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食べる女はかわいい エッセイ編

いっぱい食べるキミが好き、と軽快なリズムで歌うCMが懐かしい。
しかし、あのCM以外でいっぱい食べる女性が好きだと公言する男性に出会ったことがないのは、私の世界の狭さが故なのだろうか。
(男性歌手が歌う歌が、女性モデルを起用したCMで使われていたから、男性が女性に贈った歌だと思っているけれど、逆のパターンもあり得る。しかし、いっぱい食べる男性を好きな女性には会ったことがあるんだよな)

私はいっぱい食べる女性が好きだ。
目の前でランチ残されるより、デザートまでぺろりと行く人と仲良くしたい。私自身が食いしん坊だから仲間を求めている、というのもあるけれど、それ以上に、いっぱい食べる女性は年齢問わず本当にかわいいと思うのだ。

だから、女性が書く食べるエッセイも大好きだ。
昨日紹介した、くどうれいんさんの『わたしを空腹にしないほうがいい』もとても愛おしい食べるエッセイだ。

『わたしを空腹にしないほうがいい』を読んでいると、食べるという行為がいかに体力を使うことなのか、ということを思い知る。
食べるという行為は、様々な精神的疲労と結びつきやすい。食べなければ力は出ないのに、食べる力もない、ということがあるし、食べなければという意識から必要以上に食べる行為に力を費やしてしまうことがある。

くどうさんは、食べることと体力の距離感を適切に描いている。
食べられないことも食べすぎることも正しくない。
自身の空腹と満腹にこうも向き合っているエッセイがあるだろうかと思う。

食べることは生きることだ。玄米せんせいもそう言ってた。

食べることは生きること。
それは江國香織さんの文章を読んでいても、その通りだと思う。

『泣かない子供』も『やわらかなレタス』もエッセイだ。
『やわらかなレタス』はそもそも食にまつわるエッセイ集で、帯文にも
「食べものをめぐる言葉と、小説、旅、そして日々のよしなごと。」とある。
『泣かない子供』は数ある江國さんのエッセイ集の中で私が一番好きなやつ。この本には私の個人的なエピソードも含めて、語りたいことがたくさんあるのだけれど、それはまたの機会に。

江國さんも、食べることと生きることが直結しているんだろうな、という印象を受ける。生き物はなんだって食べないと死んでしまうんだから、そんなの当たり前なのだけれど。

江國さんの食べるエッセイを読んでいると、もっと食べることに真面目に生きなければ、と反省してしまうのだ。
食はエンターテイメント、という感覚が最近ある。安くておいしいもので世間は溢れていて、どこまでもどこまでも美味しいものをトレジャーハンティングのように探しに行けるようになった。でも、食べることってもっともっと、身に食い込むくらいの位置づけにあるもののはず。だって、食べないと私たちは死んでしまうのだから。
江國さんの食べるエッセイは、江國さんの身に食い込んだ食べものの話なんだわ。

江國さんの食べるエッセイで一つ、特に印象に残っているのに、今回どうしても見つけることが出来なかったものがある。
細かなニュアンスは異なるかもしれないが、

果実を肉のようにたべる。私は肉食だったのだ。

というような旨のものである。

江國さんがご自宅では果実を主食にしているというのは、いくつかのエッセイで度々書き記されているのだけれど、上記の一文(に、近いもの)を読んだ時に、「これこそ!」と江國香織という作家像に強い憧れを抱いた。こういう大人に、私はなりたい、と若き日の木庭は夢を見たのである。

だれか、ピーンと来た人いましたら、ぜひとも教えていただきたく。
お願いいたします。

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