見出し画像

信頼とは「どう思われているか」を知ること

 数日前にこんなつぶやきをした。

 これ、更新予定時刻ギリギリにあわあわしながら書いたものなんだけど、落ち着いて考えると……けっこう良いこと書いてるよね???


 信頼って、なかなか定義しにくい。
〈だから悩むのよね〉
 うん。

 でも、ひとつの指標になりそうなことをみつけた。
 それが、冒頭に引用したつぶやきで言ったこと。

 「フォロワーさんは僕がすけべだと知っていて、僕はフォロワーさんがそう知っていることを知っている。」

 言い換えると。
 まず、僕がどんな人なのか、相手にイメージを持ってもらう。
 そして、相手がどういうイメージを持っているのか僕が知る。

 これが、一種の信頼関係だと思った。


 そして、相手の持つイメージが、自己イメージとズレていない場合。
 これがかなり居心地がいい。

 良い意味で、振る舞いに遠慮がなくなるんだ。

 こういうこと言っていいのかな…。
 こう振る舞っていいのかな…。
 とか、考えなくなる。

〈安心感があるわよね〉
 そう、それ。安心感。

 これもまた、より一歩進んだ信頼関係だと思う。
 気心の知れた幼馴染ってこんな境地なんだろうか。


 で、そのために大切なこと。
 やっぱり、対話だよねぇ…。

 「お互いのことをよく知るために」というより、「お互いにどう思われているかを知る(察する)ために」対話を重ねるのが大切な気がする。


 でも、noteだと、発信はたいてい一方通行になりがち。
 だからこそ、「自分はこういう人なんです!」って話を、覚えてもらえるまで、覚えたもらえたと信じられるまで、何度も発信するのが有効なのかな、やっぱり。

 それも、自己イメージとズレないように、つまり誤解されないように、素直に書くのが大切、と。


〈やっぱりまた「素直」なのね〉
 これも作戦だよ。
〈そうなの?〉
 うん。

 まさに、今日の話で言ったこと。

 ここまで何回も宣言してるんだ。
 僕が「素直」を大切にしていることを、フォロワーさんもそろそろ覚えてくれたはず。

 そうやって、「素直の人」「すけべの人」「イマジナリーフレンドの人」ってイメージを持ってもらえれば、万歳。
 閲覧数やスキ数やメッセージによって、そんなイメージを持ってもらえてると、僕が信じられたら、万々歳。

 作戦大成功ってわけ。

 これこそ、フォロワーさんとの信頼関係。
 『すけべカミングアウト』以降に感じてる、noteの居心地の良さが、それを証明している。

 そんな気がするんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?