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資産を蓄え早期リタイアする「FIRE」という生き方―。中国地方の実践者に聞く

 若い世代が憧れる「FIRE」という生き方を、中国地方でも実践する人がいます。投資などで資産を蓄え、40代前後で退職して好きなことをして過ごすライフスタイルです。組織にしがみつかない、納得できない働き方からは思い切って離れる―。先行きが不透明な時代、「人生を自分のものにしたい」という価値観が強まっているのかもしれません。(栾暁雨)

激務に疲れセミリタイア

 残業続きの会社員生活に見切りを付け、広島市の男性(41)がセミリタイア生活を始めて1年になる。資産は預金や有価証券、不動産を合わせて1億3千万円。運用の中心は不動産で、賃貸収入と預金で生活費を賄う。「人生100年時代、働くだけが幸せじゃない。今は大人の夏休みです」。そう話す表情は、すがすがしい。

 激務にささげた過去を取り戻すように、家族と穏やかな生活を送る。毎朝、夫婦で娘を幼稚園に送り、帰宅後は株式市場をチェック。午後は経済や英語の勉強をしたり運動したり。娘と一緒にお絵描きし、自転車の練習に付き合うこともある。3人で夕食をとり、読書をして、夜10時には寝る。退職したことを母親には「世間体が悪い」とちくちく言われたが、罪悪感はない。ノーストレスの生活に満足している。

娘を幼稚園に送ったあと、喫茶店で株式相場をチェック


 前の会社では中間管理職だった。年収は800万円。ただ、繁忙期は月150時間の残業が当たり前だった。3時間睡眠で朝6時から夜12時までぶっ通しで働く生活が続いた。

 ある朝、起き上がれなくなり、うつ状態と診断された。天井を見上げて自問した。定年までの人生、「労働とお金の奴隷」でいいのだろうか…。前から気になっていた米国発の「FIRE」が頭をよぎった。

 父親から相続した土地に戸建ての賃貸住宅を建てた。家賃収入は月50万円。ローンを返済しても毎月約30万円が手元に残る。金融商品で得た利益や預金2千万円と合わせると「ぜいたくしなければ当面は暮らせそう」。会社を去った。

 「FIREの鍵は一に倹約、二に倹約」と、男性は強調する。無駄な支出を抑えてシンプルに暮らすイメージだ。男性の場合、資産額から逆算した年間支出の目安は500万円前後だが、使う額はもっと少ない。物欲もない。たまの外食は家族で行く回転ずし。年2回、四国の実家に帰省するのが旅行代わりだ。

 以前の生活には戻れない。でも、不思議と不安はない。一生働かないと決めたわけでもない。手堅い資格があるから仕事を再び始めることもできる。今後は娘の教育費もかかってくる。どのタイミングで働くか、働かないか、決めるのは自分。人生の主導権を取り戻せた気がしている。

 FIREは、経済的自立と早期リタイアを意味する英語の「Financial Independence,Retire Early」の頭文字を取った略語。年間支出の25倍の資産をつくり、年4%で運用すれば蓄えを減らすことなく暮らしていけるという考え方だ。

 関心の高まりを裏付けるように、書店には指南本や成功事例を紹介する本が並ぶ。在宅ワーク支援のネクストライフ(東京)の2021年の調査でも、20~60代の100人のうち「興味がある」と答えた人は8割に上った。

 融資仲介業のLENDEX(東京)がFIREに成功した約千人に聞いたところ、準備を始めた時期は30代が最も多かった。目指した理由は「自由な生活に憧れた」「会社中心の働き方に未来を感じない」が目立つ。資産形成の方法は株式投資、投資信託、預貯金、不動産投資の順だった。

株と不動産投資で「億り人」目指す


 岡山市の会社員男性(37)も、FIREを志す一人だ。資産は有価証券や不動産を合わせて約6千万。10年前に始めた株式投資に加えて、昨夏に「大家さん」デビューもした。老後も安定的に収入を受け取りたいと考えたからだ。

 買ったのは、大学時代を過ごした東京の中古マンション2部屋。家賃収入は月19万円で、ローンなどを引いた手取りは月10万円。これに会社員としての月収を加えると計40万円になる。

不動産管理会社から送られてくる家賃の明細書

 胸を張るほどの金額ではないが、株の運用でも頑張れば、FIREが夢ではない気がしている。これまでも「アベノミクス」の株高に乗って、約1千万円を稼いだ。最近の急激な円安も追い風になり、為替でも利益が出ている。目標は大きく、金融資産1億円の「億り人」。50歳でリタイアし、趣味の野球観戦で全国を回る生活が理想という。「独り身なので、ぜいたくしなければやっていけるんじゃないですかね」

 30代後半になり、「給料をもらうだけの生き方」が不安になった。「年収は上がらないし終身雇用も年金も当てにならない」と話す。会社の古い体質や人間関係にも嫌気が差していた。前例踏襲の非効率な働き方で、若手の提案は通らない。将来性を感じないのか、転職者も増えている。

 成長が感じられない職場で、我慢して働くのは時間がもったいない。労働力を吸い取られるくらいなら、多少リスクがあっても自分の裁量と努力で収入を増やしたい―。今後は物件を買い足し、株の勉強に一層力を入れる予定だ。「会社だけが軸だと行き詰まる。他の道があると思えば、気が楽です」

 確かに、お金があれば人生の選択肢は増える。資産運用に詳しいニッセイ基礎研究所(東京)の前山裕亮さん(38)は「長い間、企業に依存してきた日本人にとって、FIREは個人が自立する機会になるかもしれない」とみる。自分で生き方やマネープランを考える一歩になるからだ。転職の希望者が増えるのは、社会にとっても、適材適所の道が開けて活性化するプラスの側面がある。

投資のリスク指摘の声

 一方で「投資にはリスクは付きもの。期待し過ぎるのは危ない」と警鐘を鳴らす。資産運用の利益がずっとキープできるとは限らないし、元本割れもある。不動産投資は、空室リスクがあり、建物の修繕費もかかる。FIREを達成した後も、定額しか消費しない節制力や投資を学ぶ勤勉さも必要だ。病気など予期せぬ出費もあるかもしれない。生活を維持するためには「ハードルがかなり高い」と話す。

 スキルや人脈がなく仕事を辞めれば、投資が失敗した場合の再雇用も難しい。「会社にいるうちに専門性を磨いたり外部の評価を得たりして、自分の『市場価値』を高めておく必要がある。社会での居場所をつくっておいた方がいい」と前山さんは助言する。人生100年時代、長い道のりを充実させるためにも、働くことを完全に放棄するのはお勧めしないそうだ。

 今後、FIREは生き方のスタンダートになるだろうか。少なくとも令和の若者たちにとっては「理想」の選択肢の一つになっているようだ。