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名前屋(2) (2/4)

あらすじ
『名前屋』で名前を購入すれば、新しい名前での新しい人生を始めることができる。ずっと自分の名前にコンプレックスを持っていた「鬼山」は名前屋で名前を買うことで、新しい人生をスタートさせようと決意するのだが。
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「鬼山(きやま)茂(しげる)様ですね」 男が正確に私の名前を呼ぶ。 

「はい」

「ご来店お待ちしておりました。ではこれから、規則に従い、いくつか質問
させていただきます。嘘、偽りなく正直にお答えください」 

「わかりました」 

「ではまず、今回、鬼山様は〈苗字〉のご購入で間違いないでしょうか?」 

「はい。そうです」 

「それではご購入の動機について、簡単にお聞かせいただけますか?」 

「はい。ご存知の通り私は鬼山といいます。つまり苗字に『鬼』という漢字が入っているんですが、どうもこれが良くない」 

「といいますと?」 

「小、中学生の時など、これが原因でよく『鬼』、『鬼』とからかわれました。鬼ごっこの時など、必ず最初のオニは私でした」 

「なるほど。実際、その時期の子供はデリカシーにかけるところがありますからね」 

「ええ。そしてやはり『鬼』という漢字は恐怖のイメージが強いんです」 

「確かにそれはありますね」 

「私もこの歳ですから、会社において若手を指導する立場にあるのですが、彼らの成長を思い、ついつい厳しくなってしまいます」 

「ご察しいたします」 

「少し厳しくしすぎているのでしょう。苗字のこともあいまって、なんと彼らは陰で私のことを『鬼(オニ)』と呼んでいるらしいのです」 

「なるほど、それはお辛いですね」 

「まったく。それを知った時には正直ショックでした。確かに苗字に鬼は入っていますが、私は鬼じゃない」 

「ええ、当然です」 

「さらに、去年のハロウィンの時など、うちの部署の若手が桃太郎のコスプレをしたなんていう噂もあります」 

「そんな……それは少し度が過ぎていますね」 

「はい。まあ、とにかくこの『鬼』という漢字が問題なのです。これが原因で、からかいの対象となっているわけです」 

「なるほど……なるほど」 男は深く何度も頷いた。
 
 男の反応や相槌は心地よかった。熱心に話を聞き、否定のない、適切な合槌ちを返してくれる。良い聞き手とは、まさにこういうものなのだろう。話しやすく、私はスルスルと喋っていた。

「加えて読み方ですよ。ご存知の通り、「鬼山」と書いて"キヤマ"と読むんです。ところがみんな必ず"オニヤマ"と間違える。一体いままで何度間違われたことか。正直、いちいち訂正するのも面倒なんです。訂正する時、相手に申し訳ない気持ちにだってなります」 

「毎回、気苦労なされているんですね」 

「ええ。それに印鑑ですよ。急遽必要になることってありますよね? でもパッと買いに行った場所に売っていたためしがない……と、まあ、本当に挙げればきりがないのですが、要はこの厄介な苗字と早くおさらばしたい訳です」 

 私はようやく我に返って、そうまとめた。いつの間にか私は、どうでもいいことまで喋っていた。 

「苗字のことで、今まで大変苦労なさったんですね。いやな思い出を掘り起こしてしまい、申し訳ありません」 

「いいえ。最後は愚痴になってしまいましたね、すみません」  

「鬼山様のお気持ち十分にわかりました。ありがとうございます。そして、
『審査パス』とさせていただきます」

「……どういうことでしょう?」

「はい。やはり名前のご購入は、ご本人様が想像されている以上に、人生に大きな変化をもたらすものです。後々トラブルになることがないよう、動機をうかがい、こちらでも審査をさせて頂いております。お話を聞いた上で、不適切であると判断した場合、すみませんがご購入をお断りさせていただいております」

「……なるほど、そういうことですか」

「はい。ただ、鬼山様の場合、全くその問題がないことがわかりました」

「よかった。ありがとございます」

「それでは次に、購入する〈苗字〉の『ご希望』を教えていただけますか。誠に申し訳ないのですが、事前にお伝えしていた通り、必ずご希望に添えるわけではありません。また〈苗字〉によっては大変高額なものや、用意に時間がかかってしまうものもございます。ただ、こちらもできる限りご希望に添えるよう、最大限努力させていただきます。また、特に思いつかないということであれば、〈名〉との響きや画数のバランスを考慮し、こちらでいくつか候補をお出しすることも可能です」

〈苗字〉を何にするか。これこそが正に最重要事項である。選ぶ〈苗字〉によって、今後の人生が決まるのだ。実際私は、〈苗字〉に関するありとあらゆる情報を調べ、何ヶ月も悩んだ。今までのイメージを撤廃するような優しい〈苗字〉。希望する〈苗字〉が手に入らなかったり、あまりも高額になる事態は避けたかった。 

「はい。随分迷ったのですが、『丸山』などはどうかなと考えています。山は残りますし、なんだが優しそうなイメージがあります」 

「なるほど。素敵だと思います。『丸山』でしたらこちらで直ぐに用意が可能です」 

「本当ですか! 良かった」 

「それでは最後に、これは注意事項ですが、一度名前を購入されると一瞬で世界が組み変わってしまいます。そこは、十分ご注意下さい」 

「はい、存じてます」 

 それからいくつかの書面にサインをして、苗字代の五十万円を払い、店を出た。はて、五十万円が高いか安いか? けれどこれで、「鬼山」と綺麗さっぱりお別れできるなら、安いものではないか。とりあえず、問題は全て解決するのだ。私は夜道、駅を目指して足早に歩いて行った。

『名前屋』(3) に続く)

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