見出し画像

シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第6回 正木 啓子氏『夢の架け橋に魅せられて』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

大阪ガス株式会社 近畿圏部顧問
1947 年生まれ。神戸大学大学院終了後、1972 年に大阪府入庁。
技術職として企画、計画・設計、現場など多様な職場を経験。2006年に退職後、大阪府道路公社を経て現在に至る。土木学会理事、都市計画学会関西支部副支部長、大阪市都市計画審議会委員など歴任。
インタビュー日: 2013 年 4 月 30 日
聞 き 手 : 高橋麻理、松本健一、山登武志

再掲載に当たって(委員会より)
 
女性だから,女性なのに,という枕詞がタブー視されつつある現代では考えられないほど,女性という存在が異質の中,女性土木技術者の道を切り開かれた正木啓子さん.がむしゃらに頑張るというよりは,まわりの状況を見ながら肩肘を張らずに自然体で仕事を続けてこられた印象を受けました.しかし,最初の女性という重圧を背負っていたことは想像に難くなく,芯の強さと柔軟さを合わせ持つとても魅力的な方だと感じました.また,“早めに退職後にどうしたいかを決めること”というのは印象的で,ご自身も退職後のために 55 歳で技術士を取得され,人脈作りや情報収集など退職前から着々と準備を進められてきたそうです.少しずつ,少し先の未来を考えながら今何をすべきかと考えていきたいと思いました.  (2022.9.30 しぶ)

市の行政運営のお手伝い

現在の仕事を教えてください
 大阪ガスでは、近畿圏部顧問として、地域開発への助言や営業職などの若い人に都市計画や開発計画について知見を広げてもらうための学習会の講師などをしています。
 行政関連では、現在は堺市都市計画審議会をはじめ大阪府下の市の開発審査会や建築審査会、委員会に参加しています。その他、兵庫県下の市の委員会や都市計画関係の NPO のお手伝いをしています。小さな市では、技術職員一人で計画から現場まで様々な業務をこなさなければならない状況にあります。コンサルタントや建設会社からの資料のチェックや課題整理をするとき相談する相手がいないのです。このような場合には、アドバイスを行ったこともあります。あと、女性技術職員の勉強会なども企画しています。

現在の仕事は以前から予定されたものですか?
 市のお手伝いは、府庁時代からやりたいと思っていました。市役所の行政運営支援には、地方公務員の経験が役立ちます。退職前にやりたいと思っていたことのいくらかは実現できていると思います。

夢の架け橋に魅せられて

これまでの経歴を聞かせてください
 神戸の出身で、ずっと神戸で育ちました。中学生のときに本四架橋を題材にした「夢の架け橋」という副読本が配られました。これを読んで橋を架けたいと憧れたのが土木を志したきっかけです。同じ頃、通学路でコンクリート版を使い小さな橋を架ける工事を見て簡単そうに思えたので、自分にもできるだろうと考えました。今思うと、当時まだ珍しかった工場製作の PC 桁の架設工事だったのでしょう。簡単だなんてとんでもないことでした。
国公立大学では初の土木工学科の女子学生と言われ、学卒時、土木職の求人は男子のみで、就職先がないこともあって大学院へ進み交通工学を専攻しました。大学院で大阪の都市計画をテーマにしていたことが幸いしたのか、修
士課程修了時、なんとか大阪府の採用試験を受けさせてもらえることになり、入庁しました。当初の希望は、神戸市役所で働きたかったのですが、当時は、民間はもちろん、官公庁もどこも土木職の女子の募集はなく、採用試験も受けさせてもらえませんでした。
26 歳で結婚し、31 歳までに出産しました。その間、現場に出させて欲しいという希望をいつも上司に出していました。子どもが小さい間は、家庭保育や延長保育を含め保育所の保母さんに助けていただいて仕事を続けてきました。定時に退庁しても保育時間に間に合わず、無理だ、やめようと思ったことも何回かあります。
 子育てが落ち着いてきた 30 歳代後半からは現場事務所にも出してもらい、計画から施工までの土木の面白さを体験しました。とにかく、何をするにも女性で初めてだったので、周りがかなり気を遣ってくれました。私自身も最初の女性土木職員なので、失敗すると後の女性の仕事に影響すると思い、ある意味一生懸命でした。今では、大阪府は、女性技術者も男性技術者と同じように現場事務所に異動になっていますから、悪い例にはならなかったようですね。
 府庁に、女性の後輩が入庁したのは私が入庁してから 20 年後です。後輩が入ってからは、私の奔放な言動で後輩に迷惑がかからないように気をつけました。

思い出に残っているプロジェクトは
 20 歳代で、大阪モノレールのルート計画を作って、30 歳代にモノレール建設事業所で工事を担当しました。夜間工事などもありましたが、自分で計画したものに現場で携わることができ、満足感がありました。
 40 歳代では、現場事務所や大規模区画整理事業にかかわり、建設省や UR の方々との調整で、東京で仕事をすることもたびたびでした。
 50 歳代には、都市計画道路の見直しや都市防災計画の立案を行いました。阪神淡路大震災での自分自身の経験から、当時所長をしていた府営公園の防災公園化を図りました。管理職としての権限もあったため、緊急時の安全安心を目標にやりたいことができました。
 仕事上は、いろいろな問題がありますが、大きな事故・事件に出会わず幸運でした。

府庁での経験を生かして

現在のお仕事のための準備はいつごろからどのように
 58 歳で大阪府を早期退職してから道路公社役員に、その後、縁あって大阪ガスに。府庁を退職後に都市計画などの手伝いができるような準備として、55 歳で技術士を取得しました。

退職前に身につけておいた方が良かったことは
人脈作り。仕事以外での知り合いも含めて、人と人とのつながりが大切ですね。人に会う、いろいろな場所に行くなど、大いに知見を広げてください。情報収集がさらに広がります。それと、何か情報を得たときに、思い込みはやめて原点に戻り考えてみる習慣が必要です。あとは、仕事をスムーズに進
めるための資格ですね。

過去の経緯の問い合わせ窓口を創る

今後の予定は
 60 歳代も後半になると、年と共に体力・気力が次第に衰えてきます。ある時期が来たら仕事の整理も必要だと考えています。
 引退する前に、これからの大阪府の現役技術者のために、公共事業の過去の経緯などを問い合わせる窓口を創れないかと考えています。継続的に、温故知新が可能なようにしておきたいのです。

資格取得や学会活動を

これから退職を迎える技術者へのメッセージを
 まず、当然のことですが、早めに退職後にどうしたいかを決めることです。そして、そのために自分自身のスキルアップを図るだけでなく、資格など、将来の活動に必要なものを身につけることが必要です。学会活動は、研究や勉強もでき、人のつながりも得て、対外的にも評価されやすいですね。
 それから、女性には、会議でも業務でも、とにかく発言をして欲しいと思っています。特に、自分が抱えている課題は周りに発信しないと誰にもわかってもらえません。土木の仕事は日常生活すべてに関連がありますから、身近なところからの経験がきっと役に立つと思います。
                         (文責:高橋麻理)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?