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オタク手記①〜会えるオタクの限界とプライド〜

私はとあるアイドルのオタクをしています。
地上とも地下とも言い難く、"会えるアイドル"という表現をしておきます。
推し始めて早4年、これはオタクであることを手放しで「最高!」とも言えなくなったある日の話です。

そもそもオタクの定義って?


みなさんは"オタク"という言葉を聞いてどんな人を思い浮かべますか?
熱狂的に応援する人?CDをたくさん買う人?ライブに通う人?
以前よりもネガティブなイメージがなくなりつつある"オタク"ですが、様々な捉え方ができると思います。

ここではあくまで"会えるアイドル"のオタクの考えとして、【推しとの信頼関係が築けていること】をオタクの定義とします。

大手アイドル事務所に属するアイドルを思い浮かべると信頼関係を築くとはいかにして…?と疑問を抱くかと思いますが、会えるアイドルとなると珍しい話ではありません。
信頼関係を感じるまでの3ステップをお話します。


STEP 1. SNSでの認知

TwitterやInstagramといったSNSを利用しているアイドルは多いですが、その中にはファンの投稿に反応する人もいます。
そういった推しの場合、SNSでその人のことを発信すれば本人からいいねがついたり、DMをすれば返信がきたり…、やりとりを重ねていくことができます。
その結果、SNS上で「この人は私(僕)のことが好きなんだ」という認識を持ってもらえます。


STEP 2. 現場での認知

チェキ会やお渡し会など、推しと直接1対1で話ができる場面があります。
数を重ねれば顔を覚えてもらえたり、「今日あの辺にいたよね〜」なんて言ってもらえたりします。
そうして「よく来てくれる人」というイメージをつけられます。


STEP 3. SNSとリアルの合致

発信や会うことを繰り返していくことで(名乗ればですが)SNS上の自分と現場の自分が推しの中で合致していきます。
すると会った時に、SNSで発信したことに触れてくれたり、アイコンに言及してくれたりします。
こうして「顔と名前の一致したオタク」になれます。


その結果、厄介(迷惑)になるようなことさえしなければ「長く好きでいてくれて大事なときには来てくれる(=信頼できる)オタク」になることができるのです。



オタク最高!!!!


こうして推しと信頼関係を築けている"オタク"となった私には、楽しみにしている現場がありました。

推しが大事にしていて丁寧に準備をしているその舞台が近づくある日、別のイベントで推しに会い、こう言われました。

「昼と夜どっちに来るんだっけ?」


さて考えられるのは2択、
・行くとツイートしていたのを覚えていた(最近の話ではないのに)
・大事な場面には当然来るものだと思われている


どちらの場合も信頼関係が築けている証だ!
と思えるものの後者の方がより信頼されている気がするので都合良く後者だと解釈しておくことにしました。


「エッ?、オタク最高では???」


好きな人に好きだと知ってもらえること、好きな人に来てくれると思われていること、幸せだ!と思いました。

愛を持って見守ってきた相手から愛を持って接してもらえている、これほどの幸せがあるだろうか?
なんとオタクは幸せなのでしょう。



いざ現場へ


そんな多幸感を持ったまま、より楽しみになった現場へ向かいました。

早起きをして、推しをイメージしたとびきりのコーディネートに着替えました。お揃いのアクセサリーをつけて、ちょっと遠い会場だけどお気に入りの重たい靴を履いて、暑い日だったので買ったばかりの日傘も持って、わくわくで家を出ました。

会場に着くとまずは物販へ。
目当てのグッズを購入し、レビューもツイートしました。もちろん、見つけてもらえるようにハッシュタグを付けることも忘れません。

開場まで少し時間があったので近くの飲食店で腹ごしらえをし、準備万端で開演を迎えました。



一瞬のできごと


気がつけば幕が下りていました。

一瞬にも思えるような素晴らしいパフォーマンスで、見入っているうちに終演していました。







…。






……。






と言えたらどんなによかったか!!!!


そうです。正直に白状しますと、寝ていました…。

疲れていたとか、スケジュールに無理があったとか、椅子が心地よかったとか、そんなことは言い訳にしかなりません。

これは裏切り行為です。

相手は私が来ることを知っているし、見届けてくれると信じています。

大切な推しが魂を込めて作り上げた舞台を、その熱量を、私は受け取ることができなかったのです。
その場にいたにも関わらず、見届けることができなかったのです。

私は逃げるように会場を出ました。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
オタク失格です。
オタクを名乗る資格を失いました。
終演後の達成感に満ちた推しの笑顔が忘れられませんでした。


家に着く頃には、ハッシュタグ付きで投稿したグッズのツイートに推し本人からいいねが付いていました。
当然私は感想ツイートをすることもできないし、どんな顔をして次会えばいいのか、そもそも会えるのか、わからなくなってしまいました。



思い上がりと利益関係


私はオタクを辞めるべきだろうか。
そもそももうオタクではないのではないだろうか。
そんなことを考えながら日々を過ごしていました。

しかし、1週間ほどが経ち冷静さを取り戻してくると、気づけたことがありました。

「私が寝ていたことなんて推しは知り得ないのでは?」

"信頼を裏切った"と強く後ろめたさを感じていましたが、そもそも信頼関係を築けているというのも思い上がりかもしれません。
私にとっては唯一無二の推しでも、向こうからしてみればたくさんいるオタクの中の1人です。
たくさんの中の1人1人を深くは気にしていないはずです。

それに、私がオタクを辞めてしまうとお金を払う人が1人減るわけです。
その方が問題ではないでしょうか?
どんなステージを作るにもお金が必要で、継続していくためにはさらにお金が必要なのですから。


人間誰しもコンディションの波があるし、いつも納得できる自分ではいられないもの。
それは好きな人に対してだって起こりうる。
そう思い、自分を許すことにしました。



やっぱり私はオタク


そうして私はオタクを続けることにしました。

だって好きなことには変わりないのですから。

推しのことが好きで、パフォーマンスを生で見たいと思っているうちはオタクを続けていこうと思います。

上手くできない時があったっていい。
たった1回の失敗で辞める必要はない。
だって人間には波があるから。いつも同じではいられないから。
それは受け取る側のオタクだけでなく、推しだってそうだと思います。

"推し疲れ"という言葉がありますが、もっと気楽に考えていいと思います。
「○○しないとオタクじゃない」とか「どれだけ買わないとオタクじゃない」とか、オタクであることに自分でハードルを作る必要はないと思います。
ちゃんと真っ直ぐな愛さえあれば大丈夫です。

明日からも私は、無理のない範囲でオタクを楽しんでいきます。


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