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「親の愛情不足」「もっとかまってあげれば」っていう言葉は、自閉症の子の親を苦しめるだけって知ってほしいな

自閉症の診断は子供が診察室に入った時から始まってるって聞いた事があるんだよね。自閉症のある子は、人より「物」に関心を示す傾向が強くて、医師そっちのけで部屋にある物にまず興味を示すんだよね。

息子もそうだった。
診察室に入るや否や、座ってこっちをみて挨拶しているドクターそっちのけで部屋にあるものを物色し始めたんだよね。

親戚や友達の家に行った時もそうだった。そして息子の話す幼い頃行った友達や親戚の家の話は「そこに何があったか」であって「そこで誰と何をしたか」ではないんだよね。つい最近、子供の頃お世話になってた小児科の話しになって、先生のことは全く覚えてないのに「待合室にどんな絵が飾ってあった」「診察室の椅子はどんなだった」をはっきり覚えている息子。その記憶の中に、「人」は出てこないんだよね。親だって例外じゃない…。

こんな「人」よりも「物」に関心を強く示すエピソードはまだまだあるんだよね。

例えば「幼児期にテレビの見せ過ぎで自閉症になる」っていう説があったりしたけど、これはもちろん誤解なんだけど、でも実際に「テレビに過度に夢中になれる」というのは自閉症の子にはよくきくエピソードなんだよね。

これってね、人との関わりを求めるより物との関わりを求める自閉症の子だからテレビに過度に夢中になれるんだよね。逆に自閉症ではない子は、テレビの他に誰かと関わって遊ぶっていう選択があるから、それほど夢中にはなれない。

幼い頃、録画やDVDのある場面を何度も何度も繰り返し観るのが好きだった息子。今でもその事は鮮明に覚えてるらしい。これもやっぱり他の人と関わるよりそっちの方が心地よかったらしいから。社会性の発達が遅れる自閉症の子にとって日々変化のある他者との関わりより「同じ事」が安心材料なんだよね。

だからね、自閉症のある子の親って、「何かして一緒に遊ぶ」というよりも「何かに夢中になってる我が子を見守る」というのが日常っていうケースは多いんだよね。

こんな風にね、人より物に関心を示す自閉症の子とお母さんが一緒に過ごしてる姿ってね、障害のない子とお母さんが一緒に何かをして楽しんだりしている光景とは全然違うから誤解を受けやすいんだよね。

「親の愛情が足りてないんじゃない?」
「もっと一緒に遊んであげたら?」
「もっとかまってあげたら?」
ってね。

こんな風にね、昔の「冷蔵庫マザー説」に始まって今でも自閉症の原因を「親との関わりが少なく愛着が育まれなかったかったから」とか言う人がいるんだけど、それは親子を追い詰める言葉でしかないんだよね。

他にもね、物への関心が強いだけじゃなく感覚過敏のある自閉症の子の場合、てのひらの感覚過敏のせいで手をつなぐのを拒否したり、抱きしめられるのがいやで逃げ出したり、聴覚に過敏のある子は、家族の会話中に耳をふさぎだしたり…。

世間一般の人が抱いている「愛情」を親が掛けたくても、自閉症の子にとってそういう関わりを持つ事は苦痛であるケースが多いんだよね。

そして、我が子と関わりたいと願う親はそれを好まない子を目の前にするしかない現実に苦しんでるんだよね。

だからね「愛情不足」って責めるのは、せめてやめてほしいな、こんな事情があるんだよ、ってたくさんの人に知ってほしいなって思って書いたのが、今日のnoteです。

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