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寺田寅彦に学ぶキャリア開発(領域限定とCross-Disciplinary Expertise)


キャリア開発と専門性

リスキリングという言葉が広まり、能力開発、キャリア開発への関心が高まっています。

もちろん、リスキリングという概念が広まる以前から一定数の人々は能力開発やキャリア開発に関心を持っていましたが、最近では転職市場の活発化と相まって能力開発やキャリア開発への関心がさらに高まっているように感じます。

能力開発やキャリア開発を考えるとき「専門性」について考えないわけにはいきません。能力を開発する、あるいはキャリアを開発するということは、どのような専門性を持つかということとほとんど同義だからです。

ゼネラリストか、スペシャリストか

専門性の獲得や向上については「ゼネラリストがいいか、スペシャリストがいいか」という議論が昔からあります。

ただ、こういう議論がされるときのゼネラリストとスペシャリストというのは、やや両極端なイメージで語られることが多いように思います。つまり、「ゼネラリストは何の専門性もない何でも屋」、「スペシャリストは極めて狭い範囲しかわからない特殊な人」というイメージです。

私自身はこの両極端なイメージとは違ったイメージで専門性というものを考えています。

元ネタはタイトルにもある寺田寅彦です。

寺田寅彦は物理学者であり文学者(随筆家、俳人)だった人ですが、大正4年(1915年)頃に「科学上における権威の価値と弊害」というエッセーを発表し、その中で当時の物理学が「だんだんに専門の数が増加しその範囲が狭くなる」と書いています。

結果として、物理学における権威(大学の物理学研究者)も「間口の広い方の権威者と間口が狭くて奥行ばかり深い権威者か二つに一つ」にならざるを得ないと結論づけています。

このエッセーの主題は「権威を盲信せず、自分の目で確かめて考えよ」ということで専門性の議論が主題ではないですが、上記の「間口の広い権威者」と「奥行きの深い権威者」という区別は現代のゼネラリストとスペシャリストの議論を見ているようで興味深いです。

この寺田の説に対する私の受け止めは「間口の広い権威者」は必ずしも「全てを知る者」ではない、ということです。つまり、寺田は物理学という分野に関して「間口が広い」と言ったのであって、物理学も美学も経済学も歴史学も何でも知っているという意味で言ったのではないということです。

これは現代のゼネラリスト/スペシャリスト論争でも役に立つ考え方だと私は思います。

領域限定での間口の広さ

つまり、間口の広さを諦めて「○○職人」的イメージで狭い範囲の専門性を極めるのか、領域限定で間口の広い専門性を身につけるのか、という違いをキャリア開発では考えるべきだと思うのです。

学者ではない、一般の職業人の世界でも専門性は重要な概念です。では、その専門性は、自分の専門から少しでも外れたら何も言えないような専門性であるべきでしょうか。それは、たとえば経理業務の中の特定のソフトウェアに入力する作業が異常に速くミスがない、という類の専門性です。

こういう専門性はたしかに重要ではあります。作業をミスなく、高速で行う能力は称賛されてしかるべきです。しかし、多くの職業人が身につけたい専門性はこういう類の専門性でしょうか。

おそらく違うと思います。

ある程度の領域の幅を持った中での、ある程度の奥行きを持った専門性を多くの職業人は身につけたいと思っているはずですし、企業としても、一定程度の融通のきく人材という意味で、専門の幅には注目するでしょう。

そういう意味で、奥行きを多少犠牲にしても間口の広さを追求することは、キャリア開発において悪いことではないと思います。
(専門をとことん極めたいのか、つぶしの効く人間になりたいのか、という違いとも言い換えられます)

これが寺田寅彦から学んだことの1つ目です。

複数の専門性をつなぐ

私が寺田から学んだことの2つ目は寺田自身のキャリアです。

ご存知のように、寺田は物理学者であり文学者です。つまり、2つの専門性を持っていたということです。これは、現代でも非常に重要なことです。現代だからこそ重要、と言った方がいいかもしれません。

前述の「科学上における権威の価値と弊害」も寺田の文才によって物理学に接点のない人にもわかりやすく書かれています。物理学者としての専門性と文学者としての専門性を融合させたことで、それぞれの専門性の総和よりも大きな価値を生み出したといえます。

この観点が職業人のキャリア開発にも必要だと私は考えています。

単に複数の別々のことを学ぶのもいいですが、学んだことを強引にでもいいから結びつけて、それぞれの専門家では出せない価値の創造をめざすことが大事です。

スティーブ・ジョブズも「Connecting dots(点と点を結ぶ)」と言っています。これは自動的に結ばれるという意味ではなく、意識的につなげていくという意味だと捉えるのが正解でしょう。

ビジョンによる融合、そして継続的努力

点と点をつなぐというのはなかなかに難しいことではありますが、自分なりのビジョンを持っていれば、それは可能ではないでしょうか。

自分が何によって世の中に貢献したいのか、顧客の何に対して貢献したいのかということがはっきりとわかっていれば(少なくと、自分はこういうことで貢献したくはない、ということがわかっていれば)、自分の持っている知識と新たに獲得した知識を総動員して、そのビジョンの実現のために必要な知識の組み合わせを考えることができるでしょう。

そのような独自のビジョンがあるからこそ、獲得した専門性が「独自の価値」になるのです。

この考え方は(専門性とは遠いところあると誤解されがちな)事務職にも通用します。たとえば、総務では社内のいろいろな立場の人に情報を発信する仕事があります。社内への説明資料を作成するときに資料作成スキルだけが高い人と社内の業務(特に製造などの主力業務)に精通している人では「資料のわかりやすさ」に差が出るはずです。

これは「資料作成スキル✕業務知識」という、複数の専門性の組み合わせです。資料作成スキルだけが高い人が作成した資料は現場からすると「何となく理屈っぽくてわかりにくい」と言われがちですが、業務のことがわかっている総務担当者の作成した説明資料は、現場の人にも総務的な事柄がよく理解できるものになっているはずです。

技術職・専門職の人が営業を経験して、(本で読んだだけではない、皮膚感覚での)顧客視点から製品やサービスを考える。実務家が歴史や芸術、哲学を学ぶことで自身の取り組んでいる課題を大きな視点で捉えなおし、他の実務家とは異なる課題設定をして問題解決に取り組む。

こうしたことも、複数の専門性を独自の価値創造につなげる例といえます。

限られた範囲での間口の広さ、そして複数の専門性の組み合わせ。これを現代のゼネラリスト/スペシャリスト論争に当てはめると、極端なゼネラリストでも極端なスペシャリストでもなく、ある程度「知っている/できる」というレベルの専門性を複数持っていると有効だ、ということになります。

そして、それが中途半端な「器用貧乏」にならないためには、独自のビジョンを持って、そのビジョン実現のために持っている専門性を総動員して創意工夫する継続的な努力が必要になります。

「Cross-Disciplinary Expertise(CDE:領域横断的専門性、複数の専門性を組み合わせた専門性)」の獲得は、独自の価値創造に極めて有効だと私は考えています。学びの構想と計画を個人レベル、組織レベルで立てることで、そうした専門性の獲得が円滑に行われ、個人・組織レベルでの環境適応力も高まるでしょう。


(執筆者:中産連 主任コンサルタント 橋本)
民間のシンクタンクおよび技術マネジメント系のブティックファームを経て現職。現在は、中堅・中小企業における経営方針の策定と現場への浸透の観点から、コンサルティングや人材育成を行っています。


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