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「日本のエジソン」にふさわしい記念館を 長州藩の藤岡市助

藤岡市助(ふじおか・いちすけ)をご存じだろうか。明治時代、日本で初めて電灯の実験を東京で実施し、成功させた人物だ。そして東芝の創業者の1人でもある。彼の数々の業績から「日本のエジソン」「電力の父」と呼ばれている。 出身は岩国領。現在の山口県岩国市である。幕末から明治にかけて多くの偉人を輩出してきた長州藩(山口県)だが、彼の名前は政治家の影に隠れ、あまり知られていないように思う。 彼は大学の教授であり、実業家でもあった。工部大学(東京大学工学部の前身)の教授をつとめたほか、

    • 終戦から今年まで77年、明治維新から終戦までも77年

      今年に入ってからよく言われることです。 明治維新(1868年)から太平洋戦争の終結(1945年)まで77年。この間は天皇を頂点とする国家体制でした。 そして1945年から2022年までも77年。こちらは国民に主権のある民主主義体制です。 この両者を関連付けさせて色々な臆測が言われています。今年で戦後の国家体制が曲がり角を迎えるのではないかとか。 個人的にはこじつけの域を出ないとみていますが、なかなか面白い観点だと思います。 今年はウクライナ戦争の勃発や元首相の銃撃事

      • 100年も経たずに消された大都会「清洲」 信長の居城

        戦国時代の清洲(きよす)は繁栄が100年も続かなかった大都会だ。場所は愛知県清須市。名古屋駅から電車で10分程度のところだ。戦国時代は尾張国の中心地でもあった。清洲城は織田信長の居城として知られ、信長が領土を拡大するにつれ、清洲の街も大きく発展していった。 だが徳川の世になり、尾張の中心が名古屋城に移ることが決定。理由は知らないが、清洲城のあった場所は農地に戻されたそうだ。こうした動向を「清洲越し」という。清洲城はいまの名古屋城を超えるほどの大きさだった。 戦後再建された

        • 鎌倉にある墓の特徴は?「鎌倉殿の13人」の大江広元 ~著名人の墓巡り①

          私は歴史上の人物の墓を巡るのが好きだ。墓シリーズの初回は大江広元(おおえの・ひろもと)だ。渋い人物だと思われるかもしれないが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1人として有名だ。 役職としては鎌倉幕府の政所(まんどころ)の別当など、今日で言えば財務大臣を務めた人物。また私が感心を抱く戦国大名、毛利家とゆかりのあるので取り上げた。広元の四男、毛利季光(すえみつ)は毛利氏の始祖でもある(写真下)。 墓は鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)から東へ徒歩10分。1年ほど前に訪ねた時は供え物が

        「日本のエジソン」にふさわしい記念館を 長州藩の藤岡市助

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          最愛の死に男泣きした信長 ゆかりの寺が取り壊しへ

          非道な性格としても描かれる織田信長。しかし1人の女性には優しかった。のちに側室となる吉乃の方(きつののかた)だ。信忠ら3人を産んだが、29歳で亡くなったとされる。信長が男泣きした相手と伝えられる人物だ。 そんな吉乃の方にゆかりのある寺が4月にも取り壊されると聞いて驚いた。名は久昌寺(きゅうしょうじ)。彼女の戒名などにちなんでおり、吉乃の方の墓がある。愛知県江南市だ。 吉乃の方は豪族・生駒(いこま)家の出身。約600年前に寺が建てられ、中興の祖が4代目当主の妹、吉乃の方だ。

          最愛の死に男泣きした信長 ゆかりの寺が取り壊しへ

          起業家必見の展覧会 でも鉄道好きには・・・

          先日「日本の地下鉄の父」である早川徳次の展覧会を見た。東京メトロを創った人だ。 彼の座右の銘は「仕事で大事なのは人」だ。メトロの立ち上げに必要な資金は慢性的に不足気味だった。早川は多くの資産家や議員らに頭を下げてなんとか工面したという。そして95年前、やっと初の地下鉄(上野‐浅草間)が開業した。 開業までのストーリーを知ると「大事なのは人」という彼の主張は説得力がある。彼の趣旨は社員を大事にすべきということにあるようだが、私は開業までのストーリーにひき付けて響いた。 展

          起業家必見の展覧会 でも鉄道好きには・・・