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オードリー・ヘップバーン共主演作 時代がやっと追いた1961年に公開 同性愛を描いた作品


個人的感想:★★★☆☆

タイトル

原題:The Children's Hour(英)/ The Loudest Whisper(米)
直訳:子どもの時間(英)/声高な ささやき(米)
邦題:『噂の二人』

監督、キャスト

 d=監督、play=脚本、☆=キャスト

   d:ウィリアム・ワイラー(Wilhelm Weiller)
play:リリアン・ヘルマン(Lillian Hellman)
    :オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)、シャーリー・マクレーン(Shirley Maclaine)、 ジェームズ・ガーナー(James Garner) 、ミリアム・ホプキンス(Miriam Hopkins) など


監督について

 『嵐が丘』(1939)、『ローマの休日』(1953)など有名作品を多数監督。
アカデミー監督賞を3度も受賞し、アカデミー監督賞ノミネート12回という記録は未だに破られていない。


作品の関連年表

1934年:リリアン・ヘルマンによるデビュー戯曲『The Children's Hour』がブロードウェイで上映される

1936年:ウィリアム監督がこれを映画化(セルフリメイク)。
  その際の映画タイトルは 『These Three(これら3人)』
 当時の出演キャストは、ミリアム・ホプキンス、マール・オベロン、ジョエル・マクリーなど

1961年:同監督が25年ぶりに再映画化。
 ウィリアム監督が『ローマの休日』(1953)で見出したとされるオードリー・ヘップバーンを主役に迎えた『These Three』のリメイク版を制作。

主演はオードリー・ヘップバーンではなく、キャサリン・ヘプバーン(Katharine Hepburn)になる可能性もあった。



主な登場人物 と 物語のあらすじ


【主な登場人物】
☆ カレン
(オードリー演じる教師、ジョーと婚約)
☆ マーサ(シャーリー演じる教師、カレンと共に女学校を経営)
☆ メアリー
(カレンとマーサの生徒)
☆ ジョー(カレンの婚約者)


【物語のあらすじ】

 17歳のときから親しかったカレンとマーサは、女学校を共同経営していた。オードリー演じるカレンはジョーと婚約。ある日、地域の有力者ティルフォード夫人の孫娘メリーが、学校に戻りたくないがために「カレンとマーサは同性愛者」と嘘をつく。噂はたちまち広がり、父兄たちは寄宿学校から子供を引き取った。カレンとマーサはティルフォード夫人を名誉棄損で訴えようとするが、嘘だと証明できず噂は収まらない。挙げ句にマーサは医者ジョーとの婚約を解消されてしまう。




なぜ25年経ってリメイク版を制作?


 本作品は、1936年に『These Three』というタイトルで映画化したものを、25年後に再び『噂の二人』(1961)として同監督がリメイク版として製作しています。

それはなぜなのか?

これには時代的背景が大きく関係しています。

一作目の1936年という時代では、同性愛を含む作品は検閲当局に上映禁止され、同性愛の部分をカットした三角形の物語になっていたとのことでした。


もはや原作の物語とは大きく異なってしまっていると思いますが、監督がそのような物語の変更を承諾しなければならない状態であっても作品の発表を行なった。
このことから1930年代のアメリカ社会や映画界において、同性愛をほのめかすような作品内容は一切禁止されていたという時代的背景を感じずにはいられません。


こういった時代背景を反映し物語を変更しなければならなかったことから原題から『These Three(これら3人)』というタイトルになったのでしょうか。

これは余談ですが、『これら3人』の3人目は果たして誰を指しているのか? 

 作品発表時のポスターには三角関係である3人がデザインされているので、その3人であると考えることは容易なのですが、それに囚われずにもしも他の3人目になり得る存在を、個人であれ社会全体であれ、想像して考察してみても面白い作品であると感じました。



1936年→1961年 映画における時代の変化


 映画作品において、同性愛を直接的だけでなく、ほのめかすことすら絶対的に禁止されていた時代から25年が経った1961年。二作品目の『噂の二人』が発表された「1961年」時代背景への移り変わりにフォーカスを当ててみます。


同性愛に関するヘイズ・コード


ヘイズコードとは1934年〜(おおよそ)1968年までアメリカ映画業界において実施されていた自主規制条項のこと。

ヘイズ・コード自体への詳細に書くと長くなってしまうので、気になる方は検索してみてください。


とてもざっくりと説明をすると、1895年にリュミエール兄弟が「映画」というものを発明してから一般庶民にも娯楽として映画が普及し始めました。ただ、映画が人々に与える影響が増大していき、その影響力(特に子どもに与える影響)に対して心配や懸念の声を上げる人々が出てくることに。


 道徳的に悪影響となり得る内容項目を禁止事項として明確に書き出して実施しよう! となったものがヘイズ・コードの成り立ちだと言われています(本当にとってもざっくりの説明です)。
この禁止項目を実施する部署の代表者がヘイズさんであったことから、この名称になっています。

 映画を作成する側からしても作品が完成してから「このシーンは過激すぎるからダメ、カット」のようになるのであれば、最初にこれらの項目はダメだと明記してほしいとの声もあったのかもしれませんね。

ヘイズ・コードにおいては、犯罪、宗教的な屈辱、ドラッグ、ヌード、性的描写、異性装、人種問題などといった禁止項目のなかに同性愛も含まれていました。
このヘイズ・コードが実施され始めた1936年では、同性愛をほのめかす原作をそのまま映画化することができなかった。この時代背景が1930年代には非常に強かったと思われます。



1961年に何が起きた?   MPAA(現:MPA)の対応



 では、リメイク版が発表された1961年の映画業界とは一体どんなものだったのでしょうか?

それは、1961年にアメリカ映画協会、MPAA(Motion Picture Association of America、現:MPA)によってヘイズ・コードのなかでも最後まで特に厳しく禁止されていた同性愛への規制を緩めたことが挙げられると思います。


     "In 1961. the Motion Picture Association of America lifted the last specific taboo against "homosexuality and other sexual aberrations"

「1961年、アメリカ映画協会は「同性愛、性的異常」に対する最後の特定のタブーを緩めた(解除した)」
引用文献:不明


……と言っても当時、これによって同性愛への表現が自由になったわけではありません。


The screens of 1960s in America and Britain: "Overt, active or predatory gays...were killed off. The repressed, tormented types usually committed suicide"
1960年代のアメリカ、イギリスにおける映画では:「あからさまであったり、活動的であったり、もしくは略奪を行うような同性愛者は..全て作品のなかで殺されていた。そして(同性愛に関して)抑圧され悩み苦しむような登場人物は大抵、最後に自殺する」
引用文献:不明


上記のように、同性愛をほのめかすような登場人物は最終的に必ずこの表現ルールに従わなければならない、そんな暗黙のルールが存在していたようです。

ここはネタバレになってしまいますが、本作品でもマーサがそのような結末を辿っています。


本作品が気になる方はぜひ、ご覧になってみてください!




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