chuchu_yonekawa

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最近の記事

海の神様

「甘ったれ」  普段は温厚で声を荒らげることすらない兄のカケルが、顔を真っ赤にしてマサキをそう罵倒した。マサキはショックのあまり、泣くことも忘れて兄の顔を見上げた。  カケルは目に涙を浮かべている。そして鼻をすすりながら、マサキに背を向けた。マサキは何が兄の逆鱗に触れたのか、まるで見当がつかなかった。マサキは何も我儘を言った訳ではない。ただ母が恋しいと泣いていただけ。  母が亡くなって3か月が経とうとしていたが、マサキは未だにその事実を受け入れることができていなかった。  

    • どんな自分も愛せる?

      「あなたは自己肯定感が高いですか?」 改めてそう聞かれると難しい。 自分のことは嫌いではないし、幸せにしてあげたいと思っている。 しかし、それが自己肯定感があるということなのか? そもそも自己肯定感とは何か? 例えば仕事で評価され、みんなの前で表彰されたとする。 私はそんな自分を誇りに思うだろう。 自分にご褒美をあげたくなるかもしれない。 そんな時に、「あなたは自己肯定感が高いですか?」と聞かれたら、きっと「イエス」と答えると思う。 一方、例えば仕事でミスをして、みんなの

      • ダイアナの靴

        頑張らないことを頑張ると決めても、癖って本当に怖いもので、ついつい頑張ってしまいます。 ということで、頑張らないをタスク化してしまえばいいと思いついたものの、そもそも頑張らないとはどういうこと? そんなことを思っている時、ふらりと「ダイアナ」という靴屋さんに行きました。 ダイアナは私にとっては少しお高めで、今までお店に行くことはあっても買うことはありませんでした。だけど憧れの靴屋さんで、いつか買いたいと何年も思ってきたのです。 その時も、ふらふらと店内を見て回るだけで、手に

        • ばにゃにゃの魔法

          先日、My Sweet Angles(甥と姪)に会ってきました。2人ともまさに天使で、可愛くて仕方ないです。 特に2歳になりたての甥の成長が著しく、いつの間にかめちゃくちゃ喋るようになっていました。でもまだまだ、発展途中。バナナがちゃんと言えず、「ばにゃにゃ」になってしまいます。しかし、私をはじめとする親戚一同は大歓喜。甥が「ばにゃにゃ」という度に、拍手喝采でした。 その時、ふと思ったのです。 「ばにゃにゃ」って、とっても可愛くない?と。 「ばにゃにゃ」って「『バナナ』を

          頑張らないを頑張ってみることにした

          「頑張って」 「頑張ろう」 「よく頑張りました」 「頑張る」っていいことだと思っていたし、今でもいいことだと思っています。 「頑張って」勉強して、「頑張って」いい学校に入って、「頑張って」就職活動をして、「頑張って」仕事をして…… 頑張ったことで得られたものも、きちんと評価をされたこともあります。 だから毎日、「頑張って」「頑張って」「頑張って」…… でも一体いつまで頑張ればいいのでしょうか?頑張って壁を乗り越えたとしても、またすぐに次の壁が出てきます。頑張ったことが報われ

          頑張らないを頑張ってみることにした

          「不良品につき返却します」

            男は至極めんどくさがりだった。  「やれ」と言われたことはやったが、言われなければ何もしなかった。 両親に言われるままに何となく進路を選び、高校を卒業した。そして両親から「就職しろ」と言われたから、就職活動をした。ところが、上手くいかなかった。それもそのはず。仕事の大部分は「AI」が担うようになり、この国はかつてないほどの就職難だった。男は運が悪かったのだ。段々と就職活動もしなくなり、何もせずに日々を過ごすことが多くなった。男の両親もいつの間にか何も言わなくなった。  し

          「不良品につき返却します」

          今夜、星降る丘で

          「起動しました。」 「おお、目が開いた。」 私が目を覚ますと、1人の男が興味深そうにこちらを覗いていた。推定年齢60歳のアジア人だ。彼の話す言語は日本語。位置情報は日本の首都トウキョウである。 「俺の手にかかればこんなもんよ。」  男の隣にもう1人、ニンゲンがいた。こちらは推定年齢20歳、男と同じアジア人だ。大きな目を細め、ニコニコと笑っている。 「ほんとにありがとう、“ハル”。」  男の発言から、若い方のニンゲンの名前は“ハル”と認識。 「しかしあんたも物好きだねぇ。こんな

          今夜、星降る丘で

          戦争孤児だった祖母の話

          私が幼かった頃、祖母の家の食器棚に、卵の形をした桃色の文鎮がありました。私はその文鎮が何故か気に入り、よく光を透かして遊んでいました。そんな私の様子を見兼ねたのか、ある日、祖母が言いました。 「これは、空襲で焼け崩れた家に残っていたものなんだよ。もしばあちゃんが死んだら、あげるからね。それまではばあちゃんが持ってるね。」 私はその時、「空襲」が何なのかよく分かりませんでした。しかしよくよく見ると、確かにその文鎮には黒く焦げたような跡があったのです。 それから月日は流れ、去年

          戦争孤児だった祖母の話