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本をはじめて出した私の反省点




「文藝春秋の山本と申します」


というタイトルのメールを受信した。2020年7月21日、アメリカ東部は夜の24時。その一文を見て「私、やらかしたか?」と我が身を省みたけれど、べつに心当たりはない。いや、人生にやましいことなんて山程あるが、私程度の人間のやましいことなんて、世の中的にはクソほどどうでもいい。

じゃあ、知り合いがなんかやらかしたのか? という下衆な好奇心に包まれてメールを開いてみたところ、そこにはただただ、私の記事への丁寧な感想が綴られていた。加えて最後に、「塩谷さんの言葉を、本というかたちでより広く多くの方に届けられないかと考えております。」と書いてあった。はぁ、そっちですか!

驚いたのは、そのメールの内容がとても文学的であること。メールボックスの中で、飛び抜けて異色だった。

こちとら業務連絡なんて

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で済ませる趣なし人間だ。というか、メール自体最近ろくに使っていない。ITベンチャーとスタートアップの広報を経てフリーライター。合理性を愛し、紙の書類を憎み、我こそが働き方改革ですよという顔をして生きてきた。

……という人間が、文芸の世界にお邪魔して、文藝春秋から文芸エッセイなる類の本を出させてもらうことになったんですから、当然制作過程ではてんやわんやとなる訳です。出版や文芸の世界では当たり前、けれども私にとっては驚愕の出来事は数知れず。二度とデビュー作は書かないのだし、その記憶が薄れないうちに、裏側のことを書いておこっと。



ちっとも書き始められない、10月

山本さんが私に相談してくださった段階ではもう、企画会議で既にGOが出ていたようで、骨組みはあらかた出来ていた。タイトルも、既に決まっていた。『ここじゃない世界に行きたかった』。これは、過去に書いたエッセイのタイトルに過ぎなかったのだけれども、とてもいいいなぁ、と気に入った。あれこれ雑多に書く私だが、このタイトルであれば、全体の背骨になってくれると嬉しく思った。

そして、すぐに過去の記事が編まれたwordファイルが送られてきた。もちろん叩き台ではあるのだけれど、既に本のような姿形をしているのでびっくりした。独立独歩でやってきた身としては、途端に動く歩道に乗ったような気持ちだ。景色がビュンビュン進んでいく。

ただ、10月半ばまでは引っ越しやら大型イベントやらで多忙だったので、10月後半になってようやく腰を据えて、wordに向き合える時間がとれた。そこで毎日机に座り、wordを開いて、しばらく愕然とする。はぁ、10万文字。こんな文字の大群に挑んだことがないんだわ。

その上、私はかなりの遅読なので、「ざっと通して読んでみるかー」と読み始めるだけで丸2日かかる。これが絵画の制作過程であれば、俯瞰して見て、接近して見て……というのを交互に出来るだろうに。演劇の通し稽古であっても、2時間で済むのに。本というのは、小さいのに時間がかかるメディアだ。しかも、読んでいると気になるところが出てくるので、修正し始めるとキリがない。

今思えば、最初から印刷して読んでおけば良かった。そうすれば、手書きでざっくり適当にメモをしながら、ざっと読めた。wordで読んでいると、読んでる間に、どうしても重箱の隅をつついてしまう。


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そして、序盤の文章は、2,3年前に書いたものが中心である。3年前のものなんて荒削りがひどくて、冷静に読み進められない。未熟な思考と表現にオェェとなりながらも、ひたすら重箱の隅をつついていく。もはや、上からペンキで塗り直していくように修正を加える。原型がなくなってきた頃、そろそろ良いのでは……?高品質なのでは??? と思って意気揚々と山本さんに提出してみたところ、「前のほうが、ずっといいです」と。落ち込んだ。


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。