見出し画像

〈110〉大人の困った言動も子ども達に問いかける

もちろん、「あの子の親がね…」なんては言いませんよ。誰のためにもなりませんからね。


ただ、保護者や自治体職員の言動に支援員が曝され困り果て、本当に人としてどうなんだ?社会人としてどうなんだ?ということは山のようにあることは事実です。

そういう責め方をして人を追いやる、傷つけるとはどういうことかとか、人と仕事をする時の連携とか報連相ってどうあるべきかとか、そういうものについて、筆者は高学年の子ども達と話し合うことがあります。

なぜって、支援員が誰かから攻撃されていたり、困っていたりすると、子ども達はよく気付きます。心配してくれます。

なるべく子ども達の前でいつも通り振る舞っても、ちゃんと気付くのです。

筆者の放課後児童クラブでは、支援員が通常配置数より一人でも多いと、「何かあったの?」となりますからね。

子ども達の観察眼、侮ってはいけません。

ポーカーフェイスで子どもと向き合うことが大事な時と、どうディスカッションしたら子ども達の道徳的気付きになるかのチャンスになる時があると思っています。


もちろん、個人が特定されるようなことは話しません。支援員の味方につくような誘導もしません。

上記に述べたような、「こういうやり方は人としてどうか」「組織としてどうあるべきか」「どうしたら君達、子ども達のためになるか」ということを子ども達に問うと、至極全うな答えが返ってくるものです。

「言い方がよくない、こう言えばいいのに」
「それはおかしいと思う」
「もっとこうしたらいいのに」

と言いますからね。

時間を守らないとどうなるか、提出期限を守らないとどうなるか、ルールを守らないとどうなるかも。

閉所時間になっても迎えに来ない、申し込みや出欠の提出期限を守らない、ルールを守らずクレームを入れる親、いますからね。

やらなきゃいけない仕事を後回しにする、確認しない、報告しない、相談しない、現場の声を聞かずに勝手に決める職員、いますからね。

大人の理不尽な言動を子ども達と一緒に考えることは、真の道徳授業なんじゃないのかなと思います。

こういう話をきっかけに、学童保育の課題を一緒に考えたり、子ども自身が自分の置かれている立場や役割について、思っていることや考えていることなども聞くことができたりもします。

時に、子ども達と制度自体についてや働き方、生き方、政治の話までできるんですよ。すごいでしょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?