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読書感想文:私がほうっておけないこと「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」

新潮文庫
「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」
奥野修司著

著者はノンフィクション作家で、奥野さんのインタビュー形式で話は進む。16名からの話は涙なしには読めない。ひとりにつき少なくとも3回以上会っているようで、信頼関係を築き、丁寧に丁寧に話を聞いているのが印象的だ。

本の内容は読んでもらいたいので詳しくは書かない。物語を忘れたいわけではないのだが、読んでいてそれなりに感情が引っ張られるし体力がかかる。それに、家族や残された方の想いは私がやすやすと代弁していいものでもない気がする。想いはそれぞれが特別なものだろう。具体的な話ではなく、それらの話から抽出されるエッセンスを自分に絡めて綴りたい。


◇家族の霊は怖くない。大切な人とはむしろ会いたい。

知らない人の霊だから怖いし、霊感無くて良かったなと思うが、もし家におばあちゃんやご先祖様の霊が会いに来たとしても、きっと怖いとは思わないだろう。祖母が亡くなった時、遠く離れて住んでいて看取れなかった母に、会わせてあげたいとやっぱり思った。おばあちゃんは、母にどんな言葉をかけるだろうか。母はどんな言葉が欲しかっただろうか。

映画「ツナグ」でもあるように、会いたいのは家族・大事な人の霊なのだろう。「貞子」は観られないが、「ゴースト/ニューヨークの幻」は観られるのだ。「お化けが怖いならご先祖様だと思えばいいよ」と、小さい頃の私に教えてあげたいな。 (お化けはご先祖様ではないから怖いのか。ねないこだれだが怖かった。)


”生き残った者が、彼岸に逝った大切な人とを物語を紡ぐ”

残された人は、先立った人の残り香を感じ、体がなくなった魂なんだと感じる。そこで実は、もう生身の人の死を受け入れているのかもしれない。

心を癒す、生きる意味を見出すために、物語を紡ぎなおしている感覚はなんとなく分かる。物語を編んで、生きる意味を見つけ、心が癒されていくのか。不思議な体験を前向きな力に変えている傾向にあるのが印象的だ。少なくともこの本には、先立った人の後を追う人はいない。(統計などとっていないが。)

私は科学的なものも信じているが、一方で科学では解明できないこともあると思っている。ご縁やめぐりあわせという言葉も好きだ。
本に出てくる現象もすんなり受け入れている。家族がそうだというのだから、そうなのだろう。
本の中でも、非科学的なものを書く不安や距離感について言及されている。私としては、著者の奥野さんが不思議な体験たちを死者と生きる者の間の物語として語ってくれているのがとても心地良い。一歩間違えたら勘違いされそうな内容も、スピリチュアルな雰囲気を纏わずに物語として成立させている。不思議な事を押し付けるわけでもなく、否定することなく、一貫して寄り添う心が見える。言葉選びも、話を聞かせてくださった方々や、被災された方々への想いが伝わってくる。

一つの癒しとなりますように という、祈りのような本だ。


◇3・11の話を今でも手に取ろうと思う私がいる

2011年3月11日、私はまだ学生だった。今は会社員なのだが、地震と少しは関わりがあり、それは私がこの会社にいる一つの理由でもある。
この本の話を家族にしたら、その話をさらに家族が職場の人に話したらしく、「学生の時に東北にボランティアも行っていたよね、そういうのほうっておけない人なのね」と言われたそうだ。(実際の言葉のチョイスは少し違うかもしれない。)

辛いことには引っ張られてしまうたちなので、踏み込みすぎるのは怖いけれど、自分にできる範囲の小さい事で良ければ役に立ちたいなと思う。直接的に何かをしに行く訳でもないが、心は一定の距離から離れず見守っていたい気持ち。これを、陰で応援しているというのかもしれない。そんな中途半端は勘弁してくれと言われるかもしれない。私にはそういうところがあるなあ。悲しみのアンテナにはアクセスしやすいのだろうか。

毎年自然災害はきてもおかしくない。だからこそ備えてほしいし、デジタルも進んでほしい。物質的にも強くなってほしい。私は家を失ったことは無いのだけれど、家が無くなったら辛いだろうし、家族と離れたら不安だろう。それ以上は辛くて想像できない。乗り越えられる自信もないな。私は彼ら彼女らを目の前にしたとき、なんて言葉を掛けていいのか分からない。でも、決して敵ではない存在でありたい。忘れていない人でありたい。何にもならないけれど、祈りを捧げる人でありたい。


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