見出し画像

ピアノのレッスン



お姉ちゃんたちみたいに、私もやりたい! と、物心ついた頃には部屋の隅にあるアップライトピアノを触っていた。

それをみた母が、ドはどんぐり、レはレモン、ミはみかんのシールで覚える教則本を用意してくれたので、遊ぶように楽譜の読み方を覚えつつ、3歳になれば姉たちと同じピアノ教室に通うようになった。

画像4

はやく姉たちのように弾きたいからと前のめりに練習して、5歳になればいっぱしに演奏できるようになり、幼稚園で電子オルガンを弾けばみんな感心してくれる。

小学生の頃はピアノを習っている同級生が多かったので、音楽会の伴奏を弾くには、クラスのみんなに一番上手だと認めてもらわなきゃいけない。そこで夏休みを捧げ必死で練習し、いつも一位を勝ち取った。昼休みには大嫌いなドッチボールからは逃げて、音楽室でグランドピアノを弾いていれば、ほかの学年の子たちも集まってきてくれる。YouTubeなんてない時代、比較対象は学校の中だけ。クラスの中で一番、学校の中で一番、というのは子どもの自尊心を満たすには余りあるほどの称号だった。

画像5

家の中でも「お姉ちゃんたちよりも上手やね」「舞が一番上手」と褒められるようになり、私の能力をもっと伸ばそうという母のはからいで、それまでの牧歌的なピアノ教室を離れ、ひとりだけ厳しい先生のもとに送り込まれた。小学4年生の頃だった。

はじめてのレッスンでは、得意げにモーツァルトを披露した。すると先生は明らかに残念な顔をして、もっと基礎的な曲からやりましょう、と提案してきた。


「とにかく最初は我慢して、ペダルも使わず、タッチを磨きなさい」
「そんな風に身体を動かしちゃだめ!」



根本的な奏法や、身体の使い方が間違っていることを指摘されて、そこからは練習というより、訓練になった。弱い左手を訓練しつつ、ノートに訓練回数をチェックしていく忍耐の日々。クラスメイトで他の教室に通っている子は、昼休みに電子オルガンで流行りの音楽を弾いてチヤホヤされているのだけれど、私に与えられたのは単調な練習曲と地味なバッハのみ。しかも1日でも訓練をサボれば先生にはお見通しなので、ひたすらスタッカートでバッハを一音一音蹴り続ける地味な毎日。

楽譜の余白には、あれもダメ、これもダメ、という注意書きばかりが増えていく。音楽番組の中で立ったままピアノを弾くシンガー・ソングライターを見ては「こんなの駄目じゃん、重心がずれてるよ」と批判するようになっていた。正しい音楽とは、我慢であり、美しいピアニッシモであり、正しい身体の使い方である。そこから逸脱するものはみな法律違反、犯罪なのである!


我慢。我慢、我慢……。そうして我慢を積み上げていくと確かに、それまで誰が弾いても大差ないと思っていた我が家のアップライトピアノでも、出る音色がまるで変わってくる。身体の使い方が出来てくると、先生は、クレッシェンドのときは単純に音を大きくするのではなく、大木が風でうねる姿を想像しなさい……とか、発展的なアドバイスもしてくれる。習う曲も豊かになって、冷たくて荘厳なロシアのラフマニノフやプロコフィエフ、華やかなフランスのシャブリエ、おしゃれで型破りなアメリカのガーシュウィン……日本から一歩も出たことがなかったけれど、さまざまな国の情景を脳内に思い描きながら練習する時間は確かに楽しかった。

そんなピアノの練習を聴いた祖母が、アップライトでは伸びないだろうと、ある日YAMAHAのグランドピアノを買ってくれることになった。嬉しい!とはしゃぎながらも、クレーンで運び込まれた、部屋の大半を埋め尽くすツヤツヤの黒い物体を前にすると「とんでもないものを与えられえしまった!」というプレッシャーのほうが勝ってしまう。家にグランドピアノがあるなんて、音大生か、ピアノの教室か、お金持ちくらいなものじゃない。我が家はべつに、そのどれにもあてはまらないっていうのに!

そしてピアノ屋さんではコンサートホールのように美しく聞こえたその音色も、家で弾いてみるとなんだかいまいちパッとしない。今思えば、ベッドやクローゼットでぎゅうぎゅうの部屋は布が多すぎて響きようがなかったし、その上湿気すぎていたんだろう。なんだか、こんもりした音になってしまうなぁ……と思いつつ、投資に値するだけの演奏をしなければ……と大きなピアノで練習に励んだ。


茶髪でピアスを開けた高校生になっても、友達からのカラオケの誘いを断り、壁とグランドピアノの間に挟まれて、そこから見える変わらない風景にうんざりするのが日課だった。目の前には楽譜、左にはメトロノーム、後ろには壁、そして椅子に座るギャルになりそびれた私。もっと広い世界に行きたいのに、どうしてこんな狭い部屋で毎日、昔の音楽ばかり弾いているのか! 

けれども母が台所からヒョイと顔を出し、「いまの、良かったで!」だなんて褒めてくれる。ピアノを辞めると、母からの期待や、祖母からの贈り物ををドブに捨ててしまうような気がして、辞めたいだなんて言える訳なかった。成績そこそこ、注意力散漫、滅多に褒められることがない私は、せめてもの特技を長く続けておかなければと。


そうした高校時代の中で、美術の時間だけは天国だった。自由な先生だったこともあり、どんな素材を選ぼうと、どんなテーマを選ぼうと、ルール違反だと怒られることはない。むしろ逸脱すればするほどに「おもろいやん!」とその気概や発想を褒めてくれる。アートのことはなんにも知らなかったけれど、それでも、アートは表現界のユートピアのように輝いて見えたのだ。

美大に行こう。そしてピアノを辞めよう。そう決心できた。ピアノの練習からも、訓練ばかりのストイックな表現の世界からも、もう解放されたかったし、そこから逃げられるだけの理由がやっと見つかったのだ。

「やっぱり美大に行きたい」と親に伝えたとき、人生ではじめての反抗期のような気持ちになり、喋りながらわんわんと泣いてしまった。親の思い描くような正しい娘になれなくて申し訳ない気持ちと、やっと自分で決めた人生を歩める気持ちがぐちゃぐちゃになり、混乱してしまったのだ。突然の美大宣言をしながら泣きじゃくる私を前に、親は呆気にとられながらも応援してくれて、今度は「画家になるの?有名になるかもしれないんやったら、舞の落書きはとっといたほうがいい?」だなんてワクワクしはじめた。(画家になりたくて美大に進んだ訳ではないのだけれど!)

部屋の半分以上を占領していたピアノはただのでかい置物に変わり、「毎日の訓練」という大きな足枷がとれて自由になった私は、出来る限りの時間を家の外で過ごすようになった。ある意味では、アートが自由を与えてくれた、みたいな話かもしれない。


──


でも、アートは自由。音楽は不自由。どうしてそう思い至ってしまったのだろう?

これらは、さまざまな大陸で作られた、かつての楽器たち。これはアートだろうか? 音楽だろうか? 


ここから先は

942字 / 3画像

暮らしや文化芸術、社会問題について私の視点で思案しつつ、エッセイとして月三本程度お届けします。 読…

『視点』エッセイ月3本

¥500 / 月

『視点」エッセイ月3本と、不定期散文も。

¥700 / 月

新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。