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ジュエリーはアーティストの表現手段?#2


コンテンポラリージュエリー作品を買う人はどこにいる?


 CJ市場の中で活動していて気付いたのが、作り手を紹介する時に“デザイナー”と呼ぶか“アーティスト”と呼ぶか2パターンに分かれている、ということです。呼称なんてどうでもいいと思うかもしれませんが、個人的にはその違いを強く感じています。これは国や地域の差ではなく、各ギャラリー(のコレクター)や各キュレーターによって違いが見られます。

 まず“デザイナー”と呼ばれる場面ですが、主にジュエリー分野に軸を置き、着用性を第一に作品を判断している人が使う印象を持っています。新旧素材の今までにない革新的な使用方法に注目したり、デザインや造形の独創性に評価基準を置く傾向があります。自分自身で作品を身に着けることは大前提のこと、ジュエリー/作品はあくまで個人を飾る脇役的な位置付けにあり、多数の(幅広い)ジュエリー作品を集めているジュエリー好きな人を指していると思います。
 逆に“アーティスト”と呼ばれる場面では、ジュエリー分野の興味枠から少し離れた位置に立ち、作品の視覚的要素とコンセプト内容を合わせて評価している印象があります。ここでは作り手のメッセージ性や提案性に共感したり、多角的な視点や新しい価値観への挑戦などを評価している場合が多いです。作品によって着用性の重要度がまちまちなのでジュエリー本来の楽しみ方は限定されますが、アーティストの活動を応援してくれる、また長い間気に入ったアーティストをコレクションし続ける傾向にあると思います。
※中には何となく呼んでいる人もいると思うので一概には言えませんが、個人的な経験だとこのような差を感じています。


 以前ふとしたことがきっかけで、個人的に世界のCJコレクターについてリサーチしたことがありました。アメリカ、オーストラリア、ドイツ、中国のコレクターから来た返答で多くの共通点があったのでここで少しご紹介します。

・アートや他分野もコレクションしている
私のリサーチ内ではCJ専門のコレクターさんはいませんでした。アート作品やデザイン家具、骨董品等と一緒にCJ作品をコレクションの一部として購入しているそうです。信頼出来るCJ専門のギャラリーやギャラリストを通して買っている点も共通していました(母国語や文化も同じという点も信頼を置いている一つ要因)。

・身に着けたい
作品がジュエリーであるなら身に着けて楽しみたい。という意見が多かったです。作品によって着用性が低いものは勿論鑑賞して楽しむが、食器なら料理を盛り付けたいし、椅子なら座りたい。といったことも言っていました。デザインだからアートだからと言った垣根は無く、好きなものに囲まれて生活したいという印象を受けました。

・推しの日本人アーティストがいる
海外で日本人アーティストが注目されていると以前書きましたが、やはり著名なコレクター達は日本人アーティストの作品もコレクションしていました。独自の文化からくる思想の面白さ、ものつくり全般に対しての質の高さ等が主な理由として挙がっていました。西洋ジュエリーの模倣ではなく、日本人としてのアイデンティティを核にした作品/作り手が人気かもしれません。

 他にも、私にはオランダでお世話になっている2組のCJコレクターさん達がいます。先日の個展でお会いした時にコレクター活動についてその場で質問してみました。
 まず彼、彼女らに「どんな作品をコレクションしているのか?」と尋ねたところ、スマホ/タブレット内にあるアーティストごとに分けられたリストを見せてくれました。ここには通常の作品写真は勿論のこと、どのように使用しているのかの写真(着用するものは着用写真、鑑賞するものは壁掛けなのか台に置くのか等)、作品情報やコレクションした日を事細かにリストアップしていました。正直なところ、これはマメな人だからやってるんじゃないの?と思ったのですが、オランダでは普通だと聞きました。なぜならオランダのコレクター達は独自のコミュニティーを持っているから。だそうです。
 コロナパンデミック中は中断されていた時期があるそうですが、オランダのコレクター達は定期的に自身のコレクションを紹介したり、新しいアーティストを報告したりする勉強会を独自のコミュニティーで行なっているそうです。新しく作品を購入した場合には、その会場に持参または着用して行き、実物を見せながらアーティスト/作品についての情報をシェアしたり、展覧会へ行った感想やオススメの展示等の情報交換を常にしているそうです。オランダがCJ市場の中心地(ギャラリーやコレクターの多さ)と呼ばれる理由にも納得がいきましたし、リストアップするほどきちんと作品を管理してくれている点は、アーティストとしても嬉しい限りです。

 また、私はこの話を聞いて日本のコレクター団体である「ワンピース倶楽部」を思い出しました。


ワンピース倶楽部とは、現代アートマーケット拡大のため、楽しみながら、最低一年に一作品(ワンピース)を購入することを決意したアートを愛する人達の集まりです。非営利団体。
ルールは次のとおり。
(1) ワンピース倶楽部の会員は、一年の間に最低一枚、現存するプロの作家の作品を購入します。
(2) ワンピース倶楽部の会員は、自分のお気に入りの作品を見つけるために、ギャラリー巡りや、美術館巡りなど、審美眼を高めるための努力を惜しみません。
(3) ワンピース倶楽部の会員は、各年度の終了したところで開催される展覧会で、各自の購入作品を発表します。
以上、上記のルールを守りながら、ゆるやかに、楽しくアートを楽しみましょう。

http://onepiececlub.sakura.ne.jp

第1回シンポジウムにもご登壇いただいた石鍋博子さんが主催する団体で、コレクター独自のコミュニティを形成し、交流勉強会や展示会も企画しているそうです。このような“作り手”や“売り手”ではない“買い手”を育成していくことは、市場を支え、分野/文化を発展させる為に至極重要なポイントだと感じました。


CJのコレクターを増やすには?


 国内のCJ市場を活性化させる為には絶対的に“買い手”の割合が増えなければなりません(現在は「作り手8:売り手1:買い手1」くらいの差があると個人的には感じています)。
 ではどのように改善を目指すか。それには3ステップが必要だと考えています。

①CJ分野を知って興味を持ってもらう。
②その中から継続的に出資/投資してくれる人を見つける。
③その中から外部に影響力を持つ人を見つける。

①は昔から多方面の方々がチャレンジしてきた内容だと思います。しかし蓋を開けてみるとそれは残念ながら殆どのケースでうまく行ってないように思います。それは何故か。それは②に繋げることが出来なかったからです。
 私も普及活動をしていて頻繁に思うのは、発信のみで投げっぱなしで満足、もしくは諦めてしまっているという点です。①をした後は②を獲得しなければやっていないこととほぼ変わりません。どのような市場も当たり前ですが、買い手がいないと成り立たないことは常識です。時代に合わせて①の為に様々な工夫をしてきたと思いますが、これからは②にどのように繋げるかをシビアに戦略立てる必要があるのでは無いでしょうか。
 
 ここからは私の考えているプランを少しシェアします。

 私は①と②をセットにすることで上記の問題が解決できるのではないかと考えています。具体的に言うと、先に紹介した海外コレクターのように、アートや他分野の作品を集めている人に集中的にアプローチする。です。
 残念ながら一般に広く宣伝したことろで現実的な購入層は限られています。なので、その分の時間と労力を購入する可能性のある層に注ぐといったものです。これだけを聞くとビジネス思考が強いと思う方もいるかもしれませんが、作り手としては時間とお金と身体を使って作品を制作しています。一人でも多くの方に身に着けてもらいたい!と思う作り手もいると思いますが、私にはそのような発想はありません。生み出せる作品数にも活動内容にも限界があり、そして生活がかかっています。なので個人的には作品を手に出来る人が限定されることは必然だと考えています。
 ギャラリーで展示をしていると一見さんがいらっしゃいますが、こちらとしては他の関係者と変わらないように作品の説明や試着なども喜んでしています。しかし値段を伝えた途端に怒って帰られた、という経験が国内外問わず多々あります。このような経験を踏まえても、まずは私たちが作るジュエリー作品にそれ相応の価値があると判断して出資できる人をターゲットにすることは、綺麗事ではなく生存戦略として当然の結果ではないでしょうか。

 ジュエリーの歴史を見てみると、権力者から普及したジュエリーと一般庶民から普及したジュエリーが古代エジプト時代頃に明確に分かれました。前者は煌びやかな装飾性の高いジュエリー、後者はアミュレットのような願掛けのジュエリーです。その後も時代と共に両者のジュエリーは時に交わり、時に反発しながら変遷を遂げてきました。近いところで言うと、産業革命後に大量生産できるようになった宝飾ジュエリーや宝石や貴金属に依存しないコスチュームジュエリーが台頭したり(希少性で高い位置付けにあるジュエリーの偏った価値を下げて市民権を得ようとした動き)、女性の社会進出で自身で購入する人が増えたことなど、現代に近づくと(生活水準が著しく上昇してきたので)ジュエリー文化は広く一般に浸透していきました。しかし、その中でも希少な宝石を使用したジュエリーは数億円から約九十億もの値段がついています。古代エジプト時代から5000年以上経った今でも、ジュエリーは一部の層と大多数の層で分かれている歴史を辿っているのです。

まとめ


 私は、CJ作品は大多数の層から一部の層へ渡る梯子のようなものだと考えています。ジュエリーの希少価値を下げて大衆化しようとした流れと逆行するように、再び手にすることの出来る人を限定する必要性を私は提案します。その為にもアート市場を視野に入れて活動することは避けれないタイミングに立たされているのではないでしょうか(日本では特に大衆向けのジュエリー文化が成熟しています。海外から見ても先進的なファッション文化そして特異な市場があり、ある意味個人の作り手には活動を継続できる稀有な場所ではあると思います。勿論この市場を否定しているわけではありませんし、作り手の選択肢の一つとして私は他の人や場所に向けた方法を提案しているつもりです)。
 この記事を読んでくださっている作り手の中にも、今は世に知られていないだけで素晴らしい作品を生み出している方は少なからずいると思います。ジュエリー作品が国内でも評価され、海外市場に頼らない国内市場を獲得する為にも、いくつかのプロジェクトが水面化で進行中です。もし共感してくださった方がいれば是非私たちの活動を応援していただけたら幸いです。

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