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漫画『 風の谷のナウシカ 』

1982年から月刊アニメージュにて連載がはじまり、1994年にこの世に生み落とされた物語、子どもの時観たアニメの記憶も、成人してから読んだこの漫画作品も、どちらも特別でかけがえのないものです。
何かしら節目があると定期的に読みたくなる作品。あたらしい年を迎えて再読しました。もはや私のバイブル。大事な作品だからこそ言葉にするのはとても難しいですが、自分の理解も深めるために文章として綴ってみようと思います。

【序章とあらすじ】

 ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は、数百年のうちに全世界に広まり、巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大地をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は、1000年後に絶頂期に達し、やがて急激な衰退をむかえることになった。「火の七日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ、地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その後産業文明は再建されることなく 永いたそがれの時代を人類は生きることになった。
 かつて栄えた巨大産業文明の群は時の闇の彼方へと姿を消し、地上は有毒の瘴気を発する巨大菌類の森・腐海に覆われていた。人々は腐海周辺にわずかに残された土地に点在し、それぞれの王国を築き暮らしていた。


ナウシカは腐海のほとり、風に守られし小さな谷に生まれた王の娘。古い云い伝えはこう語り継がれています

「木々を愛で、虫と語り、風をまねく人
 その者 青き衣をまといて金色の野に降り立つべし
 失われた大地との絆を結ばん
 ついに人々を青き清浄の地に導かん」

大きなうねりの中で、ナウシカは世界が封じたまことの物語を紐解いてゆきます。偶然か必然か、王蟲の血を浴び青く染められた衣を着たナウシカは救世主と崇められながら、森と蟲と人の中で葛藤していきます。
終焉を迎える聖都シュワでは「科学文明復活の上に成り立つ浄化された世」か「光も闇も清浄も汚濁も混沌とした世」か、正解のない選択を迫られます…


【好きなキャラクター】

アニメには出てこないけれど「セルム」と「オーマ」がとても好き。(ちなみに「ナウシカ」はもう説明抜きに好きなので、ここでは敢えて語りません。笑)

「セルム」は火を捨て、蟲を友とし、腐海と共に生きることを選んだ "森の人" と呼ばれる一族の長の息子で、壮大な旅の中でナウシカを導き、支え、共に歩んでいくとても重要な存在です。
彼の汚れのない美しい眼差しは、まさにナウシカのそれと同じ。私は、一本の筆からこの瞳が生み出されたことに圧倒されました。生きものを描くというのは瞳に生命を宿すことなのだなぁと。

「オーマ」は巨神兵で、かつて火の七日間で世界を焼き尽くした人工の生命体。アニメでは地を焼き払う"原子爆弾" を彷彿とさせる兵器という立場で登場しますが、漫画を読むと印象が全く変わります。
オーマは聖都シュワに向かう道中でナウシカを小さき母と慕い命をかけて守ります。古エフタル語で無垢という意味を持つ "オーマ" とナウシカに名付けられたその時から知能が急激に上がる場面があります。名前は親から子へ贈られるはじめての贈り物。名を呼ばれることで人は人としての自意識がより芽生える。"命名" とは読んで字の如く、名前をつけることで真に宿る命があると感じました。

他にも、クシャナ、アスベル、クロトワ、カイとクイなどのキャラクターも漫画ではさらに存在の深みを持ち、シュワ、土鬼、ヴ王、三皇子、神聖皇弟・皇兄、僧正様、チクク、蟲使いなどなど、漫画でしか描かれていない土地・登場人物や背景が沢山あるので、本当に魅力満載、読み応え満点の作品です。

【生を全うする】

ナウシカは30年近く前に生まれた物語ですが、現代と照らし合わせながら読んでいくと、沢山のメッセージが散りばめられていることに気が付きます。悲しいほどに普遍的でいて不朽。なぜ悲しいか、それは人類が"真の意味で" "進歩していないこと" を示しているからです。

2022年、文明はいよいよスピード感を増して発展している一方で、世界から戦争はなくならず、幾たびと疫病に翻弄され、災害はその脅威を増すばかり。資源を枯渇させ、環境汚染を招き、不調を病気と診断して病人を増やし、即効性のある対処療法でごまかし、便利さに頼ってどんどん鈍くなる身体感覚。それと反比例するように人智を越えた科学技術は発展していく。核兵器で壊滅させたり、威圧し合ったり、はたまた"安全"と銘打ってエネルギーとして用いたり…

アスベルが言うように
「…だとしたら、ぼくらは滅びるしかなさそうだ」
虚無を抱きながら、私も、そう感じてしまいます。

それでも

終焉を迎える時、ナウシカは自分の道を選びます。
混沌とした世でままならない人間として生きることを。例え滅びるよう定められた呪われた種族であっても、大地を傷つけ奪い取り汚し焼き尽くすだけの醜い生きものであっても。

「私、生きるの好きよ!
 光も空も人も蟲も 私、大好きだもの!」

この言葉が作品の中で透き通るほど純粋で眩しく響きます。そして、ナウシカは墓の主と対峙したときにこう語ります。

 清浄と汚濁こそ生命であり
 すべては闇から生まれ闇に帰る
 いのちは闇の中のまたたく光だ!

無垢が纏う生の光、虚無が生み出す闇。人はそのゆらぎの中で営みを続けています。私もその中でこの生を全うしたい。どうしたって、ままならない人間を愛していて、何よりも今を生きている。それを投げ出すことはできないし、しない。もし滅びることが最善であっても、きっとここに在る理由を探してしまうのだと思います。

【日本から紡がれた物語】

「巨大な墓や下僕がなくとも、私たちはその光と闇の中で、生きることで美しさと残酷さを知ることができる。私たちの神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」

この言葉は一神教の偶像崇拝や宗教による植民地を揶揄しているようにも感じます。西洋/東洋の、文明/文化の違いなども色濃く反映されています。全ての一神教がそうでないにしても、そぐわないものを排除するという側面を持つナチスドイツのような歴史があったことは事実です。

時は大正、フランスの詩人ポールリシャールが綴った一編の詩があります。(彼はヨーロッパの物質文明は没落の運命にあると危惧し、東に目を向けインドに渡ったのち、日本を訪れました。日本人の精神文化に感銘し、当時西洋化の進む日本に対して「告日本国」という詩を遺しました)

「曙の児等 海原の児等
 花と焔との国、力と美との国の児等
 聴け、涯しなき海の諸々の波が
 日出づる国の島々を讃ふる栄譽の歌を」

私はこちらを意訳した詩として知りました。

「太陽の子孫よ
 海に守られ育まれてきた民よ
 桜のように鮮やかに生を全うし
 炎のように熱く燃えたぎる国よ
 力と美が共存している国の民よ
 しっかりと聴きなさい、世界中の国が
 この日出国を賛美する声を 」

万物に神が宿り、混沌から全てが生まれたとする神道。私は神道は信仰というよりは文化に近いと解釈しています。「自分は無宗教だから、仏教だから、キリスト教だから…etc」どんな信仰があろうと、神道は日本という土地・暮らし・人に深く根付いている文化そのもの。「風の谷のナウシカ」は、日本という地に生を受けた宮崎駿監督だからこそ描けた世界観だと感じました。

【オーマ(無垢)達へ】

宮崎駿監督の作品は一貫して "生きる" をテーマにしています。そしてアニメーションとして残すことで、多くの子どもたちに語りかけています。無垢(オーマ)な子どもたちに。

現代でも、ナウシカの生きる世界でも、あまりにも多くの過ちを繰り返し、多くを失い、それでも人々は生を続けてきました。感染症で大騒ぎの世の中、今がまさに大きな転換期かもしれないし、はたまた、繰り返す過ちの一編や、だだの人間の弱さの露呈にすぎないのかもしれません。でもいろんな物事の変化が早いので、何かのタイミングを迎えているのかなとは感じます。

「すべては終わったのです
 いまはすべてを始める時です」

このような時勢だからこそ、何かが終わり、あたらしく始まる時、つまり何かが整う時。
私も、幾らか歳を重ねたオーマとして、光も闇も見つめながら、この世に授かった生を全うしたいと思います。

漫画ナウシカ、ぜひ読んでみてください。

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