「依存先を増やす、が自立への鍵」って本当にそうだと実感!
このNoteのタイトルは「自立は、依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎先生の下記記事中の言葉です。
この記事を読んだ当初「なるほどな!」と思いながらも、「依存先を増やす」ってことがあまり実感はできてなかったんだよね。
今日は、そんな私が「やっぱりそうだったんだ!」を実感するまでのお話し。
息子と私は、二人きりでアメリカに移住してきました。
自閉症の人には「見通しが持てない事に不安」になったり、「予定と違う事が起こる事に恐怖を覚える」という事があり、息子もその特性を強く持っていました。
息子は毎日学校へ。そして放課後は学校に併設された学童に通っていました。私はその間は、大学の授業です。
お迎えは毎日4時でした。
でもたまに、授業が延長になったり、道が混んでいたりして、4時ギリギリになることも。
学童の先生によると、息子のカウントダウンは「3時50分」から始まってたそうです。時計とにらめっこです。
で、4時が近づくにつれて「もうママは死んだのかもしれない。うわぁぁぁぁぁ!!!」となるのが恒例でした…。
学童の時間っていうのは支援教育の範囲外だったんだけど、これは由々しき問題だという事で支援級の担任の先生を交えて話し合いの場が持たれました。
その頃には、色々な事で著しい成長を遂げていた息子。でもなぜかこの「私と離れる事への恐怖心」の問題だけが足踏み状態…。
学童の先生からは「わざと遅れてくるようにして、”4時じゃないこともある”の経験を増やしてフレキシブルに対応できるようにすれば?」と提案があったんだけど、それには私は断固として反対したんだよね。
「チャビと私は、二人っきりで日本から越してきた。ここには頼りになるおじいちゃん&おばあちゃんも、親戚も誰もいない。チャビにとって私は唯一の命綱だから、そんなチャビをわざと遅れてきて試す事はできない。チャビは、自閉症の特性の範囲を超えて、私を失う恐怖を異国の地で持っている」と。
それをきいていた支援級の担任の先生が口を開いた。「ごめんね。チャビとチャビ母の事情は十分承知してたつもりだったんだけど、それはチャビには恐怖でしかないって今はじめて気づいた。これからは、事あるごとにチャビを私の家に連れていって我が家になじんでもらう。で、電話番号と住所を教えて、万が一ママに何かがあった時は、タクシーなりなんなり使って私の家に来れるようにする。これは、あなたと私がママ友としてよ。決して先生としてじゃない」と。(その先生の息子さんとチャビはクラスメイトだったんだよね)
それから実際に、公衆電話の掛け方から、タクシーの呼び方から、色んな事を教えてくれ、しょっちゅう家に招いてくれた支援級の先生。
そこがチャビにとって最初の「依存先」になったんだよね。そしてチャビは、私から少し自立できるようになった。4時のお迎えに間に合わなくても大丈夫になった。
それからというもの、そういう事情を知った人たちが、同じような事を申し出て「依存先」になってくれたんだよね。
今では、何人ものカリスマティックアダルトや友達、友達の親御さん、近所の人達などなど「依存先」を自分で開拓していっている息子。
それと並行して、息子の「自立」は着々と進んで行ってるんだよね。
こんな風に、「自立は、依存先を増やすこと」っていう事がどういう事かっていうのを、息子と息子の周りの人達が私に教えてくれたんだよね。
色んな人に支えられて今があることに、感謝。
たくさんの方々に読んでいただいたり、支援方法を参考にしてもらえたらと思い記事を無料公開していますが、 今までもこれからも勉強を続ける私の為に「投げ銭」という形でご支援いただければすごく励みになります。 よろしくお願いします。