100年も経たずに消された大都会「清洲」 信長の居城


清洲城(愛知県清須市)。東海道線からもよく見える

戦国時代の清洲(きよす)は繁栄が100年も続かなかった大都会だ。場所は愛知県清須市。名古屋駅から電車で10分程度のところだ。戦国時代は尾張国の中心地でもあった。清洲城は織田信長の居城として知られ、信長が領土を拡大するにつれ、清洲の街も大きく発展していった。


だが徳川の世になり、尾張の中心が名古屋城に移ることが決定。理由は知らないが、清洲城のあった場所は農地に戻されたそうだ。こうした動向を「清洲越し」という。清洲城はいまの名古屋城を超えるほどの大きさだった。

遠くには名古屋駅前の高層ビルがみえる

戦後再建された清洲城に行ってみると分かることがある。まず天守閣はお世辞にも大きいとは言えない。最上階から見渡すと住宅ばかり。いわゆる「城下町」は目の前に広がっていない。面影すらも確認しにくい。遠くには名古屋駅前の超高層ビルがみえる。

時の政権が権力を持てば、ひとつの大都会すらも消せるというのは驚きだ。もちろん今の民主主義国家でそんなことは不可能。しかし独裁者ならできる。歴史を振り返れば、こうした事例は数多くあるのだろう。ただ、日本でこうした大規模な街が消えたという事例は、藤原京とか、いわゆる都の跡地ぐらいしか私は知らない。

岐阜方面

「勝てば官軍」という言葉に即して言えば、勝者は世の中に残せる力を持っているということ。それをまざまざと見せつけられた気がした。




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