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先日打ち合わせに東京の渋谷を約一年ぶりに訪れました。一泊二日の目的としては有意義な時間を過ごせた半面、道々渋谷の再開発の凄さに圧倒されるもどこか寂寥感の方が勝っていました。桜丘町までいくのに一苦労で、まさにオノボリさんそのものです。

渋谷駅からの移動

神宮外苑のいちょう並木を伐採の再開発問題が紙面によく上がるように、東京はこれまでにないリストラクチャーの波を起こしているのだと実感する次第です。
東京生まれ東京育ちの方も恐らく違和感を目の当たりにされている筈だと推測します。

ここで何故ヨーロッパのように街を変えずに維持する事が日本はできないのか、よく言われるのは島国故の地震発生率の高さと比べて耐震設計に日本の建造物は概ねできていない為、災害がもし起きたら抗えない想定から鉄筋コンクリート造が推奨される由縁があります。
もう一点は人口分布での都市型集中の弊害が挙げられます。多すぎる人口に対応する為のキャパシティを広げて機能性を高める環境整備の側面です。
ヨーロッパは概ね衛星都市型で、大都市部人口が過密状態ではありません。
日本は完全に大都市型集中の地方過疎化の加速が緩む気配がなく、様々な計画の進行過程にあっても穏当にいかない難しさが否めないのです。

にしても根本的には伝統よりも発展を好む性質が日本人に古来からあるのだと覚る点は誰しも思うのではないでしょうか。不便になれば潰して作り変える。維持していく意義より新しさを尊ぶ。外国文化や外国価値観の方が優れていると考える劣等感の克服…
渋谷の再開発と合わせて翌日、足を伸ばした下北沢の再開発を前にふと、日本人論を考えてみました。

例えば一度、都会に出て地方に戻ることの動機を経済に左右されるとしても、戻る理由によってその後の過ごし方、考え方への影響はあるかもしれないと思います。
人生設計を便利と飽きない情報経済の中に身を置くことのみが全て正しいとすれば、もっと一般人は勉強して知識をもちリテラシーを磨いて、選択の人生を歩んでも良さそうなものですが、なかなか勇気をもつことの決断はできないものだとジレンマも見え隠れします。

誰もやらない事をやってみるには、誰もができる事を一定期間やり続ける事での忍耐力や信頼感を醸成する前段階があっての理想像を描く企画力、その根拠が必要だと考えます。

10月にオープンさせた『漁港口の映画館 シネマポスト』を立ち上げた意味はそうした空洞化しつつある地方に抗わねば、開発こそすべて、大都市の植民地のような位置付けになりかけていて文化も芸術も地方は寝る場所に過ぎないのかという視点を少なくとも私は独立性を保ちたいと思う部分は否定できません。

そしてシネマポストのオープンより第四弾に南米チリのアニメーション作家・レオン&コシーニャが描き出すストップモーションアニメ『オオカミの家』を上映できていることにシンプルな喜びを感じています。
共感の輪が小さな波紋から広がっていくイメージで努めていきます。

【漁港口の映画館 シネマポスト上映情報:『オオカミの家』】
上映期間:11月18日(土)〜11月24日(金)まで詳しくはシネマポスト・ホームページへ


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