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鎌倉にある墓の特徴は?「鎌倉殿の13人」の大江広元 ~著名人の墓巡り①
私は歴史上の人物の墓を巡るのが好きだ。墓シリーズの初回は大江広元(おおえの・ひろもと)だ。渋い人物だと思われるかもしれないが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1人として有名だ。
役職としては鎌倉幕府の政所(まんどころ)の別当など、今日で言えば財務大臣を務めた人物。また私が感心を抱く戦国大名、毛利家とゆかりのあるので取り上げた。広元の四男、毛利季光(すえみつ)は毛利氏の始祖でもある(写真下)。
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墓は鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)から東へ徒歩10分。1年ほど前に訪ねた時は供え物がほぼなかったが、今回はたくさんの供え物があった(写真参照)。
なかには日本酒「毛利公」も。江戸時代末期になると、長州藩士が大江の墓などを参拝していたという。彼らにとっては神聖な場所であったのだろう。ちなみに広元の左隣に毛利季光の墓がある。
墓の特徴は「やぐら」だ。洞穴(ほらあな)の中に墓があることだ。鎌倉では武士や有力者の墓がやぐらにあることが少なくない。平地が少ない鎌倉では崖を削り、その中に墓を作るということは合理的だったのだろう。
室町幕府の初代将軍、足利尊氏。その異母弟である足利直義(ただよし)の墓もまた鎌倉・浄妙寺(じょうみょうじ)にある。こちらもやぐらの中にある(写真下)。
直義は名宰相としても名をはせた人だ。しかし尊氏の参謀である高師直(こうの・もろなお)、そして尊氏の子の義詮(よしあきら)らとも対立。最期は鎌倉・延福寺で急死した。延福寺はいまは残っていないが、浄妙寺の境内にある。
直義は尊氏によって毒殺されたとも言われる。時の権力者までのぼり詰めたが、最期は兄弟間の仲が悪くなり非業の死を遂げた。そんなストーリーを踏まえて墓を眺めると、本当に権力者だったのかと思えるほどわびしい墓のたたずまいに驚く。
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墓を訪ねるのは、昔なら「故人の功績に思いをはせるためだ」と偉そうな口をたたいていたかもしれない。だが今はそれがウソのように思える。ただただ墓を見てみたいということだけだ。これまで色々とみてきたので、気の赴くままに書いていけたらと思う。
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