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もはや寛容な社会ではないのか

仕事が忙しい。体力の衰えもあるだろう。しかし、以前の息抜きできていた日々の仕事と比べ、体感として忙しさがボディブローのように効いてくる。バーンアウトがちらつく。サボっていいのに、サボれない。次から次へと仕事が押し寄せる。

とはいいつつ、少しサボった。最近の息抜きは専らソリティアだ。レベル644までいった。これは本当に、何も考えずできる素晴らしいゲームだ。最高。

サボりながら、タイトルのような考えが浮かんだ。便利な世の中だ。スピードの早い時代だ。それで果たして、20世紀のような寛容が、維持されているのだろうか。果たして、効率を追求するあまり、余裕とかゆとりを失っていないか。

時間については何度か投稿した。時間こそ平等だし、使い方を工夫もしている。まだまだ工夫できるはずだし、便利なツールや仕組みの恩恵も受けている。ITの端くれの身としても、その効用があることは疑う余地もない。

効率の追求の功罪について、いろんな人がいろんな本を書いているだろう。最近手にとった本だと、宇野常寛の「遅いインターネット」が面白い。宇野さんはNewspicksかめっちの部屋で知った。読み進めているが、読み応え十分、なかなか良い。

21世紀がはじまって早や21年。おそらく21世紀の半ばまでは生きるであろう私にとって、どう生きるのか。社会にツバを吐いても意味はないかもしれない。しかし、吐きたいツバもある。20世紀の大人たちは、酔っ払って立ち小便もした。今は許されない。なぜ?軽犯罪とか条例とかあるかもしれないが、それよりも社会が許さない。ご近所が許さない。何ならスグツィッターで晒される。そう、この「晒す」という漢字すら、もはや一般的だ。私が学生の頃は、こんな漢字知らなかった。晒されることで、社会的に抹殺される。だから漏れそうでも、立ち小便はしない。

サボることも許されない。昔の話だが、近い後輩にマジメなやつがいて、そいつは本当にサボらなかった。粛々と仕事をする。素晴らしいが、メリハリがないとも言える。それでも粛々と仕事をする。そういう人材がやはり求められているのだろう。順調に出世している。がんばれ、俺には無理だ。

先週北海道でリフレッシュしたばかりなのに、その充電した電池は全て放電してしまったようだ。まあでも、年末までは走り切れるだろう。ちょっとでも充電の機会を見つけて、また走ろう。サボりながら。

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