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わたしの中で生きる猫(前編)

その朝、私は庭の掃除をしていた。

こんな時間に庭の掃除なんて、これまでしたことがなかった。でも、何かをしないではいられなかった。

庭の大きなマンゴーの木は、毎日大量の葉を落とす。いつもはそれを見て見ぬ振り。目に余るほど積もってきたタイミングで、適当に掃く程度だ。

ところがこの日の朝は、自分の意志とは関係なく、別のなにかに突き動かされるように、体が勝手に動いていた。



2021年4月。

私は西アフリカのとある国で新生活をスタートさせた。

夫がこの国で仕事をすることになったので、私も帯同家族として同行することにしたのだ。

4月は一年の中で一番暑い時期で、日中の気温は連日40℃を超える。

国土はサハラ砂漠を有し、私たちが暮らすのは首都とはいえ、そこらじゅう砂だらけだし、とても乾燥している。

アジア系の人は現地の人からしたら珍しく(そして一部の心無い人から狙われやすく)、1人で外を出歩くことは危険を避けるためにもなるべく控えて欲しいと会社から言われていた。

そもそも私は公用語であるフランス語も十分に話せないし、一緒に遊べる友達もいないので、1人で外に出る用事も度胸もない。

こうして、気候、治安、言葉、交友関係の壁が立ちはだかり、1人の引きこもり主婦が誕生したのだった。駐在員の妻にはよくある話で予想もしていたので、この事自体に悲観的になりすぎることもなかった。

ただ、夫が仕事に行っている間は本当に家で独りぼっちになるので、何をしたら良いかわからなかった。繋がりにくいネットでぼんやりSNSを眺めるか、暑さに負けて汗だくで昼寝をする日が続いた。



この国での生活がスタートしてから数日。夫と、夫の同僚Bさんと一緒に、共通の知人Aさんの家にお邪魔した。

Aさんの家の庭には猫が住みついていて、2月と4月に子猫が生まれた。その子達を見に行こう、ということだった。

Aさん宅の状況を説明すると、彼がこの家に越してくる前から数匹の猫が住み着いていた。

半ノラのような感じで、私たちが遊びに行った時には、おとなとこども合わせて10匹ほどいたと思う。

庭が広く、芝生や木や植え込みがあって、外敵が無く猫たちにとって暮らしやすそうだった。

Aさんは、猫たちを家の中には上げないものの、毎日水や餌やりなどの最低限の世話していた。調子の悪そうな子猫にはお腹をさすってあげたりして、それぞれをかわいがっていた。

しかしAさんは、この家を数年後に離れることが決まっている。それまでに、これ以上この家でノラが増えないように、新しく生まれた子猫たちの里親を探していた。

そこで私たち夫婦に、一匹どうですか、と声をかけてくれたのだった。

私たちが猫を飼う……そういう選択肢も人生プランにあってもいいな、とはふんわり思っていた。

私はアフリカに来たばかりで日中家に独りぼっちなので、いまこのタイミングで猫を飼うのもいいかも、という気持ちもほのかに持っていた。

ちなみに一緒に行った同僚Bさんは、夫より1年早くこの国に赴任した日本人で、すでに猫を一匹飼っている。

彼女が「大変な海外生活でも、猫がいるおかげで癒やされてますよ」と話していたのも、猫のいる生活をよりポジティブにイメージする理由になった。

しかし、私も夫も、これまでペットを飼ったことがなかった。

心配性の私は、猫を迎え入れることに対する期待や喜びよりも、不安のほうが膨らんでいた。

この国は、気候、食べ物、医療体制、ペットへの考え方が日本とまったく違う。それは、インターネットで得られる日本語の情報が当てはまらないことが多いということを意味する。

それに、「寂しさを紛らわすため」という人間のエゴで、一匹だけ引き離してしまって良いものか。ここにはすでに猫のコミュニティができており、生まれて間もない子猫たちには母猫がついているのだ。

その日、私たち夫婦は答えを保留にして帰宅した。

ところがその数日後、夫がAさんの家から一匹の猫を持って帰ってきた。

その子は、先日見に行ったときに「一緒に住むならこの子がいいね」と、私も夫も不思議と感じていた子だった。

自分の意志ははっきり主張しないけれど、じっと見ながら様子をうかがう姿になんとなく惹かれるものがあった。

お互いどういう気持ちでいるのかわからなくて、でも相手に興味はあって、迷っている同士のような感じがした。

もっとも、あちらがどう感じていたかはわからないけれど。

聞くと、この子は2月生まれの3きょうだい。一匹はAさん宅のお向かいさんの、もう一匹はBさんの里子になったそうだ。

夫がなぜ連れて帰ってきたのかは、いまだにはっきりとした理由は聞いていない(と記憶している)が、私が石橋を叩き続けて物事を進められないタイプだというのを知っていて、強硬手段に出たのかも知れない。

突如現実になった猫との生活に戸惑いつつも、わくわくで胸がいっぱいに。

ゆっくりペースで始まった私のアフリカ生活が、一気ににぎやかになった。

単調な引きこもり生活が、この日を堺に彩りある引きこもり生活に変わった。



子猫のかわいさは、それはもう破壊的だった。

生後2ヶ月のキジトラで、控えめな性格をしていた。

初日は警戒してソファの下に隠れたり毛を逆立ててこちらをじっと見て様子を伺っていたが、翌日にはヘソ天してじゃれてくるようになった。

私や夫がソファに寝っ転がっていると、傍らやお腹の上に来て一緒に寝た。パソコンをしていると、キーボードの上に乗って遊んでほしいと鳴いた。

こんなことをされて、無視できるはずがない。

私も夫もデレデレだった。デレデレって普段あんまり使わないけど、この表現がぴったりだった。

その猫はメスだった。でも夫はなぜか「ねこのすけ」と呼んでいた。

なかなか他にいい名前が思い浮かばず、気づけば私もそのまま「ねこのすけ」と呼んでいた。

ねこのすけは他のきょうだいと比べると小さめで、台所用の秤に乗せると400gしかなかった。

まだ完成されていない小さな手足で歩いて、カリカリに食らいついて、甘えてくる。

目の前のことに一生懸命で、疲れたらその場で眠り込んでしまう。

まさに「いまこの瞬間を生きている」といった感じだった。

いつも先の事を心配して今を生きていないきらいがある私は、その姿がうらやましく、こんな風に生きたいなあと思った。

そして、ねこのすけに存分に癒やされ生活が楽しくなっていた。独りぼっちのアフリカ生活が続いていたら、とっくに「もう日本に帰りたい」と思っていたはずだ。

私たちに甘えている時、母猫を思い出しているのかな、なんて考えると、少しかわいそうな気持ちにもなった。

できる限り、母親の代わりをしてあげないと。そう思った。



ねこのすけがうちに来てから10日が過ぎた。一緒に遊んだり寝たり話しかけたりするのが日常になってきた。

その日もいつもどおり一日が始まったが、夫が仕事に出てから数時間後、ねこのすけが突然ぐったりして元気がなくなってしまった。

話しかけたり撫でたりしても、反応がない。そのうち、うつ伏せで寝そべったまま、大小の排泄をしてしまった。

呼吸はあるものの、目を開けたまま動かない。

このまま死んでしまうのではないかと、怖くなった。

仕事中の夫に連絡を入れ、昼休みに合わせて獣医さんに家に来てもらうことになった。この国では、動物病院の先生は往診してくれるのが一般的だ。

獣医さんはねこのすけの様子を見て、私たちに「バケツに少し水を汲んできて」「君たちの飲んでるミルクを人肌に温めて」と指示を出した。

あわてて用意すると、獣医さんはバケツの水をシリンダーに入れ浣腸でお腹の中を洗浄し、別のシリンダーで口から虫くだしを溶かしたミルクを飲ませた。

さっきまでぐったりしていたねこのすけが、鳴きわめきジタバタしだしたので、強い刺激のショックでいよいよ死んでしまうのではないかと心配になった。

日本の獣医さんがこういう時どういう処置をするのか知らないけれど、かなり処置が簡易的だったことと、自宅での壮絶な光景に、衝撃を受けた。

物が少ないこの国では、あるもので何とかしないといけない。

ねこのすけは、しかし、しばらくすると落ち着き、疲れてしまったのかすやすやと眠りについた。とりあえず、処置は正しかったようだ。

獣医さんには、カリカリはまだ早いので人間の飲むミルクを与えてと言われた。

人間の飲むミルク、牛乳か……と一瞬、躊躇した。ネットで「牛乳は猫が分解できないラクトースが含まれているので飲ませないほうが良い」というのを何度も目にしたからだ。

しかしこの国では猫に普通にミルクを与えているらしい。ずいぶん後になって知ったのだが、この国の人は、牛乳よりもヤギの乳をよく飲むらしい。獣医さんが言っていた「人間の飲むミルク」とは「ヤギ乳」のことだったのかしれない。そして、ヤギの乳は牛乳に比べてラクトースが少ないそうだ。これは完全に私の仮説だけど、だからこの国の猫たちはミルクを飲んでも大丈夫なのかもしれない。が、そもそもこの国の猫たちの健康状態がどうなのかも分からないので、この件に関しては想像の域を出ない。

ねこのすけに話を戻す。

当時の私たちは、人間の飲むミルク=牛乳しかない、と思っていたので、牛乳を少し水で薄めて与えることにした。ちなみに牛乳を水で薄めてもラクトースが分解されるわけではないので、もちろん意味はなく、自分たちの気休めでしかなかった。

この一件で、私は大いに反省した。

ねこのすけはAさんの家にいた時、カリカリを食べていたから、そのまま同じものを与えていれば大丈夫、と安易に思っていた。

これまでの慣習を鵜呑みにして、中途半端な情報収集でねこのすけを苦しめていたと思うと、申し訳ない気持ちと後悔でいっぱいになった。

もっと猫についての基本的な知識を得ないといけない。そしてこの国の人たちがどう猫を育てて、その育て方でどのくらい元気に生きられるのか、そしてねこのすけ自身をよく観察していかなければいけないと思った。



一命をとりとめたねこのすけは、少しずつ元気を取り戻した。

前みたいに、じゃれたり、一緒に寝たりできるようになった。

食欲もだんだん戻ってきたし、体調も安定してきた。しばらく牛乳だけしか受け付けなかったけど、ウェットフードも少量ながら口にするようになってきた。

うちでの生活や私たちにも日に日に慣れてきたようで、今まで入らなかった部屋を探検してみたり、私に甘噛してくるようになったりして、ますますかわいくなった。

この頃すでに、私たち夫婦のスマホのカメラフォルダはねこのすけの写真とムービーで埋め尽くされていた。

獣医さんはとても献身的で、初診以来、2〜3日ごとにうちに寄って様子を見に来てくれた。

その度にねこのすけの額にキスをしてくれるので、本当に動物が好きな先生なんだな、と思った。

最初の処置から9日後、床からソファに元気に飛び乗るねこのすけを見て、「すっかり良くなったね」とお墨付きをもらった。

私たちは「これで安心して、また過ごせるようになるね」とほっと胸をなでおろした。



ところがそのすぐ後、ねこのすけの容態が一変した。

昼間は元気に動き回っていたのに、夕方に突然、おう吐した。その色はピンク色だった。

夜には苦しそうに鳴いたり、ふらふらと歩くようになった。

後ろ足を引きずるような姿勢で、落ち着き無くさまようような歩き方だった。

今思うと、この時すぐに獣医さんにもう一度来てもらうべきだったのだ。

しかし、さっき「もう大丈夫」と言われたばかりだし、一時的なものかも知れない、また来てもらうのは申し訳ない、先生の病院に行く足も無い。

(私たちは自分たちで車の運転をしなかったし、タクシーも事故回避のため使わないように夫の会社から言われていた)

もう少し様子を見よう……と言っているうちに夜が更け、ねこのすけの具合はますます悪くなっていった。

これがどういう状況なのか。どれくらいの危険度なのか。どんな対処法があるのか。

これまで猫を飼ったことが無い私たちは、インターネットの情報に頼るしかなかった。

しかしこういうときに限って、電波がまったくつながらない。

この国ではよくあることだが、このときばかりは絶望した。

もう、朝を待つしかなかった。

何かひとつでもねこのすけが楽になる手がかりが欲しいのに、何一つわからない。

とても心細かった。

その晩、私はねこのすけのそばで夜通し看病した。

いつもは私たちは寝室、ねこのすけはリビングで寝ているけれど、この夜は何かあったときにすぐ対応できるよう、私はリビングのソファで一緒に横になった。

猫は体調が悪い時は誰にも見られない場所に隠れると言われている。

今思うと夜通し一緒にいることは、ねこのすけにはかえってストレスだったのかも知れない。

どちらかというと、私の方がそばにいたかったのだ。




後編につづく

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