シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第14回 安江哲氏『市民目線で「人財」を育てる』
この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。
(株)北未来技研 代表取締役社長
特定非営利活動法人 ポロクル常務理事
(公社)ツール・ド・北海道 理事 他
1952 年生まれ。北海道出身。1975 年 北海道開発コンサルタント(株)(現:(株)ドーコン)入社。主に橋梁設計・景観デザイン・アセットマネジメント・橋梁メンテナンス等の業務に従事。2009年~2012年(株)ドーコン取締役執行役員、2011年~2015年(株)ドーコンモビリティデザイン代表取締役社長、2012年~2014年(株)北海道エアシステム取締役、2011年~(株)北未来技研 代表取締役社長、2012年~(公社)ツール・ド・北海道 理事。2015年~特定非営利活動法人ポロクル常務理事。
インタビュー日: 2015 年 2 月 25 日
聞 き 手 :加藤隆,山登武志,日比野直彦,菊地良範
吊橋の写真に魅せられて
設計の仕事を選んだ理由は?
大学時代に、雑誌に掲載されたニューヨークの「ヴェラザノ・ナローズ橋」の写真に魅せられて橋梁研究室に入ったことがひとつのきっかけです。また、地元の北海道伊達市での小学校時代に、通学路から見える場所に新しい国道のアーチ橋の現場があり、子供のころからヘルメットをかぶる土木技術者に憧れがありました。後からわかったことですが、その橋は北海道開発局初のコンクリートアーチ橋で、当時の現場技師だった北海道開発局の技術者が、後の自身の上司となり、若いころの夢を叶えてくれる存在となりました。
コンサルタントでの経験は?
建設コンサルタントに入社当初はオイルショックの時代で、橋梁の実施設計にほぼ休みなしで従事し、疲弊して辞めようと思ったこともありましたが、何とか続けているうちに、鋼橋の設計ならば、計算書の作成から図面の作図までを数日で一つの橋ができるまでにスキルを身につけることができました。
30代の頃は、27歳当時の新婚旅行でサンフランシスコの金門橋を見て以来、吊橋の設計を希望していました。38歳にて念願が叶い、吊橋のエンジニアとして本四公団に出向し、明石海峡大橋のケーブル設計に従事しました。
40代には、橋梁マネジメントシステム(BMS)やアセットマネジメント
に関する研究や業務に従事しました。また、1995年に阪神・淡路大震災を経験したことが、その後の大きな転機となりました。
50代には、土木学会にて阪神・淡路大震災の10周年記念行事の企画を任され、日本建築学会とのコラボレーションを実現させました。
その際、NPO法人「東京いのちのポータルサイト」の方々と出会うことになり、「市民目線」で物事を考える重要性に気づかされました。
2009年からは、ドーコンの取締役本部長として経営を担当しつつ、新規事業としてサイクルシェアリング「ポロクル」を研究し、2011年から事業化をスタートさせました。現在は、関連会社である北未来技研にて、建設コンサルタントの経営に携わりながら、NPO 活動等に取り組んでいます。
市民目線での「人財」づくり
サイクルシェアリングについて
サイクルシェアリング「ポロクル」は、冬場は降雪のため半年しか自転車が使えない札幌で立ち上げたサイクルシェアリング事業で、近年NPO法人となりました。会員数は 9,000人で、近年は海外からも観光ツアーの需要が増えるなど、着実に利用者が増えています。
「ポロクル」では、スタッフが自転車交通マナーの向上を訴えたり、街の人々に挨拶を始めるなど、市民目線でまちづくりに貢献できるような取組みを行っています。
「ポロクル」の活動は、自転車シェアリングにとどまらず、違法駐輪の減少によるまちなみ景観の向上や札幌都心部の活性化、交通安全、環境保全に取り組むなど、先進的な取り組みを行ってきました。
スタッフが街の中で交通マナーを守り、気持ちよく挨拶をすることをやり続ければ、それが連鎖してより良い環境が出来上がってくると思います。こうした取り組みによって、美しい都市環境を創造することは、次世代の人々への大きなプレゼントになると考えています。
他にも幅広い活動
「ポロクル」の他に、50代からは NPO 法人オーガニックサポートの理事として、安全な食材の教育活動を行っています。また、最近20年間にわたり、「本州・北海道架橋を考える会」にも携わっており、架橋についての技術的な研究にとどまらず、両岸の函館や青森県大間の住民同士の交流などにも取り組んでいます。さらに、航空会社(北海道エアシステム)の取締役として従事し、拠点空港である丘珠空港の活性化や、チャーター機を利用した他地域との観光・交流イベントなどにも精力的に取り組んでいます。
土木技術者に退職は無い!
市民と同じ目線でものを見る
私が仕事のやり方を変えたタイミングは、NPO を立ち上げ、活動を開始し始めてからです。私が NPO法人での活動などを行う際にいつも心がけていることは、市民と同じ目線でものを見るようにすることです。たとえば、オーガニックサポートでの食育活動では、子供たちとともに水田に入り、微生物がいる泥の中は温かいことを子供たちと同じ目線で話すようにしています。
その時、子供たちは生きているということを肌で感じ、キラキラと輝く目になってくれます。土木技術者の仕事も同様に、公共工事の顧客は行政ではなく、本来の顧客である市民の目線に立って謙虚な気持ちになってものを見て、共に学び、感じようとすることが重要なのではないでしょうか。
北海道の地域活性化について
北海道の市民の皆さんと同じ目線で活動することで、本州と北海道を架橋する夢などを地元の方々と共有しつつ、地域を活性化させる活動を続けていきたいと考えています。北海道は、地域としては最近あまり元気がなく、道民は常に東京の中央省庁が何とかしてくれるだろうと受け身の体勢になっているのではないかと思います。今こそ地域活性化の担い手となる人財を育て、明日の北海道を主体的に良い方向に変えていけるようにしたいと思います。
自身の経験を次の世代へ
私は、土木技術者には「退職」というものは無いと考えています。60歳を過ぎても、社会貢献活動を積極的に行ってほしいと思います。経験工学である土木の世界には、豊富な経験を活かして後方支援を行う場所はたくさんあるのではないかと思います。自身の経験は「宝」であり、その経験を次の世代に受け継ぐことが我々シニアエンジニアの使命だと思います。そのために
は、「いばらず」「よいしょせず」「市民の目線で」物事に取り組むことが大事と考えます。
(文責:加藤 隆)
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