物と比べて低い。特に虫からしたら狂気の沙汰だ。「そんなにたくさん半端に感じ取っちゃってたら、どれが生きるために必要なやつかわかんなくなるじゃん!」と呆れるだろう。

 一点突破で自分に必要なものだけを受け入れる虫と、無限の多様性を前に右往左往する人間。どちらがいいも悪いもないが、数年前、病床でおもゆを完食してなお、空になった塩の小袋の底を舐めまわしていた私は、「人間に生まれてよかった」とめったに思わないことを思っていた。そして、病が癒えるにつれて充実していくであろう病院食のことを空想した。腸に爆弾を抱えているくせに、私は一人の人間として全力で無駄を楽しんでいたのだ。

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