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〈116〉発達障がいという言葉は心象が悪い

発達支援センターによる巡回相談が学童保育でも利用できるようになるとか、近隣に発達支援センターができるとか、連携を模索していることを保護者や地域住民に示したい。

子ども達の発達や発達課題、発達特性についての啓蒙の意味も込めて。無知が一番良くないのだから。

そして、そのような機関や制度が身近にできる、あるということから、発達障がいのある人が地域で暮らしていく地域課題としても認識してもらうチャンスだと、筆者は捉えています。

そのための手段として、放課後児童クラブが発行する手紙に書き入れたいと思いました。

正しく理解されるために、正しい文章にしたいと思って、発達支援センターの職員に、「こう書き入れたいのですが、どうでしょう。」と意見を求めました。

その時に返ってきたのが、タイトルの言葉です。

まだまだ発達障がいという言葉自体に抵抗感がある人が多く、自分の子どもの発達の遅れを認められない親も多い。そのため、大々的に取り上げたり、発達支援センターを主語にするのはあまりお勧めしないと。

そうなんですけど。

そうなんですけど、発達支援センターがそこで思考停止してよいのですかね。

拙速でも良くないですし、そのために意見を聞いたのですけど。

思ったより後ろ向きで驚きました。

そして〈114〉〈115〉に書いた学童保育との連携に消極的な様ですからね。

何というか…

社会としての認識を変え、正しい知識のもと相互理解を促し、発達特性が発達障がいにならない社会を目指すとか、発達特性や発達障がいがありながらも生きづらくない社会にしていくとか、そのための発達支援センターではないのですかね。

なぜ、ひっそりこっそりやろうとするのか。

大きな差別偏見から守りたいのもわかりますけど…

長い目で見たら変革の大きなチャンスを逃してるのになと思ってしまいます。

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