自分の気持ちと体が喜ぶことを惜しまない。
雨足の激しさに、活力がすべて奪われていくように感じる。
感じているのは確かがけれど、それは実は得体のしれない、実態のわからない何かでしかなくて、それには負けたくないと飛び起きた。
こういう時、いつもシューベルトの『魔王』が頭の中でなっている。中学生の頃に音楽の授業の内容で、唯一覚えていることかもしれない。
高熱にうなされる息子を抱え、医者のもとに馬を走らせる父親。息子は、風の音や木々の葉擦れの音に魔王の声を聴く。息子は、途中で息絶えてしまう。
息子はただ、病のせいで息絶えたのか。
それとも、魔王によって連れ去られてしまったのか。
病は気から、という言葉もある。卵が先か、鶏が先か問題と同じように、気持ちが弱るから体調が落ちるのか、体調が落ちるから不安になるのか。いちどその渦に巻き込まれると自力で抜け出すのは難しい。
気圧の変化や気温と湿度の具合で体調を崩しやす時期ではある。梅雨が終われば終わったで、夏の暑さが大敵だという人も居るだろう。私もそう。これからは、文字通り灼熱地獄がやってくる。エアコンをつければいいとか、そういう簡単な話ではないから戦々恐々としてしまうのだ。
この時期しんどいよね、と言い合える人がどこかにいると信じて、こうして文章にしているけれど、状態を分かり合える人、慰め合える人、実感を持って応援し合える人が居ると言うのは、非常に心強いことだと思う。
だから、私は恥ずかしげなく言う。しんどい。
しかし、これがなかなか実生活の中では難しい。
職場や学校で「しんどい、しんどい」と言っていては、周りの雰囲気が悪くなる。周りのことなどほっておけばいい、という考え方もあるようだけど、それは私にとって無神経ということだし、周りの人が好きだからわざわざ雰囲気を壊すような行動はしたくない。自分の機嫌は、自分でとるものだと思っているし、機嫌のいい自分を演じることはどんな栄養剤より体に良くて効くと思っている。やり過ぎれば、もちろん毒にもなるけれど。
子どものころ、よく母に「みんなしんどいんやで」と言い含められた。私が大人になった今、母は母自身に同じように言い聞かせている。
「みんな、しんどい時期やもんな」
この考え、本当にやめたほうがいい。
みんなしんどい「可能性」はあるけれど、母よ、あなたがしんどいのは紛れもない「事実」でしょ。事実より可能性の方が大事なんてことはない。まずは、目の前の事実問題を解決しようよ。
ゾンビのように体を引きずっているより、小一時間寝た方が体は回復する。胃にやさしい、温かいものを食べてちょっと横になるくらい、何の罪でもない。
そもそも、「みんなって、だれやねん」
これは、子どものころ、欲しいものがあると「みんな持っている」と訴えた私に対し、母よ、あなたが言った言葉です。そっくりそのまま、お返しします。
しんどいことの中には、寝ても解決しないこともたくさんある。
でも、心と体が疲れているなら、寝て、食べるは次の行動のための活力になってくれる。
だから、みんな、しんどい時は休もう。
休みたくても休めない人も居るとはおもう。ならばせめて、「みんなしんどい」とは思わないで。あなたがしんどいのは、事実だから。
じぶんのきもちとからだが喜ぶことを。
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