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【自己紹介】16-1 簡単に教えてもらえると思うなよ 1


本題の前に

総投稿数100件!

昨晩集計してみたら、昨日の記事で、つぶやきや画像も含めた総投稿数が100件になりました!おお、めでたい!!つぶやきや画像を含めないと84件。お祝い事は多いほうがいいので投稿記事だけで100件になった際にまた「めでたい!」と寿ぎたいと思います。

読んでくださってありがとうございます!

ダッシュボードによれば、昨日までで全体ビューが16,728件、コメント51件、スキが917件。

……感無量!です!
「ビュー数は読まれた数ではない」という記事を拝読したこともありますし、Web制作会社出身なのでそうしたことは重々承知ではありますが、くらたのnote.は業務ではないし、この情報過多の時代に自分の書いたものがそれだけ他人様の目に触れたこと自体がすでに奇跡!
読んでくださる皆様、スキしてくださるみなさまのおかげて続けられています。本当にありがとうございます!

そんなところへ不穏なタイトルの記事ですみません!

簡単に教えてもらえると思うなよ

「IQ高い奴は低い奴に分かるように説明できるはず」?

先日、某短文系SNSでこんな投稿を見かけました。

IQが違うと話が合わないと言うが、IQ高い奴は低い奴に分かるように説明できるはず。(大意)

I beg your pardon ?! はあ?!もう一回言ってみろ!
ということで、今日から、このことについて考えたあれこれを書きます。
毎度おなじみお目汚しシリーズ開幕……申し訳ありません!

前提:知性のある人が社会にもたらす恩恵

中野信子さんが講演会で、「現在のように本を書いたりコメンテーターをするようになったのは、30代に入ったころに若くして望んだ研究成果を出してしまったためそこから先は余生だと思っていたところへ、友人から『学んできたことを社会に還元しろ』と言われたから」とおっしゃっていました。
くらたはこのエピソードがとても好きです。
中野信子さんの脳科学的見地からのご指摘はいつも参考にさせていただいております。ありがたや。

一方で、「東大を出ているのになんで〇〇なんてやってるの?」という言説があります。東大のみならず、京大、早慶版もありますし、〇〇にはクイズ番組出演とか芸人とかそういうのが入ります。うちの親もよく言っています。
でも大前提として、ある人が己が持つ知性を何に使おうが使わなかろうが当人が決めていいはずです。高学歴・高IQだろうがそうでなかろうがそれは同じだと思います。
それに、クイズ番組に出演している人や芸人が社会に還元していないというのは何をもって判断しているのかなってくらたは思います。

たとえば、くらたの大好きな篠原かをりさん。彼女は『Qさま!』などのクイズ番組によく出演されていますが、『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターでもありました。彼女の見たもの・感じたことを言語化する力には驚嘆します。くらたは、彼女の言葉をもっと聞きたいと思う。彼女の言葉は、彼女の知性から社会へもたらされる恩恵だと思います。

  • 古い教会のステンドグラスを見て……「こんなに精緻で美しいステンドグラスは見たことがない。文字が読めない人でも聖書の内容がわかるように作られたものなので、これはとても効果があったのではないでしょうか。」

  • 茶色い滝を見て……「この滝は周辺の植物から出るタンニンによって茶色くなっています。透明じゃない美しさもまたあると思います。」

  • 大きい葉の間に生息する生態の小さなカエルを見て……「『井の中の蛙大海を知らず』ということわざがありますが、このカエルはこの葉っぱの間で長い間生き延びてきたのであって、彼らにとっては大海は必ずしも知る必要はなかったのではないかと思いますね。」

  • 美しい夕焼けを見て……「圧倒的に美しいものを観た、無力感に近い感動

だからと言って、簡単に教えてもらえると思うなよ(怒)

そこで冒頭の投稿です。

IQが違うと話が合わないと言うが、IQ高い奴は低い奴に分かるように説明できるはず。(大意)

なんで無条件で・タダで・「説明」という時間と労力を提供してもらえると思っているのでしょうか。傲慢。不遜。
まあ、某短文系SNSらしいと言えばらしい気もします。

中野信子さんが講演会で話していらっしゃいましたが、人間の脳は体重に対して2~3%の重量なのに、酸素の4分の1、カロリーの5分の1を消費する大食らいの器官です。筋肉と脳を同時に使うミッションがあった場合、筋肉の分のリソースを奪って脳が使うそうです。
100人の会社で予算の4分の1を握る2人がいたとして、その2人に何をさせるかは、経営戦略上超重要な案件だと思いませんか?
だから、ある人が己が持つ知性を何に使おうが使わなかろうがそれは当人が決めるべきことだとくらたは思うのです。

「IQ高い奴は低い奴に分かるように説明できるはず。」などということを言う人はきっと、自分より理解度の低い人に説明する立場に立ったことがない人だと思います。

この短文を書いた人には嫌われそうですが、正直、理解度の高い人が言葉を尽くしても低い人にはなかなか伝わらないというほうが実感に近いなあ。
小さな子どもに質問されて答えに窮したとか、そういう立場に立ったことのある人はお分かりいただけると思いますが、自分より理解度の低い人に説明するのって、とってもとってもとーーーーっても大変です
4Kテレビに8K映像は映せない。相手が理解できる言葉がなにかを探り、言い換えたり比喩を用いたり、あの手この手を探らなければならない。
小さな子どもに質問されて答えに窮する経験とか、結構あるあるだと思うんだけどな。あ、もしかして子どもの発言なのでしょうか。子どもが「タダで説明してもらえて当たり前」って思っているのはわからなくもない。

「その人が必死で探したものをすんなりと教えてもらうというのは、正しくない」

最近タイトルに惹かれて読んだ本があります。
『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(F/KADOKAWA 公式HPへリンク
おお至言。すべての人間関係はこの言葉のうちにある。
「でもそれは今日ではない」という言葉のソリッドな温かみ、しゅき。

中に、ズバンと射抜かれる一説がありました。

好きなものを訊くのって、ちょっと失礼になるかもしれないと今でも思っている。テスト前に、真面目な同級生のノートを借りる行為に似ている。その人が必死で探したものをすんなりと教えてもらうというのは、正しくないのである。本人にとって、好きなものとは、そのくらい神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている。

『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(F/KADOKAWA 公式HPへリンク)13ページからから引用

まじそれな!!!!
「その人が必死で探したものをすんなりと教えてもらう」行為は、好きなものを訊くだけに限りません。
数年前、大好きな友達だったTちゃんに、「その心は?」「なんで??」と無邪気に無神経に無遠慮にズカズカ訊かれすぎて嫌になって連絡を取るのをやめたくらたは、首がもげるくらい頷いてこの本を買って帰りました。

明日はこのときの話を書きます。
今日もお読みくださってありがとうございました!

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