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【自己紹介】16-6 簡単に教えてもらえると思うなよ 6

長らくお付き合いいただき、ありがとうございました!
この怨嗟シリーズも今日で終わります!


We are all valid

旧式権威的尊大さに物申す

昨日も書いたとおり、自意識・エゴのためらいを押し切って、新しいことをはじめる勇気と謙虚さの重要性から翻ってみれば、かぐや姫課長に代表されるくらたの会社のある種の人々は、「自意識」「エゴ」が強く、保守的で尊大。謙虚さにも欠けるようにみえます。
謙虚な人は「オレには違いがわからない」とか堂々と言わないよ。
自分が何かをわからないことは、自慢できることではないと思う。

居直り強盗みたい

そうそう、居直り強盗みたいだとくらたは思います。
「おまえはわかるのにオレ・わたしにはわからないって言うのか?オレ・わたしにもわかるように説明しろ!そうでなければそのようなものの存在は断じて認めん!」的なふるまい
知らない・わからないことをバカにするのはくらたは好きじゃないけど、わかろうとする努力をしないくせに偉そうなのなんなん、とは思う。

We are all valid

「オレ・わたしにもわかるように説明しろ!そうでなければそのようなものの存在は断じて認めん!」問題は根が深く、マイノリティの人権問題にも通底しています。

下記は、「ジェンダー×マンガメディア パレットーク」さんの、昨年、りゅうちぇるさんが亡くなった直後のポストです。

社会の中でマイノリティの立場に置かれる人々は、自分のアイデンティティについて社会や他社に「証明しなければいけない」というプレッシャーを負わされてしまうケースも多いのが現状です。

Non-binary people are valid
というフレーズを目にしたことがある人もいるかもしれません。
これはノンバイナリーの人々が持つアイデンティティは「確かなもの・正当なものである」という意味を持つもの。

あなたはあなたの存在を誰かに証明する必要はない」というエンパワーのメッセージが込められていると同時に、「誰かのアイデンティティを疑い、ジャッジする権利を持つ人は、果たしてこの世にいるのだろうか?」と問い直されるフレーズでもあります。

上記インスタグラム本文から引用

映画『グレイテスト・ショーマン』の名曲「This is me」でも、似たことが歌われています。
↓ こちらはワークショップ版の動画。一曲の中にドラマがあってめっちゃ好き。 ↓

I make no apologies, this is me. 謝る必要なんてない、これが私

え、今日のタイトル画像?グレイテストシャーマンオマージュです、わかりにくいけど……。

もう、「マイノリティーだから説明や証明を求められても仕方がない」という時代ではない。何人も、自己のアイデンティティについて、説明も証明も謝罪も必要ない。

数年前、「社会教育主事」という職種の50代後半の方とお話しする機会がありました。その方の所属する組織では、5,000人の職員のうち、その職種はもう数名しかいなかった。さらに組織はその職種を廃絶しようとしている。そうさせないためにその方は「社会教育主事」がいかに必要な職種であるかの資料を作成して上司に説明したという話を聞かせてくださいました。
勉強を重ね経験も積んだ専門職の方が、自分の職種の必要性を説明させられる……それはさぞかし辛いことだったと思います。
もしいずれなくすことが既定路線であったとしても、そんな説明をその人にさせる場がどうして必要だったのか疑問でした。

「簡単に教えてもらえると思うな」論のまとめ

もちろん、わからないことについて、知りたい・理解したいという懇請をしてもいいと思います。
だけど、それは敬意をもって懇請されなければならない。
そして、原則として、その要請に応えるかどうかは求められた側が決めていいはずです。(政治とか裏金とか法律問題とか、説明責任がある場合の話は別ですよ、説明しなきゃかんです。念のため。)

説明・証明を求めることが根源的に持つ、無神経さ、不遜さ、暴力性について、社会の構成員みんなが自覚的であるといいのにな、と思います。

またも長くなってしまった葬送の怨嗟シリーズ、お読みくださってありがとうございました!!

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