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優しい人は、仕事を選べる権利を行使する。

優しい人の周りに、攻撃してくる人がいて、被害を受けている…、という報告をよく聞く。悩み、相談の大半は、それが多いと思う。しかも、本人が、心のどこかに被害を受けても構わない(自分のなかで、過去に優しくできなかった罪悪感がある、理想の自分でいたい、いい顔をしていたい、自分の傷つきよりも、他人を優先する癖がある等)と思っているからか、長引く。
過去の傷と、今現在傷つけてくる人は無関係だし、利害関係は置いておいて、自分を攻撃してくる人からは離れた方がいい、傷つけてくるような人は相手にしない方がいい、と言っても、相手にしてしまう。罪人でもあるまいし、そんな罰を受ける必要なんてなんもないのに…。

優しい人は、傷つけられたいほど優しいわけじゃない。
好きなことをイキイキしている場合もあるし、人から頼られたり任されたりしていて、それがたまに生きがいとなり、いきすぎれば苦痛な時もある。傷つけてくる人は、そういう背景を無視したり、無意識的にでも同じように利用しようって感じがする。
そして優しい人のなかには「慈善事業」の一環として、他の人の依頼とまとめて、傷つけられることも「仕事」として受けてしまうんだなと。

でも、その「仕事」は、実は選べると思うこと。
たとえば、その仕事が、やりがいを感じるか。やりがいを感じなくても、自身の経験として、積み上がるか。忙しい人たちの助けとなって、自分も嬉しいか…。それなら引き受けても良いと思う。
最低、お金のため、というのもあるかもしれない。

でも、人の攻撃を受ける「仕事」は?
攻撃って、悪口言われたり、なんか嫌だな、って発言をされたり、意地悪されてる、仲間はずれにされるとか、とにかく嫌な気分になること。
それについて、言い返さなかったり、自分だけが受けているよう感じることで、ますます気分を害する。
優しくて、黙って八つ当たり受けてくれるなら、それは利用すると思うよ。自然とね。

でも、その根底って結局、
「あなたって、困ってたらなんの仕事でも引き受けてくれるんだよね?じゃ、私がうまく行かないの、あなたのせいにしたいんです」。

ただ他人のせいにしたいという性格なだけで、この人のせいにできない、となれば去っていくだけな性格というか、ただそれだけの性格で、友達でもなんでもない。

一つひとつの「仕事」を丁寧に見ていくと、その人間関係はやりたくないから、相談してくるし、結論は、その仕事、やんなくていいです、と声を大にして言いたい(てか、言ってる)。

自分を大切にして、やりがいのある仕事をやっていきたい、と思う今日この頃。

素敵な一日を。



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