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市販薬を大量に飲むオーバードーズ。広島の20代女性が、自身の苦い体験を振り返りました。

 市販の風邪薬などを大量に飲むことで気分を楽にさせ、心の悩みから逃避する「オーバードーズ」。いま、若い世代を中心に増えているようです。なぜ薬に依存するのか。その結果、どんな危険にさらされるのでしょう。広島で暮らす28歳の女性、アライ(仮称・敬称略)は、3年にわたる薬物乱用から抜け出したばかり。「もう薬には逃げない。自分を失いたくないから」と、自らの体験を振り返ります。(小林旦地)

アライ2

バイトに行くため 薬を20錠

 早朝、化粧ポーチに入れてあるせき止め薬のビンから手のひらに流し出したのは、真っ白なせき止め薬20錠ほど。アライは思う。ちょっと多く出し過ぎたかも。まあ、いい。錠剤を口に入れると、ボリボリとかんで飲み込んだ。
 さっき、実家の自室で目が覚めたばかり。ベッドの上では、背骨がギシギシに固まっている感じがして動けなかった。頭の中には、脳みそではない何か黒いドロドロしたものがたまっているよう。何も考えられない。大きく息を吸い、腕を立てて何とか起き上がる。きょうもバイトにいかなきゃならない。だから薬をたっぷり飲んだ。

オーバードーズ薬


 家から10分ほど歩いてコンビニに着くと、制服に着替えてレジに立つ。薬を飲んで30分。少しずつ元気が出てくるのを感じる。「いらっしゃいませー」。ちゃんと声も出る。店頭に立つのは、いつも5時間くらい。これくらいなら薬を追加しなくても働ける。

 バイトを終えて昼前に帰宅した。母親はいるようだが、日中は顔を合わせたくない。ずっと心を病んでいる。口論になって、包丁を振り回されたり、首を絞められたりしたこともある。再婚して落ち着いたと思ったのに、それは相手がいる夜だけ。昼間は弱く、哀れなままだ。そんな母がたまらなく嫌だった。帰宅後は自分の部屋にこもり、ゲーム機の電源をつけた。

オンラインゲームの知り合いに促され

 薬がないとゲームができそうにないから、朝と同じようにせき止め薬をボリボリかんで飲む。家族が眠ったころ、オンラインゲームでつながる年上の女性と「じゃあ、きょうもやろうか」と言って、ある市販薬20錠を一気に飲んだ。小一時間眠気に耐えながらゲームをしたら、「じゃあ2ラウンド目ね」。もう20錠を飲んだ。
 すると、少しずつ頭がフワフワしてくる。酒に酔っているときと似ているけど、いろんな感情が湧き出てくることはない。脳みそが浮いた感じで、自分のことも母親のことも、バイトのことも、もうどうでもよくなる。これがないと、長い夜を乗り越えられない。

アライ7

夜が怖くて 現実から遠くに

 アライは夜が怖かった。また明日が来ることにおびえながら「もうやめたい、もう無理、死にたい」と考え続ける長い長い夜が怖かった。フワフワはそんな夜からアライを救ってくれる。空を飛んでいるような感覚がして目を開けると、目の前の白い部屋の壁がグニャグニャと動いている。そんな幻覚を見ていると、現実から遠くに来られた気がして気分が楽になる。
 
 これが、ほんの1年前のアライの日常だった。本当は減薬しようと思って、彼氏と2人で暮らす千葉から広島の実家に帰ったのに、失敗してしまった。この頃、薬を飲み始めてから既に2年半がたっていた。

アライ6

始まりは25歳、新宿・歌舞伎町のバーで

 始まりは、新宿・歌舞伎町のバーで、女友達からせき止め薬を薦められたときだった。酔った頭でドラッグストアに寄り、まだ彼氏の帰ってきていない部屋で買ったばかりの風邪薬を2ビン、一気に飲んだ。死にはしないでしょ。でもまあ、死んでもいいか。そう思いながら。
 その頃は、うつ病の治療をしていて毎日生きるのが大変だった。何をしても満足感が得られなかった。「何かしなきゃ」「誰かに認められないと」。焦りが消えないのに、いざ動こうとすると体がしんどくてたまらない。どうしたらいいか、わからなかった。
 日中は訪問介護の仕事をしていた。それは自分が人の役に立っていると感じられる貴重な時間だった。でも、しんどさは消えなかった。
 仕事帰りにドラッグストアでまた、女友達に薦められた薬を買った。翌朝、20錠飲んだ。不思議とこれまでの憂鬱な気持ちがどこかに消えてなくなった。いつしか、手放せなくなった。「よし、やるか」。そう気合を入れるために。仕事だけじゃない。休みの日の家事にも、彼氏とのデートにも気合いが必要だった。薬は欠かせなくなった。
 飲む量もどんどん増えた。朝、昼、夕に20錠。2日に1ビン以上必要で、店員に怪しまれないように近所のドラッグストアを回って買った。

アライ9

アライの描いた絵

減薬に失敗 体が悲鳴を上げ始めた

 実家で減薬に失敗し、千葉の彼氏のところに帰ったが、相変わらず薬は手放せなかった。「今度こそ」。そう考え始めたのは、体が悲鳴を上げ始めたからだった。
 息ができないくらい胸が圧迫される。心臓がチクチクするようになった。ひどい便秘も続いた。動くために薬を飲むと吐き気がこみ上げた。物忘れもひどくなってきた。友達が話していることが何のことか分からない。情けなかった。
 ようやく気付いた。普通に生活するために飲んでいた薬のせいで、普通に過ごすことができなくなっていることに。ただ息をすることさえ苦しくなるなんて。せめて薬の量を減らさなきゃ。強く、そう思うようになった。

アライ8

広島で療養 離脱症状と闘う

 本気で療養するため、広島で1人暮らしを始めた。地元の精神科医に相談すると、親身になって話を聞いてくれた。先生は入院を勧めるが、どうしても怖い。1時間の押し問答の末に先生は折れて、減薬プログラムを考えてくれた。時間をかけて量を減らしていくことになった。
 減薬は、想像以上につらい治療だった。離脱症状で手足が激しく震える。働いていない自分が惨めでたまらなくなる。「何かしなくちゃ」「いや、療養中なんだから動かなくていいんだ」。心がぐらぐらする。夕方には、何もしなかった一日を振り返って絶望する。不安がどんどん押し寄せ、また薬が欲しくてたまらなくなる。どうにか耐えながら、暗い部屋で過眠と不眠を繰り返した。
 不安でどうしようもなくなって、外に酒を飲みに行ったこともあった。声を掛けてきた客に恐怖を感じて、店の中で暴れ回った。警察につれていかれた後、家に帰って鏡を見ると、コンクリートブロックにぶつけた右目の上が紫色に腫れ上がっていた。

アライ4

「後戻りしない」自分に言い聞かせて

 それでも、今回は薬に逃げていない。確実に減薬している。半年近くたった今、飲みたいという渇望はほぼなくなった。気軽に外出できるし、胸の圧迫感や吐き気もなくなった。
 ただ、緊張すると手の震えが止まらなくなるときはある。友人の手伝いで飲食店で客に酒を出す時も、手が震える。心配になる。この震えは一生治らないのだろうか。
 不安から逃げたくなっても後戻りしちゃだめだと、と自分に言い聞かせる日々。「薬を求める体と、今は何とか付き合っていかなきゃ」とアライは言う。でないと、もう自分を取り戻せなくなる。どこかでそう分かっているからだ。今の願いは一つだけ。「まともな生活を送りたいです」