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外国語を使うことの難しさ

今日は日本語指導と関係して、語学学習についての話です。

初級クラスを教えるとき、学生たちが使える言葉・文法はかなり限定されます。テキストであげられる言葉を覚えて、レッスンに沿って新しい文法を勉強していきます。なので、初級の学生たちは自分のことを表現するにしても、自分の持つ考えを深く表現することができません。

たとえば社会人経験もある20代後半の学習者なら、仕事や生活の中で本来持っている知識や思考があるはずです。でも、そんな人でも日本語では小学生のような受け答えしかできません。

たとえば、母語で話すと
「趣味は何ですか?」「読書です」
「どんな本を読むんですか?」「最近はビジネス書を読んでいます。最近○○の本を読んで、たいへん参考になりました云々」となるはずの会話が

「趣味は何ですか?」「本を読むことです」
「どんな本ですか?」「仕事の本です」となってしまいます。

おそらくこれは本人にとってものすごくストレスだと思います。本来なら様々なことを考えているし、母語でならそれを伝えられるのに、外国語では制限されてしまう。

もちろん、深く表現したいなら勉強をがんばってください、ということでもあるんですが、言語学習は一朝一夕でどうにかなるものではないので、初級レベルのもどかしい時期を乗り越えなければなりません。

わたし自身、英語やベトナム語の学習を通じて、そういった経験をしました。
本当なら「新人が入ってきて、指導しないといけないからすごく忙しい~。ほかの業務もあるのに、自分の仕事がぜんぜんできないの!」と言いたいのに、「最近仕事はどう?」「うーん、新しい人が入ったのでいそがしい」で終わってしまう。

実は、もうひとつ会話内容のレベルが下がってしまう要因に、脳のキャパが外国語を話すことに使われて、本来できるはずの思考が阻害されているということもあります。これは科学的に研究されていて、日本語教師を目指して養成講座を受けた人なら学ぶ知識です。

これはわたしの実体験なのですが、英語の授業中「日本で安くて有名なコーヒーショップはどこ?」と聞かれたときに「ドトール」と答えたかったのに言葉がまったく思い出せなくなったのです。長く日本に住んでいなかったので、普段使わない言葉を忘れていたこともありますが、授業が終わったあとにすんなり思い出しました。

たぶんわたしの英語力だと、”英語の言葉を聞き取ること””聞き取った言葉を理解すること”にほとんどの力を持って行かれて、”記憶からコーヒーショップの名前を引き出すこと”に使う力が残っていなかったのだと思います。

それ以外にも昨日したこととか、好きな歌手の話でさえ、いつも考えてることがまったく引き出せなくなったことがたびたびありました。わたしがもし今のまま英語を使って働けと言われたら、たぶん普段のパフォーマンスの半分も出せないでしょう。

こう考えると、日本で技能実習生なんかはN4レベル(日本語の初中級レベル)から受け入れをしていますが、とてもじゃないけど日本語で指示を受けて働けるレベルじゃないと感じます。

それは本人の仕事の能力が低いからでも、日本語の学習が足りないからでもありません。言語の習得レベルが低いとき仕事のパフォーマンスが下がるということがあまり知られてないことが原因で、ひずみが生じるだろうと予想できるからです。

労働力不足から外国人人材の受け入れが急がれていますが、受け入れる側の理解とか仕組み作りは十分なのかなあと、送り出す側に立って疑問に思ってしまうのです。

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今日の見出し写真はライスペーパーの製造工程の一部です。ライスペーパーは干して作るって知ってましたか?わたしは考えたこともありませんでした。

こういったライスペーパー作りの様子はホーチミン市の南、メコンデルタの町々にある観光者向けの施設で見ることができます。

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