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〈130〉子どもからの信用を一瞬で失う大人達

子どもも一人の人間です。当たり前に。

人を見る目はあります。

相手を信じたい、自分を信じてほしい。

そのためにどう振る舞えばいいのかを子ども達は知っています。

どの程度のところにその均衡があるかは個人によって違いますが、不均衡になれば、当たり前に不和が生じます。


大人は子どもたちに、常に互いの信用を均衡に保つことを望みますよね。

その方がトラブルは起きないし、大人は面倒でなくなりますから。

「お互い様」「どっちもどっち」

そんな言葉を盾にして、真実や子どもたちの心の奥を見て見ぬふりします。

小学生、学年が上がれば、全部見抜かれていることに気付きもせずに、不等な対応や不適切な言動に反発する子どもに対して、平気で「君のため」などと戯れ言を吐きます。


これも実体験からの学びを記しておきましょう。


子ども同士のトラブルは起きます。

約束を守ってくれない、嘘をつかれた、悪口を言われた、その程度の重さは安易に判断できるものではありません。

教師のAさんが高学年のトラブルに介入したケースは、事態が収束するまでに数ヶ月を要しました。

この教師は、それぞれの子どもから話を聞き、子ども同士の話し合いには必ず入り、たとえ双方の言い分が噛み合わずとも、埒が明かずとも、傾聴と助言を繰り返しました。

子どもの内の誰かが養護教諭を頼れば、養護教諭にも話し合いに同席してもらったり、前後のケアをしてもらったりしていました。

保護者にも、たとえ不毛な話し合いだったとしても、どんな言い分が双方にあったのかを、事実として全て教えていました。

発達特性や家庭背景なども絡みますから、問題自体は解決することが困難でしたが、「学校生活の中での学習やグループワーク、係や委員会活動ではきちんと協力し合える」ことを大人の目標に、介入と見守りを継続していました。

結果、子ども同士はやはり課題を抱えながらも、共に学び、同じ部活に入り、一緒に遊ぶまでになりました。

そして双方、教師Aさんのことは大好きです。


教師のBさんが高学年のトラブルに介入したケースは、泥沼の展開、不登校を生み出す事態となりました。

この教師は、子ども同士に話し合いはさせましたが、教師は途中退席して、何が話し合われたのかを知りませんでした。

保護者への説明も「話し合いの場を持ちました」のみで、事実関係がどこにあるのか誰もわからない状況を作り出しました。

そして教師の主観で「喧嘩」と断言し、当人同士以外の友人関係を引き合いに出してまで「どっちもどっち」を主張しました。

荒療治で「今までのことは0にして」と発言したり、子どもの代わりに教師が謝ってその場を終わらせたりなどしました。

そのため、やっていないと主張したい子どもからの信用を失いました。

そうなれば、教室は心理的安全の無い場所になってしまいましたから、子どもは学校へ行けない事態へと発展していきました。

保護者が欠席の連絡を入れれば、「来週元気で登校してきて」「月が変わったら新たな気持ちで登校してきて」と他人事。子どもは「そんなの無理だ」とさらに落胆し、保護者の信用も失いました。

事態を知った周りの子どもたちの信用も失いました。

子どもたちが「あの先生のあの言葉、ありえない。」と言う時、どんな顔をしているか知っていますか。

友達への心配、教師への怒り、「こんな人が先生なのか、大人なのか」という絶望、「自分たちの学校生活は大丈夫なのか」という不安。

この教師Bは、今までのことを0にしてでも、とにかく物理的距離をとらせ、それから「学校生活の中での学習やグループワーク、係や委員会活動ではきちんと協力し合える」ことを大人の目標に見守っていく方針でした。

その目標に到達する前に、不登校になった家族はその土地を離れる決断をしたのです。


同じ目標でも、どう介入するかで信用度も、その後の事態も全く違いますよね。

教師も、放課後児童支援員も当然、子どもと関わるのならば、自分の一つの言葉、一つの介入が適切なのか省みなければなりません。

それをせず、ついこないだまで元気に楽しく行っていた学校生活を子どもから奪い、学習の機会を奪うなんて、本当にあり得ないことです。


もう一つ。

子どもから「あの子にこんなこと言われた、された」と言われたら、どう答えますか。

言われた瞬間だけ切り取って、「気にしないのも大事」とか「水に流すことも必要」、「お前も相手に何かしたんだろう」なんて言った瞬間、信用は失われ、その後子どもは本音や大事なことを話してくれなくなりますからね。

やっと言えた、その瞬間は、相手を信用しているから出したSOSですからね。

かといって、その言葉を鵜呑みにして真実を見ようともせず、相手に正す言葉をかけることも、信用を失いますからね。

だから、大人には客観的視点、俯瞰して真実を探る視点、倫理観のある言動、それらを省みる謙虚さが必要なのです。

中立公正を履き違えてはいけません。

本当、これらが身に付いていない奴が、子どもたちと関わってくれるなと、声を大にして言いたいです。

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