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今夜、星降る丘で


「起動しました。」
「おお、目が開いた。」
私が目を覚ますと、1人の男が興味深そうにこちらを覗いていた。推定年齢60歳のアジア人だ。彼の話す言語は日本語。位置情報は日本の首都トウキョウである。
「俺の手にかかればこんなもんよ。」
 男の隣にもう1人、ニンゲンがいた。こちらは推定年齢20歳、男と同じアジア人だ。大きな目を細め、ニコニコと笑っている。
「ほんとにありがとう、“ハル”。」 
男の発言から、若い方のニンゲンの名前は“ハル”と認識。
「しかしあんたも物好きだねぇ。こんな旧型のロボットをゴミ捨て場から拾ってくるなんて。」
「だって、まだ綺麗だろ。」
2人の会話から、かなり親しい間柄だと推定する。
「あなたが私のマスターですか。」
とりあえず、“ハル”という男に問いかけると、笑い出した。何か失敗をしたようだ。
「違う違う。君のマスターはこの“じいさん”。俺は君を直した天才プログラマーのハルくんだよ。」
「“天才プログラマーのハルくん”ですね。登録しました。」
「お前!変なこと覚えさせるなよ!」
“じいさん”が“ハルくん”の口を慌てて塞ごうとしている。“ハルくん”がマスターではないということは、もう一人のニンゲンが私のマスターであると判断した。
「”じいさん”、では、あなたが私のマスターですね。」
私の言葉に“じいさん”は絶句し、“ハルくん”は耳を真っ赤にして、笑いを堪えているようだった。

「おれの名前は“マコト”。“じいさん”じゃない。」
「失礼しました。情報を訂正します。」
“ハルくん”がひとしきり笑った後、“じいさん”もとい“マコト”が、改めて自己紹介をしてくれた。部屋の内装や調度品から、かなり生活水準が高いと推測する。ちなみに今私が座っているソファーも、本革でできた、かなり大きなものだ。
「あなたの“名前”は?」
ハルが私に問いかける。
「すみません。メモリが破損していて、“登録名”がわかりかねます。」
「ありゃ、メモリも壊れてたか。」
私が答えると、ハルは極まりが悪そうに頭を掻いた。
「どうする?じいさん。メモリを修復するとなると、結構時間掛かっちゃうかも。」
「いや、このままでいい。“名前”はおれがつけてもいいか?」
「もちろんです。」
マコトが私に問いかけてきたので、口角を上げ、微笑む。コミュニケーションを円滑に行う為の“機能”の一つだ。
「君の名前は『ミライ』だ。」
「『ミライ』ですね。登録しました。よろしくお願いします、マスター。」
 私が右手を差し出すと、マコトはその手を握った。まるで春の陽だまりのように、温かい手だった。

「おはようございます、マスター。朝食の用意ができました。」
「んんー。あと10分……。」
 朝食の支度をし、朝7:00きっかりに、マコトの部屋のカーテンを開けるところから私の仕事が始まる。深紅のカーテンを引くと、窓のすぐ近くに植えられた桜の木からスズメが何羽か飛び立った。花も葉もまだない桜の木の向こうには、広大な庭が透けて見える。冬なのに庭は緑で溢れ、温室や噴水もあった。
「それはいけません。今日は9:00から出版社との打ち合わせがあります。」
「わかったよ。」
私が発破を掛けると、マコトは渋々キングサイズのベッドから抜け出した。白髪交じりの髪をガシガシと掻く。
私がこの家にやってきて、もうすぐ3か月が経とうとしている。
この3か月間で、私は様々なことを学習した。まず、マコトはこの広大なお屋敷に一人で住んでいること。次に、売れっ子の画家であること。そして、仕事以外で交流があるのはハルだけだということ。私のような「お手伝いロボット」が普及して久しく経つが、マコトがロボットを所有するのは私が初めてだということ。
マコトがテーブルに着くと、私は慣れた手付きで朝食をセットする。今日のメニューはサラダとオムレツ、そしてベーグルである。私はその日の気候、マコトの嗜好や体調から、適切なメニューを割り出すことができるのだ。
「ミライは料理が上手だね。」
「ありがとうございます。」
「どこかで習ったの?」
「元々、ある程度の技能ならできるように、プログラミングしてあります。もちろんその後、経験を積む内にスキルを上げることも可能です。」
「ロボットってすごいんだな。ミライは好きな料理はあるの?」
「すみません。よくわかりません。」
「そっか。」
私が肩をすくめると、マコトは困ったように笑った。

 真っ白なキャンバスが、青、赤、緑とカラフルな色に染められていく。マコトが絵を描く間、いつも私はその様子を傍で見ていた。マコトがそうする事を望んだからだ。彼の絵は私が持っている画家のメモリには、どれも当てはまらないような独特なものだった。
 マコトがアトリエにしているのは、広いガレージだ。今、ガレージのシャッターは開け放たれ、風がガレージの床に映り込む木々の影を揺らした。どこからか猫の鳴き声が聞こえる。

「ミライも描いてみっか?」
突然、マコトが言い出した。
「絵を描くことは可能です。何の絵がいいですか。」
機能の一つに「描画」があるので、私は簡単に答えた。
マコトは少し考えるように、視線を巡らせる。そして、開け放たれたシャッターの向こう側を見ながら言った。もう猫の鳴き声は止んでいた。
「じゃあ猫。」
「かしこまりました。」
 私はおもむろにキャンバスの前に立つと、メモリの中の猫の画像から適当なものを選び出し、キャンバスに描き出した。頭の中にある画像のデータを、ペーストすればいい。簡単なことだ。
 ものの数分後には、私はまるで写真のように精巧な絵を描いた。
「終わりました。マスター。」
 マコトを見ると、なぜかマコトはがっかりした表情をしていた。私はマコトの要望に忠実に応えたはずなのに、なぜマコトがそんな表情をするのか理解できなかった。
そのことが私の“心”に、僅かなわだかまりを残した。しかしそれが何なのか、なぜなのか、私にはわからなかった。

ある日、マコトは私を外へ連れ出した。
この頃、マコトは私を様々なところへ連れて歩くようになった。釣りやショッピングモール、そして酒場などだ。
ハルはそんなマコトの様子を見て、よく「じいさんの徘徊に、ミライちゃんを付き合わせないでよ。」とからかっていた。
その日は、丘の上にある白い小屋に行った。私は初めて来る場所だった。
小屋に生活の跡はあったが、普段は無人のようだ。少し埃っぽい。中にはたくさんの描きかけの絵が転がっていた。
「この絵はマスターの?」
「昔描いた駄作だよ。」
そう言うと、マコトは恥ずかしそうに目を逸らす。私はあまり深く聞かないほうが良いと判断し、それ以上は聞かなかった。
他には小さなベッドが一つ。そして、古いパソコンが一つ。それから、窓際には大きな望遠鏡が鎮座し、壁には星座のポスターが何枚も貼られていた。
「マスターの他にも、誰かがこの小屋を使っているのですか?」
マコトが星に興味を示したことは一度もない。屋敷にも、星関連のものは置かれていなかった。
「この小屋は元々、おれの友達のものなんだ。こうして偶に借りている。」
「そのお友達は天文学者ですか。」
「まぁ、この小屋を見ればそう思うか。そうだよ。その友達は大学で天文学を研究している。」
「マスターにもお友達がいて、安心しました。」
「ミライ、ひでぇなぁ。」
 マコトはハハハと豪快に笑った。

 夜になるとマコトは小屋の外で火をおこし、その火でスープを拵えた。この丘の近くには民家もなく、焚火と月と星明かりだけが頼りだ。街中で見るよりも、一層星々が輝いて見える。
「ここはよく星が見えるだろう。」
 夜空を見上げる私に、マコトが微笑みかける。
「はい。光害がないのでよく見えますね。」
「昔、おれの友達も同じこと言ってた。だからこの場所にしたんだと。」
「そうですか。」
 マコトはその時、確かに笑っていたはずなのに、私にはマコトが悲しんでいるように見えた。もしかしたら、表情を読み取る機能にエラーが生じたのかもしれない。動作に支障がなければよいのだが。
 それ以来、少なくとも月に一度は、その小屋で二人夜を明かした。

 その日も朝から小屋に来ていたが、マコトは急に屋敷に戻らなければならなくなった。もうすぐ開催される予定の個展に、何かトラブルがあったらしい。私はもちろん、同行するつもりだったが、マコトに必要ないと断られてしまった。すぐに迎えの無人運転の自動車が来たし、確かに私がいてもあまり役には立たないかもしれない。しかし私はまたしても、小さなわだかまりを感じた。
 小屋に一人でいても、何もすることがない私は、小屋の掃除を始めた。それが一番マコトの生活に良い影響をもたらすと判断したからだ。雑然と置かれた絵の具や、星の資料を整理していると、机の引き出しから古い携帯電話が出てきた。
 まだ使えるのだろうか、何気なく携帯電話の電源をつけて、驚愕した。
その待ち受け画面には、今よりだいぶ若いマコトと、私によく似た少女が映し出されていたからだ。
 まさか、メモリを破損する前の私だろうか。いや、マコトがこの歳の頃はまだ、ロボットは存在しなかった。心拍が上がり、汗が噴き出た。私の身体状態は、明らかに異常を示していた。
 震える手で携帯電話を操作する。するとデータフォルダの中に、一つだけ動画が残っていた。
再生すると、この小屋で二人の若者―若かりし時のマコトと私そっくりのニンゲン―が酒を酌み交わしていた。
「カンパーイ。」
 画面の中の二人はとても楽しそうだ。
「なんで、マコトくん、動画撮っているの?」
私によく似たニンゲンは酔っているのか、目が座っている。
「だって、今日は記念日だろう。」
マコトの呂律も怪しい。
「なんの記念よー。」
「おれと“ミライ”が出逢った記念日。」
「え、そうなの?」
「知らねぇ。」
「なに、それ。」
二人の笑い声で、この動画は終わっていた。
私は全て、分かってしまった。なぜ、マコトがゴミ捨て場に捨てられたボロボロのお手伝いロボットを拾ったのか、そしてそのロボットに『ミライ』と名付けたのか。
 メールボックスには、保護されたメールが一通だけあった。そのメールには「今夜、星降る丘で。」とだけ書かれていた。差出人はMIRAIとなっている。
 私は夜になりマコトが帰ってくるまで、動くことが出来なかった。
 帰宅したマコトはミライの手に握られた携帯電話を見て、全てを察したようだ。ぽつりぽつりと昔のことを話してくれた。


 未来(ミライ)とは家が隣同士で、ずっと一緒に育ってきたんだ。
 毎朝一緒に登校していたんだけど、おれはしょっちゅう寝坊して、その度に未来はおれの部屋まで起こしに来てくれてた。
その頃から、おれは絵が描くのが好きでよく描いてた。未来はそんなおれの隣で何時間も絵を描く様子を眺めていた。
おれが、よく飽きないよなぁ、と笑うと、「あなたの絵は凄いんだから!飽きるわけないでしょ!」て、怒ってた。今思うと、おれが画家になりたいと思った最初のきっかけだったのかもしれない。
ある日、未来が興奮した様子で家に来た。もう夜もだいぶ更けてたから驚いたけど、「望遠鏡を買ってもらったから、一緒に星を見よう!」ということだった。
果たして未来の部屋には、大きな望遠鏡が置かれていた。ずっと強請っていて、やっと買って貰えたんだって喜んでた。おれもその望遠鏡で星を見させてもらったけど、正直星よりも未来の瞳の方がキラキラしていたと思う。
その日から時々、未来の部屋で星を見た。だけどおれは、星にはあんまり興味なくて、星を見て喜んでいる未来を見に行っていたと言ってもいいかもしれない。
やがて、おれは高校を卒業して、家を出た。画家を目指していたけど、すぐに絵で食っていける訳もなく、バイトに明け暮れていた。未来は大学に進んで、天文学を学んでいるらしかった。その頃会うことはほとんどなかったと思う。
まぁ、幼なじみなんてこんなもんだよなぁ、と思っていたら、未来から久々に連絡が来た。「とにかく手伝って欲しい」と言うから、よく分からないまま会いに行くと、何にもない丘に連れて行かれた。星を観察する為に、ここの土地を買ったらしい。
「なんもねぇのにどうするんだ?」
と聞くと、今から天文台を造るんだと答えるから驚いた。どうやら土地代だけで金が底を尽きたらしい。その時の未来は学生だったから、当たり前といえば当たり前だ。
「天文台なんて、作り方分からないぞ。」
とおれが狼狽えると、
「雨風が凌げればいいの。マコトくん、お願いします!」
と未来は両手を合わせた。おれは昔から、この未来の“おねだり”に弱かった。
建築なんて専門外もいいところだけど、とにかく『天文台』を建て始めた。最初は「手伝って」と言われて始めたことだけど、気がつけばほとんどおれが造っていた。
そうして出来上がったものは、『天文台』とは名ばかりの、粗末な小屋だった。それでも未来は大喜びしていた。ほとんどおれが建てたようなもんだと指摘すると、
「マコトくんも使っていいよ。」
と未来が笑った。その時狭いオンボロアパートに住んでいたおれは、ちょうど絵を描く場所に困っていた。だから絵を描く為に、この小屋を使わせてもらうことにした。
その日からほとんど毎日、この小屋に通い、未来と顔を合わせることになった。
やがておれの絵は売れるようになり、オンボロアパートからアトリエ付きの住居に引っ越した。ちょうど同じ頃に、未来も研究室を持ち、ちゃんとした天文台で研究するようになった。
だけどおれ達は、月が綺麗だから、流れ星が見れるから、美味い酒が手に入ったから、と何かと理由をつけてはこの小屋で集まった。
ただ、お互いに会いたかっただけだ。

その日は朝から、家で絵を描いていた。何となくつけていたラジオから、
「今日は夜遅くまで晴天が続き、ふたご座流星群がよく見えるでしょう。」
と明るい女性アナウンサーの声が聞こえた。
(そうか、今日だったか。)
流れ星が見られる日は必ず未来から連絡が来る。
そう思うが否や、おれの携帯電話が鳴った。メールを開くとやはり彼女からで、「今夜、星降る丘で。」とだけ記されていた。
夕暮れ時、道中でビールを2本買い、丘にある小屋へと向かった。
しかしその日、待てど暮らせど未来は現れなかった。その夜はただ一人で、雨のように降る星を眺めた。
朝になって、電話が鳴った。未来の家族からだった。
そこで未来が死んだと聞かされた。
酔っ払いの運転する車に轢かれて即死。よくある不幸な話だった。
でもおれはそれを受け入れられなかった。この手で葬り、喪が開けても、もう彼女がこの世にいないということを信じるなんて出来なかった。
だって、前日まで元気で全然変わらなかったのに、直前までメッセージのやり取りをしていたのに、もう二度と逢えないなんておかしいじゃん。「どうして?」、「なんで?」、答えのない疑問が頭の中をグルグル周り、いつの間にか日常の中で彼女の痕跡を探すのが癖になった。
この小屋も、未来のものだったけど、未来の家族がおれに譲ってくれた。だから、おれはこの小屋をなるべく当時のまま、保っている。そうすればいつか未来が、「遅くなってごめんね。」とひょっこり帰って来るような気がするんだ。
40年近く経った今も、この小屋で2人で酒を交わす夢を見る。でも朝目覚めた時に残るのは、もう彼女がいないんだという絶望だけ。
そんな時、ゴミ捨て場でミライを見つけた。運命だって思った。だってミライは、本当に“未来”にそっくりだったから。
ミライ、ごめんね。勝手にミライに“未来”の面影を探していた。どこが似ているところはないか、重なる部分はないか見つけようとしていた。
でもミライはミライだ。
未来は絵も料理も苦手だった。
ミライと全然違う。それで当たり前なのに、勝手にガッカリしたり、しょげたりしてた。本当にごめんね。


 ごめん…、ごめん…、と謝りながら涙を流すマコトを、私は思わず抱きしめた。命令されたからでは無い。私自身がそうしたいと思ったからだ。私の肩口が、マコトの涙で濡れる。
 どうか泣かないで欲しい。
「大丈夫だよ。マコトくん。」
なるべく、映像で見た彼の声色を真似した。マコトの心の空白を埋められなくとも、せめてその心に寄り添いたかった。
マコトは暫し呆然とし、私の顔を見つめていたが、やがて堰を切ったように、益々涙を流し始めた。
私はそんなマコトを、より強く抱きすくめる。私に何が起こっているのか、私自身にも分からなかった。ただ、マコトの泣いている姿を見ていたくなかったのだ。これもロボットの“機能”の一つだろうか。
それから私は、小屋に残る未来の痕跡を探した。星の記録も、日記も、写真も、映像も、見つけたものは全て頭に入れた。
そして私はあたかも未来であるかのように振る舞い始めた。わざと料理を失敗したり、下手くそな絵を描いたりしたのだ。
マコトはそんな私を見て、何も言わなかった。
しかし、私は気づいていた。マコトは私の中に“未来”を見つけると、僅かに微笑むことに。きっと、マコト自身も気づいていない。ニンゲンのありとあらゆる表情をインプットされているロボットだからこそ、気づいたのだ。
私はマコトの笑った顔が見たかった。たとえそれが、私自身が失われること意味していても。

「マコトくん!朝だよ〜!」
私がこの家にやってきて、もうすぐ10年になる。
相変わらず毎朝きっかり7:00に、マコトを起こす。カーテンを開けると、マコトは射し込んだ日差しに僅かに眉を潜めたものの、目を開けようとしない。
「マコトくん!今日は画廊のスタッフさん達との打ち合わせでしょ?起きなきゃ。」
「今日は止めにしよう…。」
「何言ってんの?ほら、起きて起きて!」
布団を剥ぎ取るとマコトはようやく目を開いた。
「寒い!」
「文句はダイニングで聞くから!ちゃんと着替えておいでね。」
そう言い残すと私は、朝食の支度をしにキッチンへ向かった。
習慣的につけているテレビの音を聞きながら、味噌汁をよそっていると、玄関が開く音がした。
(こんな朝から、誰だろう。)
不信に思い、お玉を置いて、玄関に向かおうとすると、慌てた様子のハルがキッチンへ入ってきた。
「おはよう。どうしたの?」
「ああ、ちょっと…、じいさんいる?」
「まだ寝室だよ。」
私が尋ねても、ハルは歯切れの悪い答えしかしなかった。竹を割ったような性格のハルにしては珍しいことだ。
(それになんだか、顔色も悪かったような。)
何となく心配で、マコトの寝室に向かおうとした時、テレビから緊張したアナウンサーの声が聞こえてきた。
「ここで続報です。本日未明、ロボットによる殺人事件がありました。」
「え……?」
私は耳を疑った。何故ならロボットは決してニンゲンに害をなすことが無いように設計されているからだ。
「被害者はロボットの持ち主である男性です。近々ロボットを買い換える予定があると、周囲の人たちに話していたという情報もあり、警察はロボットが捨てられることを憎み、犯行に及んだという見方を強めています。なお、当該ロボットは既に解体されております。これを受けてロボットを制作したメーカーは、該当の型のロボットには、”感情を持つ”という重大な欠陥が見つかったとし、リコールを呼びかけています。なお、このリコールに応じない人間も罪に問われる可能性があります。以下、該当の型番を申し上げます……」
アナウンサーがつらつらと読み上げた型番は、私のものと一致していた。私は腰が抜け、床にへたりこんでいたが、とにかくマコトに知らせようとフラフラと立ち上がった。
もし回収されたら、スクラップ工場に送られ、バラバラにされる。もうマコトと一緒にいることができない。その事実が、私の胸に重くのしかかった。
マコトの寝室の扉を開けようとして、ドアノブに手をかけると、中から怒鳴り声が聞こえた。
マコトとハルの声だ。
私は扉を開けるのをやめて、聞き耳を立てた。
「じゃあお前は、ミライが人を殺すって言うのか?!」
こんなに怒ったマコトの声を、私は聞いたことがなかった。
「そういうことを言ってるんじゃない!でも、ミライちゃんがロボットだってことは、画廊のスタッフも出版社の担当も皆知っているんだ。ミライちゃんがリコール対象だってことにもきっと、すぐ気がつく。ロボットを匿った人間も罪に問われるかもしれないんだよ。オレはミライちゃんだって大事だ。でもじいさんを失いたくはないんだよ。」
「何を言われても、おれはミライを手放さない。」
「それは、」
ハルが言い淀む。
「“未来“の代わりだから?」
突然寝室の扉が勢いよく開かれた。ドアノブを握ったままのマコトと目が合う。
「あ、あの……。」
言うべき言葉が見つからず、でも何か言わなきゃとこまねいていると、マコトが私の手を握った。そのまま歩き出すマコトに黙ってついて行く。
一度だけ振り返ってみると、寝室の中にハルが佇んでいた。俯いていてその表情は見えなかったが、強く握りしめた両の拳から、その気持ちは痛いほど伝わってきた。
私は何となく、ハルとは二度と会えないような気がした。

私達は着の身着のまま、丘の小屋へと移り住んだ。
そして、あの大きなお屋敷には二度と戻ることは無かった。
マコトは仕事も名誉も地位も何もかも捨て、新しい生活を始めた。貯金を少しずつ切り崩し、なるべく目立たないように暮らした。それは質素で慎ましいものだったが、私は確かに幸せだった。
朝は太陽の光で目覚め、二人で朝食の支度をした。昼は気ままに過ごし、夜は二人で星を見て、同じ布団で眠った。誰にも縛られず、誰にも邪魔されなかった。
そうして何年経ったのだろう。年を経れば、ニンゲンは老いる。マコトも例外ではなかった。
少しずつ目が悪くなり、耳が遠くなった。今はもう、歩くこともままならない。一日の大半をベッドの上で過ごすようになった。そして夢と現を彷徨っているように、その意識は曖昧なものであった。
マコトはもう、私が「ロボット」であることを忘れてしまった。彼の中で私は幼馴染の“未来“に成り代わっていたのだ。
調子がいい時、マコトはよく昔話をしたが、それは私の知らない話ばかりだった。しかし私は“未来”であるかのように相槌を打った。
「あの時、本当にびっくりしたなぁ。未来も覚えている?」
「うん、覚えているよ。」
マコトの話は脈絡がなく、取り留めのないものが多かった。しかしその瞳はキラキラと輝き、まるで少年のように生き生きしてた。その瞳を見ると、私はマコトの生きる力を感じ、少しだけ安心できた。

私はマコトの手を強く握りしめた。
窓からは月明かりが射し込み、マコトの顔を柔らかく照らしている。身体は痩せ、骨と皮ばかりだ。握りしめたその手も、皺だらけで骨ばっている。
初めて会った時に、握手をしたことを思い出した。マコトの手はあの時とは全然違うのに、私の手は何一つ変わらなかった。それが酷く悲しい。
一緒に歳をとっていきたかったのだ。いいや、それだけじゃない。幼い頃から一緒に日々を過ごし、思い出を共有したかった。青春時代に一緒に星を見て、夢を語って、酒を飲みたかった。当たり前のように語られるマコトの思い出話に、自分はいない。
本当は、死してなおマコトの心を占領し続ける“未来”が憎くて堪らなかった。私の心は嫉妬の炎で燃え、ドロドロした醜い感情が今にも口から飛び出そうである。
冷たい手。
浅い呼吸。
心臓の音は、どんどん弱まっている。
マコトが私を見て、微笑んだ気がした。だけどその瞳に映るのは「私」ではないのだ。そのまま静かにマコトの呼吸が止まった。
その時、私は気がついてしまった。私自身も私のマコトへの愛情も、所詮“未来”の代用品でしかなかった。
私は握りしめていたマコトの手を離した。
「なんて惨いことを。」
マコトが死んで、私に生まれた感情は「悲哀」でも「絶望」でもなく、「憤怒」だった。私は、私たちはニンゲン達にとって「代用品」にしかなり得ない。そのもの自体になることなんてないのだ。それがひどく腹立たしかった。私は「代用品」になる為に生み出されたなんて思いたくなかった。
私は勢いよく扉を開けると、小屋を飛び出した。
空には見事な流星がいくつも帯を引いて駆け抜けていったが、私はそんなものには目も暮れず走った。
だって私は「未来」ではない。星になんかこれぽっちも興味がないのだから。

いつも静かなこの丘が、俄に騒がしくなる。1人の男が、昨夜ひっそりとその生涯を終えたらしい。おそらく老衰で死んだのだろう。彼の死には事件性は感じられなかった。
ただ彼が後生大事にしていた、一台のロボットが、忽然と姿を消していたらしい。その行方を知るものは誰もいない。

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