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なぜ手は黒く染まったのか。河井夫妻事件を追い続けて(東京支社編集部・中川雅晴)

冬空の下、捜査関係者を待った日々

 振り返ると、あの時は寒かったなと思い出す。
 冬空の下、震える手を飲みたくもない缶コーヒーで温めた。捜査関係者が帰宅するのを、家の前で立って待ち続ける日々だった。8時間待ったこともある。あんまり寒いので、足元まで覆われるサッカー用のベンチコートを買って着込んでいた。俺、こんなとこで何してんだろう。何度もそう思った。

ベンチコートの夜回りイメージ
ある日の仕事帰り。ベンチコートは今も寒い時に羽織る

 元法務大臣の河井克行氏と、その妻で自民党の参議院議員だった案里氏。河井夫妻の大規模買収事件を、2年余りにわたって追いかけてきた。でも、それはまったく「かっこいいもの」じゃなかった。とにかく地味で、はたから見れば「苦行」みたいな取材の繰り返し。激しい特ダネ競争は冷や汗の連続で、何度も逃げだしたくなった。

2871万円の“ばらまき”

 この事件のことはご存じかもしれないが、取材する自分たちも知れば知るほど驚くものだった。
 河井克行氏は、案里氏が立候補した2019年7月の参院選広島選挙区で、地方議員たち100人に現金を配ったとして公職選挙法違反罪に問われた。判決で認定された買収額は、2871万円に及んだ。つまり議員たち100人に2871万円をばらまいた前代未聞の事件だ。

案里氏と安倍元首相

 事件の一部が表に出たのは、2019年10月の週刊文春による「文春砲」。それを追うようにして、当時、広島地検を担当していた自分の取材も始まった。
 捜査が本格化するにつれ、他紙に特ダネを書かれる「抜かれ」も経験した。休日の朝、広島県警を担当している上司から「早めに追うしかありません」とメールが来たときは、頭を殴られたようだった。記者として烙印を押されたような気がした。
 なんとかして情報を取らないといけないが、捜査は「密行」が鉄則。捜査員の口は堅い。検事は警察官に増して口が堅いと言われる。でも、なんとかやり返したかった。眠たい目をこすり、朝も夜も、捜査関係者の自宅に向かう「夜討ち朝駆け」を繰り返した。通常の勤務時間中の取材では聞き出せない情報を得るためだった。
 しかし、捜査関係者はいつ帰ってくるか分からない。冬の寒空の下、待つしかなかった。夕方から待って深夜1時ごろ。8時間待っただろうか。ようやく赤ら顔の捜査関係者がタクシーで帰ってきた。
 「捜査の進捗状況は」。はやる気持ちを抑え、尋ねる。だが、返ってくるのは心がさらに凍え混むほどの「塩」対応。「ノーコメント」。こっちだって必死なんだ、とアピールし、なんでノーコメントなのか、と食い下がっても「ノーコメント」。はしにも棒にもかからないとはこのことか。がっくりと肩を落とす日々が続いた。
 心が折れそうになりながら、深夜、広島県警の庁舎内にある記者クラブに戻ると、中国新聞のブースだけ明かりがともっていた。上司が待っていたのだ。取材の成果がないことを告げると、「お疲れさま。また頑張ろう」。その優しい言葉に胸が締め付けられる思いがした。自分の無能ぶりに嫌気が差した。
 苦戦しながらも、なんとか事件の概要をつかみ、報道を重ねていった。そうしてようやく浮かび上がってきたのが、巨額の買収事件、“ばらまき”の構図だった。疑惑から8カ月後の2020年6月、河井夫妻はそろって逮捕された。

舞台は司法へ ひたすらメモを取る

東京地裁
東京地裁

 舞台は、いよいよ司法の場に移ることになった。河井夫妻の東京地裁での裁判を取材するため、私の東京出張は計9回、合わせて150日を超える長いものになった。
 注目の裁判の取材はもしかしたら、華やかなものに映るかもしれない。けれど実際は、メモ、メモ、メモの繰り返し。これもまた、とても地味な仕事だった。
 公判の焦点は、河井夫妻が地方議員たちに手渡した現金の色が黒なのか、白なのか。つまり、「買収行為」かそうでないのか。連日開かれる公判で朝から夕方まで、河井夫妻と数多くの地方議員たちの発言を、一言一句聞き漏らさないよう、ひたすらノートに速記していく日々が続いた。
 同僚の男性記者2人とチームで裁判を傍聴した。より速く書けるよう克行は「か」、案里は「あ」、参院選は「参」とメモ。昼ご飯を食べに出る時間もなく、あらかじめ買っておいたパンを口に詰め込み、法廷に戻ってメモをとり続ける。夕方には手がしびれてくる。

取材ノート

 その日の裁判が終わると、今度は締め切り時間を気にしながら記事を書く。確認作業を終えると帰りは未明に。コンビニの棚に残るおにぎりやパンを買って、ホテルに帰る。
 広島の家族とも離れ、寂しい毎日。華やかとはかけ離れた時間だった。同僚記者の1人は腱鞘炎になり、食事のときは箸を左手で持つようになった。

見えてきたことは

 そんな地味な取材の積み重ねの中で、見えてきたことがある。政治家同士のカネのやりとりは実に頻繁に行われていること。そうしたカネを黒か白か判定するのは非常に難しいこと。そんな中で、政治家たちのカネのやりとりの感覚は麻痺しているんじゃないかということ。

甘利さん

 実際に政治家たちが、カネのやりとりの「隠れみの」として使っているのが、政治資金規正法だ。
 誰かを当選させる目的で現金を渡すことは買収行為として公職選挙法で禁止されている。しかし、政治資金規正法は、政治活動のカネなら、政治家が代表を務める政治団体同士でやりとりすることを認めている。実質的には政治家同士の「寄付」である。買収目的であっても政治団体同士の「寄付」と装うことで、規制の網をかいくぐるかのような制度だ。
 例えば今回の裁判でも、克行氏から現金を受け取った広島県議の一人はこう主張した。「政治団体同士の寄付金として受け取ったので違法ではない」
 でも、カネの色はやはり「黒」だったのだ。東京地裁は2021年6月の克行氏への判決で、100人全員への現金提供を「買収」と断じた。そして克行氏が10月に控訴を取り下げたことで、罪は確定した。

国会事務所前


 だが検察当局は、黒いカネを受け取った側の地方議員や首長たち全員を不起訴処分にした。「強引にカネを渡されるなど受動的な立場だった」とするが、果たして国民が納得できる答えだろうか。今も多くの議員が職を続けている。
 そんな地方議員たちの姿を見ていると、ある例え話が頭をよぎる。カエルはいきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水を入れて水温を上げていくと、逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまう。「ゆで蛙」の話だ。
 彼らは国会議員と金銭のやりとりを続ける中で、いつの間にか、自分の手が真っ黒に染まったことに気付かなくなったのだろうか。それが今、罪に問われていないだけなのではないか。有権者の審判を避けたまま、議員としての活動をするのは、おかしいんじゃないか。

ばらまき書店

 そう思っているのは、私だけではない。2年以上にわたって中国新聞が取り組んだ一連のキャンペーンには、数多くの記者が携わった。1人1人がどんな取材をし、何を思ったか。それはこのほど刊行された書籍「ばらまき 河井夫妻大規模買収事件 全記録」(集英社、1760円)にまとめている。
 あの寒かった日々を経て、いま胸にあるのはもどかしさと憤りだ。このままでは、政治に対する有権者の冷ややかな視線を払拭できるとは思えない。

仕事風景PC前

書いた人・中川雅晴(なかがわ・まさはる)
 2007年入社。36歳。東京支社編集部記者。自民党本部や原爆・平和を担当している。広島県廿日市市出身。入社後、紙面編集を担う整理部、安佐北支局などで勤務。報道センター社会担当として、河井夫妻の大規模買収事件を2年余りにわたって取材した。

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