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現役時代×退職後 第5回 ■辞める時に考えたことと、起業の時に考えたこと、茨の道を進みながら考えること


 私は37才で米国の大学院に留学し、どうにか卒業できたので39才で帰国し、まもなく起業した。今から数十年前のことだけれど、たぶん性別問わず、年齢も問わずのことではないかと思うので、シリーズ「現役時代×退職後」にはならないが、そのあたりのことを書いてみようと思う。 

 留学する前には、20年弱国内で日本財団の前身の財団法人に勤めていた。かなり保守的な組織風土であったけど、たまたま会長秘書の経験があったので理事長秘書だった時には、いわゆる受けの仕事ではなく、外部との折衝や所管の国土交通省に出向くなど、あの年齢にして「露払いから、雑巾がけまで」をモットーにできるほど、とても様々なことを経験できたと思う。今振り返っても、逃げはないと鍛えられもしたけど、あれほど面白い仕事はなかったという印象だ。その職場を35才ぐらいの時に辞めた。すぐに留学の予定だったが、これもまた、たまたま大臣秘書にという声が掛かったので、そちらを少し手伝い、まもなく渡米してしまった。

 財団を辞めたのはその約10年前に、海外との内外価格差の発端は現地と日本の人件費の違いだと云うことを痛感した一件があり、それに加えたIT化は必ず日本の年功序列型賃金を揺さぶると認識したことがあった。留学したのは、その回避策を探すことが目的だった。
 先にも述べたが、もったいないほどいろいろなことを得ることができた仕事だったので、正直、まさか「辞める」の判断を自分がするとは思わなかった。ところが迷った時、勤続する場合と辞めた場合の比較リストを作ったら、勤続するリストに出てきたのは全て「○○になるだろう」であり、辞めた場合にでてきたは「○○する」だったことが、私の背中を留学へと押した。組織にいる以上、自分の舵は組織に委ねることになるのは当然だ。けれども、人生は短い。「○○する」を選ぶのにさほどの時間は要しなかった。 すぐに取りかかったのが、帰国後の財政的自立の土台づくりだった。日本社会の再就職の壁は高い。留学し、卒業できましたで帰国しても、すぐの再就職なんてあり得ないを前提に、留学計画を組み立てた。

 このことからお勧めは、人生の岐路に立ったと思った時には「現状維持と切り替え後との比較表」を作ってみることだ。具体的な人生設計を様々な視点で冷静に検討しやすくなると思う。
 
 帰国後は案の定、再就職の壁は高かった。どうしようかと相談にのってもらった時に「起業したら?」の意見をもらったのをきっかけに、起業して今日に至っている。かれこれ20数年になるが、どうにか人様に迷惑掛けずに済んでいるのは、留学時にかなりきめ細かく財政的自立を考えることができたということ、もう一つは大病せずにこられたことがあると思う。

 もちろんまだ、「○○になるだろう」ではなく、「○○する」を選んだことの答えは出ていない。出てはいないけど、これまで竹村健一氏との共著で本を出したり、10数年間継続して原稿依頼を頂く先を幾つか持てているなんてことは、「○○する」を選んだからだと思うが、よって私の場合、「退職」も「○○する」を選んだので、私自身の気持ちで決まることになっている。

 もし「○○になるだろう」を選んでいたら、日本財団は船舶業界の所属だったから土木の業界には距離があっただろうし、こうして成熟シビル小委員会のメンバーに入れて頂くこともなかったろうと思う。これも、IT時代は頭脳労働を求めるから価値ある労働資源は「経験」で、だから高齢者ほど価値ある労働力になるはずなのに、いつまでもIT以前には価値のあった体力依存の労働力しか対象にできていない状況に何かできないかという思いが引き金だった。日本の雇用が圧倒的に問題なのは、若手の経験未熟さの底上げする業務教育の視点が欠けていることだと思う。つまりは業務教育のカリキュラムの中で、IT下でのOJT というか、OJTとITとの調整が取れていないことだと考えている。
 まぁ、こんなことを思ったり、いろんな人々との接触を持てているのも「○○する」の一つの形だと思う。

 そうそう、再就職せず起業したまま走り続けるのは、結構、シンドイ。このシンドサをどうやったら乗り越えられるだろうか。こんなことも参考になるかも知れぬと思うので、書いてみることにする。 よく、起業の時の「思い」だという声を聞く。もちろんそれは当然なのだが、その進もうと思う気持ちを支えてくれているものの方が大事で、私の場合、それは組織で働いていた時の充足感だと思う。「充足のレベル」を自分の心の中に作っておくこと。するとそれが一つのゴールになり、茨の道(笑)もそのためのロードに思えてくる。
幸いなことに、私にはそれがあった。

 もちろん、ラッキー、ハッピーばかりではなかったし、休日は年末年始だけといってもよかったし、今風に云うなら鬱になりかけたこともある。おかげで「男性にとっての働く」とか「女性にとっての働く」、「賃金と働く」と合わせて、「人間にとっての働く」をつくづく考える機会を得た。これへの私の結論は「神様の差配は、よくできている」だった。

 「逃げ」をうたないことを組織が学ばせてくれたお陰で、学んだことはたくさんあるが、これも茨の道を進んでいく時には、学習しておいてよかったなぁ〜と思うことの一つだ。そんなことも全部ひっくるめて、様々から学習ができた。
 辞めたばかりの時、組織への不満はなんだったかと尋ねられたものだったが、組織の外に目的ができてしまったからという理由を伝えるのは存外、難しいものだとも感じている。

人間なんて、そんなもんだ。(笑)
それほど組織という真綿は、温かい。

 そんなことから、次を自分で歩むことを考えている人には、後ろには不満ではなく「充足」の形に整えておくことをお勧めする。不満で辞めると、満足を探すことになりかねない。ところが、満足は自分の心が作るものだ。人間の欲求は際限がないものだから、それはたぶん一生、外からは得られるものではない。人生、すり切れてしまうのではないかと懸念する。

 現在「○○する」を進む中での岐路の判断にあるのは、あの「充足レベル」と、あの「真綿の温かさ」が先に見えるか、感じられるかとなっているのは自覚できる。

 年功序列型賃金のソフトランディング先は、経験序列型賃金だという思いで、スパートを駆けている昨今だが、ここまで「○○する」を選んできての一つの心残りとすれば、仕事に没頭しすぎて出産というワードすらが、近寄ってこなかったことが上げられる。

 「産めない」のではなく、「産まない」決断は私にとっては厳しいモノだったが、それも自分の見つけてしまった「年功序列型賃金のソフトランディング先」を見つけるという目的のためには、飲まざるを得ない時代だった。
 
 「二兎追うものは、一兎も得ず」ではなく、「二兎も得られる」という昨今では、それだけ人生迷うことだらけになっているのかもしれないが、「人生は短い」ということだけはリアルだ。

 そんなわけで、これからも進んでいくので、どうぞよろしく。


 
                       2022.12.01 執筆:G


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