見出し画像

近くにいれば漠然、離れれば輪郭が浮かび上がる。印象派の魔法、モリゾの絵。

フランスに来てから「いろんなことがありすぎて」と各方面に言っている。例えば詐欺まがいのトラブルに巻き込まれたり、コロナウィルスの感染者は1日5万人を超えたり、人生で初めて経験する出来事があったり、外出制限が発令されたり、3年前の思い出の延長線をなぞったり。具体的に「いろんなこと」とは一体何なのか、noteでも日記でもいいからどこかできちんと整理をしたい。いったい何に悩んで何に困って、何に苦しんでいるのか。嬉しいのか悲しいのか、辛いのか楽しいのか。それを漠然と「いろんなこと」なんて都合のよい言葉にまとめてしまうから、自分自身でも全体像がつかめずぼんやり漠然とする。

ほんとうは一つひとつの出来事に複雑な感情が入り混じる。だから簡単には言い表せない、適切に表現できるほど単純なものでもない。正確に描写するにはたくさんの言葉と時間が必要だろう。とりあえず今のところはっきりしている唯一の事実、確信をもっていえるのは、このコロナ禍においてもフランスに来る価値が計り知れないほどあったということ。

まもなく、この国にいて2ヶ月が過ぎようとしている。

思い描いた月日になったか否かと二択で問われれば、あれやこれやの面倒があっても、胸を張って「そうだ、何百倍もの想像を超えた方向で」とわたしは答えるだろう。

先週の木曜日、初めてMusée Marmottan Monetに訪れた。

画像5

画像2

モネやセザンヌの絵をみると、印象派を好きになったきっかけの2010年7月国立新美術館開催「オルセー美術館展2020」を思い出す。友人がチケットをもらったからと誘われた美術展。会場に入るまでにも40分ほど待ち、美術にこれほどまで人が押し寄せるのかと絵画に対する関心の高さにも驚いたのだが、実際にたくさんの絵画を見るとそのようなことがすっかりどうでもよくなってしまうくらいに筆舌に尽くしがたい美しさがそこにはあった。

抽象的であやふや。あいまいな世界、色使いの組み合わせ、壮年と晩年の筆のタッチの違い、自然に対する荒々しい表現と真摯な態度。

近くで見れば何を描いているのかがわかりづらい。しかし、少し後ろに下がって遠くから眺めて見れば実体がぼんやりと浮かび始める。人生もきっとそういうものなのかもしれない。渦中にいるとその情景に飲み込まれて、落ち着かないから慌てて抜け出そうともがく。1枚の絵であることには何も変わらないはずなのに、自分が立つ位置で印象は大きく変わる。

画像6

窓から港を眺める男の姿。前のめりになるような姿勢で向こう側の景色に想いを馳せる。1875年イングランドのワイト島で、モリゾの夫ウジェール・マネをモチーフにした作品「Eugène Manet à l'île de Wight」。

美術館にはモネだけでなく、モリゾの絵がたくさんあった。彼女は他のどの印象派の画家よりも優しいタッチで人物を描く。色使いも落ち着いたトーンで全体の雰囲気がどことなくやわらかく親しみやすい。これといって過去に好きな彼女の1枚はなかったけれど、今回、この作品だけは強烈に魅了された。

そもそも昔から、「誰かが何かを眺めている」「後ろ姿あるいは横顔」そんな人物の構図をもとにした絵や写真に惹かれることが多かった。平面のなかに思慮の断片、片鱗が含まれているからだろうか。考えながら絵を描いて、さらにその絵のなかにも計り知れない意識を込めている様が、作品を何倍にも奥深くする。

マネは一体何を考えていただろう、モリゾは何を想像して彼を描いただろう。ふたりで水色の港を眺めながら。港の風を浴びながら。

画像4

美術館を出たら秋晴れの日差し。鮮やかな緑と黄色。奥に透き通る青空。

画像5

印象派の絵のように、きっとこの先時間が経過して今2020年10月のことを振り返れば、あるいはコロナウィルスの収束時に渦中の現在を思い出せば、「ぐらぐらと不安定な状態だった」「正常な判断ができなかった」「それでも理性的に過ごしていた」「あの時期のわたしはこうだった」などと客観的に定義づけできるのかもしれない。

そのためにも、この国に来て「いろんなことがあった」の内側に宿る感情を大切な想いを、胸がぎゅっと苦しくなるような、切なくなるような思い出をこれからの人生のための糧や判断材料として残しておきたい。世の中なんて、世間なんてこんなもんかとがっかりしたり、絶望したり、見切りをつけるには早過ぎるから。

わたしたちは、変わり続けることでしか生きていけない。ウィルスだって変容する、人間だって同様だ。何一つ同じ状態なんてありえない。だから大切なのは、変化を受け入れる態度、現在と向き合う辛抱強さ、見る位置を変えるための時間を、場所を変えるスペースを作り出すこと。そして何よりも、生き続けること。

10年越しで、新たな意味を与えてくれた印象派の作品たち。来年は再来年は、5年後は10年後はまたどんな世界の見方を教えてくれるのか、それもまた楽しみである。

お読みいただきありがとうございます。サポートは社会の役に立つことに使いたいと思います。