無意識の常識を問い直す
海外に出て一番のカルチャーショックは、仲良くなった友人の「結婚観」だった。
「私たちは結婚しないけれど、これからもずっと一緒にいるの」とベルギー人の彼女。私と同じ留学先に、彼氏と一緒に留学へ来ていた。10年近く付き合っている二人。彼女は「彼が他の子にデレデレしているのは表情でわかる」なんてやきもちを焼いたり、ちょっと赤くなって馴れ初めを教えてくれたりしていたので、「いつ頃結婚するの?」と聞いてみたところ、「結婚しない」と返事が返ってきた。
どうして?どういうこと?……と質問攻めする私に、「じゃぁどうしてミホは、結婚したいの?」と言われ、「結婚はするものだ」と思っていた常識が一気に壊れたのだった。
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浅草のホッピー通りで、男友達と恋愛における"正しさ"について議論になった。友達曰く、「社会的に、子どもを残すことは人間の義務、すなわち異性恋愛しか認めない方がいい」とのこと。話を聞いていると、「人類滅亡」をなにやらすごく危惧しているようだった。「色々な形を許可したら子孫が残されなくなってしまう」とか、「人類が滅亡しないように、社会的には異性婚をルール化したほうがいい」など、君は一体何者なんだと言わんばかりの主張が続く。
ちょっと行き過ぎた主張かもしれないが、今後人類が滅亡するか・しないかは、私の中でそこまで大きな問題ではない。それよりも、今の"常識"と反りが合わずに生きづらい思いをしている人、子どもを産むよりやりたいことを見つけてしまった人でも、のびのびと生きていける社会かどうかに注目したい。今、自分の周りにいる人たちが、少しでも生きやすくなってくれればいいなと思っている。
「どうして滅亡しちゃいけないの?恐竜だって滅亡したけど、それはそれなりに今の世界があるのだから、人類が滅亡した先にはまた、滅亡したなりの世界になっていくんじゃないかな?」と言うと友人は一呼吸置き、トイレに立った。子どもを産むか・産まないか、結婚するか・しないかは、できれば個人に任せてほしいなと思う。自分がマイノリティ寄りだからこそ、周囲からの圧力に疲弊しているからこそ、何年先かもわからない”人類滅亡"の防衛策として結婚・出産が選ばれてしまうのかが不思議だった。
トイレから戻ってきた友達は一服し、「この話はいったんナシで」と言った。そして、反論できるネタが無いからやめる、と続けた。
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きっと彼は、「人類滅亡」を阻止することが、常識だと思っていたのかもしれない(日本に限っての出産から異性婚を語るには大きすぎる常識のような気もするけれど)。けれどその常識を、「どうしてそれは常識なの?」と問いを出したことによって、それに対する答えを持っていなかったことに気づいたのだろう。
「ふつうはこうするでしょ」「こうに決まってるじゃん」など、ちょこちょこ使ってしまうワードだけれど、その"ふつう"って環境や時代が違うならガラっと変わってきてしまうもの。自分の持っている「ふつうはこうでしょ」について、「本当にそうなの?」の問いに出会い、もっと"常識"に向き合っていきたいなと思う。
去年の毎日note
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