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信じるとか信じられるとか。

信じる。信じない。信じられる。信じられない。日々の生活、人間関係の中では避けられない課題です。身近な家族や恋人、職場の人間関係の中ですら日々その課題はついてまわるもの。

子供の頃には見えなかった大人たちの面倒くささ、多すぎる悩み、やりきれないエピソードの数々。たくさん傷付いて傷付けて。他人も自分自身も信じられなくなっている。というよりも、興味がなくなっていく。思考を放棄することでストレス耐性を無意識でつくっている人が多いことに気付きます。

本来、これだけたくさんの人間がいて、その数だけ価値観があり、正義がある。誰かを信じるということは、誰かの何かをも信じるということ。すれ違いは避けられないし争いだって起こります。なにより疲れる。そんな余裕はないんだって話。

世界のあらゆる歴史の中で神様同士が何度も喧嘩をしてきたという考え、説もあるそうです。信徒である人間たちが繰り返し戦争をしているのも頷けそうな気もします。ふざけんなって話ですが。

話が逸れました。信じられるものと信じたいものの中には、信じる、信じないはいったん置いといて、いまはとりあえず一緒に居ましょうか。みたいな関係性もあるかもしれませんね。というかぜんぜんありますよね。

では、〈信じられる〉コトモノって、なんなんでしょう?

ちなみに、私自身、37年間の人生で見つけた〈心から信じられる〉ものなんて片手で数える程度です。

仕事の後の煙草と酒がうまいこと。沖縄の燃えるような夕空の後に強い台風が上陸すること。祖母が生前書き残した悲哀の琉歌。東京タワーのオレンジは見飽きないこと。新宿DUGのカウンターで昼からビールを流し込んでジャズに何度も頷いていた初老の男性。あれはとても美しい姿でした。

あとは、THE BLUE HEARTSの音楽。くらいでしょうか。「情熱の薔薇」好きなんですよ。

数えたら6個ありました。両手を使って数えるほどあるなんて!私は幸せかもしれません。そのどれもが超個人的でそれぞれに語れるエピソードがあります。信じられるものです。私にとっての信じられるって、理屈ではなく自分が見聞きした瞬間の心の動きかもしれません。

しかしながら、私の知人のひとりは喫煙者に人権なんてなくていいとまで仰る。友人のひとりは
ブルーハーツの音楽は信じられないと吐き捨てます。解散したバンドの音楽だからだそうです

ね?人によってこれだけ違う。信じられる、信じられないなんて、所詮はそんなもんだとも思いませんか?

そうであれば尚更。私たちはもっと気軽に、軽率に。誰かを好きになったり、信じてみたり、応援したり、推したり、恋したりしてもいいと思うんです。

嫌われることだって、それもまたお互いが信じようともがき合った故の結果だったりですからね。私にもいまだに好きな人も嫌いな人もいます。そして、私のことを嫌っている、もしかしたら恨んでいる顔も容易に浮かびます。お互いさまです。そういうもんです。

ちなみに、前述した〈心から信じられる〉カテゴリーに家族、パートナー、恋人、友人と言った関係性の方々は敢えて入れていません。どちらかというとその方々は何があっても信じたい人たちです。たとえ相手のすべてを信じられなくても、受け入れられそうな気がする。たぶん。

すべてを受け入れる必要もないけど、心許せる存在だからとりあえずはそれでよしとする。

人間なんて盲目的に信じたらダメ。それもまた大切な人たちから学んだ私の人生の智恵のひとつです。

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