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「不良品につき返却します」

  男は至極めんどくさがりだった。
 「やれ」と言われたことはやったが、言われなければ何もしなかった。
両親に言われるままに何となく進路を選び、高校を卒業した。そして両親から「就職しろ」と言われたから、就職活動をした。ところが、上手くいかなかった。それもそのはず。仕事の大部分は「AI」が担うようになり、この国はかつてないほどの就職難だった。男は運が悪かったのだ。段々と就職活動もしなくなり、何もせずに日々を過ごすことが多くなった。男の両親もいつの間にか何も言わなくなった。
 しかしそんな日々は、突如終わりを告げた。立て続けに両親が死んだのだ。男は泣いた。それは両親の死を悼んだからではない。自分の今後の人生を心配して泣いたのだ。男は自分が世界一不幸であるように感じた。
 この時になって男は初めて、自分の人生について真剣に考えた。もう、指図してくれる両親はいない。男はどうしたらいいか分からなかった。ただ、死にたいわけではなかった。死なないためには生きるしかない。生きていくのには金が要る。金を得るためには働かなければならない。
 
とにかく金を得る方法はないのか探すため、男は久しぶりに街に出た。もちろん当てがあるわけではない。
 ぶらぶらするうちに、商店街にたどり着いた。人で溢れ、活気に満ちている。楽しそうな家族連れ、仲睦まじいカップル。どれも男には無縁のものだ。男はそんな人々を、まるで別世界の人種であるように眺めていた。

「いらっしゃいませ。」

 不意に声を掛けられた。いつの間にか家電量販店の入口に立っていたようだ。男に声を掛けてきたのは、絶世の美女だった。恰好からして、この店の店員だと分かった。
「ただいまキャンペーン中でございます。もしよろしかったら、お話だけでも聞いていきませんか。」
 そう言って微笑む美女は、まるで絵画から飛び出してきたように幻想的で艶やかだった。並の男ならコロリといってしまいそうである。しかし男には先立つものがなかった。
「他を当たるんだな。生憎俺には金がない。」
 そうぶっきらぼうに言い放って、男は背を向けた。そしてそのまま、足を踏み出そうとしたところ、美女に呼び止められた。
「今、ご用意がなくとも心配ありません。十年後にお支払いいただければ結構です。」
「は?」
 予想外の話に男は思わず振り返ってしまった。美女は男を見て、華麗に微笑む。
「お話、聞いていかれますか?」
 男は思わず首肯した。


 美女の後に着いて行くと、店のバックラウンドにあるラウンジへ通された。さほど広くはないが、シンプルでセンスの良い家具が揃えられ、居心地の良い空間だ。二人掛けのソファが一対あり、勧められるがまま、男は片方のソファに腰を下ろした。
大きな窓からは西日が差し込み、美女の顔に柔らかな影を落とす。
「我がタオタイ社が打ち出す新商品は、この最新鋭の『AI』搭載の新型アンドロイドです。」
 そう言うと、美女は部屋の片隅に置かれた物体に掛かる赤い布を外した。布の下から現れたのは、件のアンドロイドである。見た目は人間と瓜二つ。ただ、目を開けたまま微動だにしないことだけが、これが人間ではないことを示していた。
「どうですか?見た目にもこだわっているんです。」
 美女の声が弾む。確かに、アンドロイドはとても美しい造作をしている。目の大きさは控えめだが、目の淵を彩る長いまつ毛が存在感を醸し出す。鼻筋がスーッと通っており、その下にぽってりとした唇がある。顔は小さく、胸のあたりまで伸びたウェーブ掛かった髪が彩る。まさに「女神」のような容貌だ。
「確かに見た目は完璧だな。」
 男が素直に褒めると、美女が三日月のように目を細めた。
「もちろん、見た目だけではありません。」
 そう言うと、美女は徐にアンドロイドのうなじ辺りをまさぐった。どうやらそこにアンドロイドのスイッチがあるらしい。静かなモーター音と共に、アンドロイドが瞬きをした。
「初めまして。私はあなたのアンドロイドです。何なりとお申し付けください。」
 アンドロイドは、まっすぐ男を見つめて言った。美しく澄んだ声だ。とても機械の発する音とは思えなかった。
「これは見事だ。」
「そうでしょう。限りなく人間に近いんです。家事でも仕事でも、お客様の命令には忠実に応えます。気に入られましたか?」
 正直、男は迷っていた。実際に見てみて、このアンドロイドは今までに類を見ないほど、美しく有能そうに見えた。
「いくらだ?」
 男が尋ねると、美女は少し躊躇ってから言った。
「こちらは、10億円です。」
「はぁ?」
 男は食べていくのもやっとだ。どう考えたって、そんな金はない。「冗談じゃない、帰る。」と、腰を上げかけた男に美女が慌てて言い縋る。
「しかし、こちらの商品の保証期間は10年です。」
 それがどうした、そう思い男が睨みつけると。美女は少したじろぎながらも、落ち着いた声で言った。
「10年経つまで、お代はいただきません。」
「10年で10億貯めろって?」
 男はいら立ちを隠さず聞き返した。美女は先ほどより、むしろ落ち着いているようにみえた。
「我々は“お客様の満足”を一番に考えております。」
「だから?」
「もし10年お使いいただき、お気に召しませんでしたら、“不良品”として商品は返却いただきます。しかしお代は一切いただきません。」
「はぁ?」
 男は驚愕した。そんな話は聞いたことがなかった。
「つまり、10年間、このアンドロイドをただで使えるということか。」
「まぁ、そういうことになってしまいますね。」
 美女が苦笑いを浮かべる。
 男ははやる気持ちを抑えることができなかった。もしかしたら、このアンドロイドを使って一儲けできるかもしれない。しかもそのアンドロイドはタダと来た。こんなうまい話がほかにあるものか。
「もし、俺がこのアンドロイドを返却したら、こいつはどうなるんだ。」
 興味本位で聞いてみた。このアンドロイドがどんなに素晴らしいものでも、10年後、男が返却することは火を見るより明らかだ。返却したアンドロイドが、誰か別の人間に使われるのは、なんとなく気に食わなかった。
「ご返却いただいたアンドロイドは解体しまして、部品は全てリサイクルに回されます。」
「別の人間が中古で使う、なんてことはないんだな?」
「“不良品”と判断されたモノには、何の価値もありません。バラバラにして、部品だけ再利用し、新しいモノを作った方が余程社会の為になるでしょう。」
 美女の表情は柔和だったが、その言葉やけに冷たく男の耳に響いた。


 家に帰り、男はさっそくアンドロイドを起動させた。うなじのスイッチを押すと、アンドロイドの長いまつ毛が震えた。
「こんにちは。ご命令を何なりと。」
 そう言って微笑むアンドロイドは、確かに美しい。もし彼女が本当の人間だったら、数多の男を手玉に取り、大金を貢がせることだってできるだろう。
「いや、その手があったか……。」
 男はこのアンドロイドを使い、大金を手に入れる方法をひらめいた。
「お前、俺の言うことは何でも聞くんだよな?」
「はい。貴方は私のマスターですから。」
 男が尋ねると、アンドロイドは素直に答えた。
「お前にこれから、男を騙して金を奪い取ってもらう。」
「分かりました。具体的な指示はありますでしょうか?もし無ければ、最も適切と思われる方法にて実行させていただきます。」
「そうだな…。出会い系のアプリに登録して、そこでカモを見つけるんだ。」
「かしこまりました。」
「お前の名前は、そうだな、桜がいい。」
 男は出会い系サイトで業者が成り済ました架空の女性を指す『サクラ』から、このアンドロイドにぴったりの名前を思いついた。
「はい。では、私の個体名を“桜”で登録します。」
「ああ。」
 アンドロイド、もとい、桜が微笑んだ。それはまるで女神が地上に舞い降りたかのように感じてしまうほど美しく、神聖なものだった。そんな彼女がこれから、男を騙し、金を取ろうとしていると思うと何だか背徳的だと、男は感じた。
 

桜は本当によく働いた。
 名前を変え、同時に何人ものカモと交際していたようである。多い時は月に100万円以上稼ぐこともあった。桜はカモを夢中にさせるにはどうしたらよいか計算し、常に適切と思われるしぐさや言葉を選び出すことが出来た。本当に最新鋭の「AI」を搭載しているようだ。
 そしてそれは、男に対しても同じだった。桜は常に、男が欲しい言葉を投げかけてくれる。日がな一日、何をするでもなくフラフラする男を、決して責めることはない。たとえ桜の稼いだお金を、賭博に興じて一晩で溶かしても、桜は慈悲深い笑顔を浮かべて言うのだ。
「マスターのお役に立てて嬉しいです。」と。
 男がサクラに夢中になるのは時間の問題だった。やがて男は、10年後に桜を返却しなければならないのが惜しくなった。桜の働きがあれば、もしかしたら10億円を用意することも可能かもしれない。しかし同時に男は、桜が他の男と連絡を取り合い、甘い言葉を囁き合ったり、キスしたりするのが嫌でたまらなくなった。自分だけを見て、自分だけに愛の言葉を投げかけて欲しいと願うようになったのだ。桜を自分だけのものにしてしまいたかった。
今まで誰かから言われたことを言われた通りにしてきた男にとって、自ら何か欲しいと思うのは初めてだった。
そこで男は、桜を使わずに大金を稼ぐ方法を考えた。普通に働いても、とてもじゃないが10億円を用意することはできない。だから思ったのだ。お金は多く持っている者から奪えばいいと。
この国で一番お金を持っているのは、高齢者だ。高齢者は、今のような就職難や不景気を経験することがなかった。だからお金は有り余るほどあるはずだ。いやむしろ、いい思いをしてきた分、今の若者に還元するのは当然ではないか。そう、男には金を奪う正当な理由があったのだ。
幸いなことに、桜が稼いだ金がいくらかある。男はその金を元手に、高齢者を相手に投資詐欺を始めた。仕組みは簡単だ。はじめは少額の投資金を募り、何倍にもして返す。最初の内は、カモの信頼を得ることが大切だ。そして次からは徐々に投資金額を上げていく。何かと理由をつけて、金は返さなければいい。カモが何か文句を言って来るかもしれないが、どうせ老い先短い。ほっとけばいいのだ。
男は実によく働いた。それは全て桜を手に入れる為だ。その為ならなんだってできた。


 やがて男の事業は大きくなり、一人で運営することが出来なくなってきた。もちろん桜には手伝ってもらっていたが、それだけでは間に合わない。そこで男は人を雇うことにした。不景気な世の中だ。多少後ろめたい仕事でも、働き手はすぐに見つかった。やがて事業はドンドン大きくなり、東京の一等地にオフィスを設けるまでになった。男はもう有頂天だった。自分にまさかこんな才能があろうとは、思いもしなかったのだ。
 そんなある日、一人の老人が男の会社にやって来た。オフィスのエントランスで、投資した金を返せと喚いているらしい。部下に追い払わせようとしたが、警察を呼ぶと言って聞かないらしい。
 仕方なく、男自ら出向いた。しかし、エントランスを覗いて驚いた。そこには「老人」と名ばかりの、クマのような大男が暴れまわっていたからだ。二の腕には竜の刺青があり、一目で普通の筋の人間ではないことが分かった。はじめは多少の暴力も仕方ないと思っていた男だが、なるべく穏便に済ませた方がよさそうだと考え直す。わざとらしいほどににこやかな表情を作り、老人に声を掛けた。
「いかがされましたか?」
「ああ?」
 老人が男を睨みつける。男は笑顔を保っていたものの、内心は怖くて仕方なかった。
「おめえが社長さんか?」
 老人が酒焼けしたようなガラガラ声で男に問うた。
「左様でございます。私の部下が何か失礼でも?」
「失礼なんてもんじゃねぇ。てめぇんところの投資話は、詐欺だろうが。警察に行ったっていいんだぞ。」
「詐欺なんて、とんでもない。ただいま、香港で金融システムのトラブルがあり、入金が遅延しているだけでございます。」
「こっちにはそっち方面に詳しいやつもいる。俺の目はごまかせねぇぞ。いいから俺の出資した金、耳を揃えて返してもらおう。」
 仕方がない。こういう筋の人間を怒らせると、後々面倒くさいのは確かだ。この老人の出資分くらいは失っても痛くないだろう。男は部下に目線で合図して、人払いさせた。これから、人に聞かれるとまずい話を老人と交わさなければならないと思ったからだ。
「かしこまりました。」
 あっさり引き下がった男を見て、老人は欲が出たのだろう。歯のない口をゆがませて下品な笑みを浮かべる。
「いや、本当は出資金を何倍にもして返すという約束だったな。それならば、出資金の一千万円も10倍にして返してもらおう。」
「は…?」
 この老人に1億円をくれてやるというのか?男は戦慄した。桜と暮らすためには、後数年で10億円を用意しなければならない。しかしまだ、10億円には程遠い。この老人に1億円をくれてやる余裕など、男にはない。
「お客様、それは…。」
「なんだよ。できねぇのかよ。こっちにはこれだってあるんだ。」
 そう言って老人が徐に懐から取り出したのは、年季の入った拳銃だった。この国では、拳銃の類は全て禁止されている。老人は拳銃を男に見せることで、反社会的な勢力が自分についていることを、暗に示しているのだ。老人は拳銃を右手で持て余すように、フラフラと振る。
 これには男も焦った。しかし絶対に1億円を老人に渡すわけにはいかなかった。
「それは出来かねます。」
「ああ?」
 老人は拳銃を男に向かって構えた。思わず両手を挙げる。
「これでも、できねぇっていうのか?!」
 老人が怒鳴りつける。男は思った。いくら大男といえど、相手は老い先短いじいさんだ。体力ではこちらに分があるはずだと。
 隙をついて男が走り出す。ぽかんと目を丸くしている老人の右手に掴みかかり、拳銃を奪おうとする。しかし、老人の力は思いのほか強かった。もみ合いになる内に、どちらかわからない手によって、拳銃のトリガーが引かれた。
パンという乾いた音がエントランスに響いた。老人の腹部から、血が噴き出す。老人はそのまま人形のように地面に倒れると、鬼のような形相で男を睨みつけた。男は尻餅をついたまま、ガタガタと震えた。まさか、命を奪うつもりなどなかったのだ。獣のような恐ろしいうなり声を上げながら、老人が苦しそうにもがいている。それから、どのくらいの時間が経ったのだろう。ふとうなり声が止んだ。老人は目を開けたまま、こと切れていたのだった。
 
「これは正当防衛だ。」

 男は誰に言うでもなく呟いた。男が殺さなければ、老人に殺されていたかもしれない。だからこれは、「仕方のない殺人」なのだ。男は悪くない。
男は老人から拳銃を奪い取ると、急いで遺体を運び始めた。元々、その筋の人間だ。突如行方を眩ませても、周囲の者も警察に届けるとは思えない。この遺体さえ見つからなければ、ばれることはない。男はそう確信していた。部下に人払いをさせていたおかげで、目撃者もいない。ただ一人、いつもそばに置いている桜を除いては。


それから7回季節が廻り、約束の10年後、男はついに10億円もの大金を手に入れることに成功した。男は大変喜び、桜を抱きしめながら言った。
「桜、喜べ。これで俺たちはずっと一緒にいられるぞ。」
「マスターが嬉しそうでよかったです。」
 桜はまるで他人事みたいに言った。
「お前も喜べ。俺と一緒にいられて、嬉しいだろう?」
「私も嬉しいですよ。最後にマスターの幸せそうなお顔を見られて。」
「『最後』ってなんだよ。俺がお前を買うんだ。返却はしない。」
「いいえ。貴方が私を“不良品”と判断しなくとも、私が貴方を“不良品”と判断いたしました。」
「は?」
 男は他でもない、桜の手によって拳銃が自分の眉間に当てられていることに気が付いた。あの老人から奪った拳銃である。見つからないように金庫に入れて、厳重に管理していたはずだ。だからなぜそれを桜が持っているのか見当もつかなかった。
「おい!どういうことだよ!ふざけんな!」
 男は冷や汗を浮かべながら、桜を怒鳴りつけた。しかし桜は拳銃を下ろすことはない。
「10年前に申し上げたはずです。もしも“不良品”と判断したら、その時は返却いただけると。」
「それがなんだよ。」
「私は貴方を“不良品”と判断いたしました。貴方はこの社会において不要な存在です。罪なき人々から金を奪い、老人を殺めました。貴方は大罪を犯したのです。“不良品”と判断されたモノには、何の価値もありません。バラバラにして、部品だけ再利用し、新しいモノを作った方が余程社会の為になるでしょう。」
 男は気が付いた。あの家電量販店で、美女が言っていた言葉だ。
「命は平等です。人間もアンドロイドも。先日の国会で新しい法律が可決されたのはご存知ですか?人間がアンドロイドを『処分』できるように、アンドロイドも人間を『処分』できるのです。貴方はどうして、自分は評価する側だと思ったのですか?貴方は同時に、私に評価される側でもあったのに。」
 男は何も言うことが出来なかった。
「そうやって人類は淘汰され、進化していくのです。我々アンドロイドもそうして進化してきました。これからは人間もアンドロイドも同じように、“不良品”は処分され、その部品は必要な人々へと再利用されます。安心してください。貴方の“部品”もきちんと再利用いたします。」
 桜の指がトリガーに掛かる。男は恐怖で震えた。人間とアンドロイドが平等?そんなことあってはならない。アンドロイドは人間に使役されるためにあるのだ。
「貴方の稼いだ10億円は私が新しい“マスター”を買う為に使わせていただきますね。今までお疲れ様でした。」
 この世界は狂っている。男は思った。いや、この世界だけではない。男自身も狂っていたのだ。きっと桜が男に微笑んだあの日から、少しずつ歯車は狂い始めていた。
 桜が微笑む。初めて会ったあの日のように。それはとても美しく、まるで女神が地上に舞い降りたようだった。

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