【読書】 私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか
出版情報
タイトル:私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか
著者:ジェイソン・モーガン
出版社 : 方丈社 (2024/7/24)
単行本(ソフトカバー) : 320ページ
日本は青い目のサムライを見出した!
脅威の150万再生!!
それまでも十分親日派として知らせてきたジェイソン・モーガン。彼は現在、千葉にある麗澤大学の歴史学の教授である。学生時代に来日し、紆余曲折あり、日本の大学に奉職している。著作もたくさん。この記事の読者であれば手に取った人も多いことと思う。
その彼が令和元年(2019)8月15日に行った、靖国神社での短いスピーチ(YouTube動画)。多くの人の心を打ったのであろう、現在150万回も再生されている。いわゆる「バズった」のだ。そしてこのスピーチをもとに書き上げられたのが本書である。
時間・場所は違えども、同じ敵=グローバリストと戦った同士であるという信念
モーガンの祖父は大東亜戦争で日本軍と戦った米海軍の通信兵であった。そして特攻を目撃した。だが日本を憎むことはなかった。むしろ「敵ながら天晴れだ」と子どもだったモーガン少年に語った。祖父は日本を尊敬していた。そしてさらに時が経って「我々はルーズベルト政権に騙された!我々は洗脳されていた!」「騙されて怒っている」「戦う必要はなかった!」と言っていた。モーガンは祖父との思い出を語る。
本の虫だったモーガン少年は成長し、来日し日本が気に入った。やがて帰国し米国の大学に入り、中国にも留学し、再来日する。歴史という分野で学びを深める中で、気がついていく。
「自分の故郷=米国南部が南北戦争で戦っていた相手と日本の英霊たちが大東亜戦争で戦っていた相手は実は同じだったのではないか?」と。今「グローバリスト」と呼んでいるものたちだったのではないか?と。
「英霊は戦犯ではない。英雄です」&青い目のサムライの歴史観
モーガンの先祖が戦った南北戦争と、英霊が戦った大東亜戦争。その共通の敵は、グローバリズム=リベラリズム(=自由主義)であり、さらに言えば進歩史観であり、啓蒙主義、近代化、植民地支配、(文化)マルクス主義、などなどである、という。
南北戦争?奴隷解放の戦いだったんじゃないの?啓蒙思想?みんなが知識を持てるようになり、いいものだったんじゃないの?近代化?みんなが豊かになって、よかったんじゃないの?
誰もが普通に持つ疑問に丁寧に答えつつ、
英霊がなぜ英雄なのか?
を教えてくれる。戦後日本人が持ち得なかった視点と歴史観を、外国人だからこそ、米南部人だからこそ、持ち得て、本書を書き得た…。そう思わせてくれる。毎回言ってしまうのだが💦、日本人なら、誰にでも読んで欲しい良書である。(そういう本との出会いが多いことに感謝します)。
本書のもくじ
モーガン自身による各章の要約は「第1章は、リベラル寄りの青年だった自分が日本に出会い、アメリカや世界の本当の姿を知っていく自分自身の精神史」「第2章は大日本帝国と英霊たちが戦った敵の正体、グローバリズム。それがさらに冷酷さと悪辣さを増し世界を破壊しつつあること」「第3章はグローバリストたちがなぜかくも執拗に靖国神社を憎み、恐れ、攻撃し続けるのか、また「英霊たちが命をかけて戦うことで世界の植民地を解放した」という人類史上でも絶大な意義あることを成したことが評価されている。日本人に「自国の歴史を知ることで、大いに誇りを持ってほしい」こと」「第4章は日本と本来あるべき米国を乗っ取っている真の敵=ワシントンDCの支配構造と、その下僕である日本の新米・拝米保守。この支配構造から脱却・独立するために共に戦おうという呼びかけ」である(さらに私が要約した)。
以下では私にとって新しかったことを中心に紹介と感想を述べていく。以下はネタバレを含むので、離脱を希望の方は離脱してください。あるいはご興味のあるところに下記のもくじを使って、飛んでください。
米国南部人にとっての南北戦争
黒人奴隷解放というプロパガンダ
モーガンは「黒人奴隷解放というプロパガンダ」という言い方はしていない。「南部の一部の兵士たちにとって、それは奴隷制度を維持するためでもあったことは、残念ながら真実であり、胸を張って語れることではないと認めざるを得ません」p71。ただ北軍がどれほど無慈悲に一般市民を虐殺したかについては下記のように、
そして、
と述べている。これはのちの東京大空襲や、広島・長崎への原爆投下、さらにベトナムにおける枯葉剤などの壊滅的な攻撃につながっているという。逆らうものには、容赦しないのである。
世界史の窓という世界史の参考書的なサイトには、
とある。
南北戦争の南軍と北軍の目的の違いについて、下記のように述べている。
詳しくは『ふたつのアメリカ史』を読まなければわからないのだが、『黒人奴隷解放』という目的は北軍のものの見方、あるいはそのように見せかけたい目的であり、南部にはまた別のものの見方がある、ということのようなのだ。そしてモーガンは北軍はすなわちワシントンDCであり、グローバリストであり、リベラリストであると言っている。
モーガンは先輩である楊海英氏ほかの言葉から「アメリカ南部と連邦政府の関係は、中華人民共和国に乗っ取られたモンゴルと同じ」p54という気づきを得たという。南部人としてのアイデンティティを取り戻していった。
カトリック信者が靖国神社で頭を垂れる理由
モーガンは敬虔なカトリック教徒である。それは幼い頃から現在まで、変わらない。その彼が神社という異国の宗教施設でご祭神である英霊に頭を垂れる。どういうこと?不思議に思う人がいてもおかしくない。モーガン自身もそのことに言及している。
それは日本人でもそうかも。神社を詣でるときにありがちな、ちょっと我欲強めの神様へのお願い事を靖国神社でしようという人は少ないかも。それよりやっぱり、「安らかにお眠りください」とか「こんないいことがありました。みなさんが日本を守ってくださったおかげです」とか。「いつも見守ってくださっていてありがとうございます」とか。「みなさんが守ってくださった、平和で豊かな日本を、さらに次世代へと引き継ぐことができますように」。そういう感謝や祈りや誓いの言葉になるんじゃないかな?
モーガンは続ける。
つまり、英霊は先輩であり、仲間であり、道を示してくださっている先達だ、とモーガンは言っているのである。
近代主義・啓蒙主義とグローバリズム
近代主義も啓蒙主義も、そんなにヘンだったり、イヤだったりするものだろうか?
多くの人が疑問に思うだろう。
近代は戦前、すでに行き詰まっていた?
だが、戦前、日本では『近代の超克』という座談会が文芸誌上で開かれるほど、「近代はすでに行き詰まっているのではないか?」という共通認識があった。戦後、その座談会に参加していた多くの文壇人や学者は公職追放の憂き目に遭い、思想的な発展は潰えてしまった(記事【京都学派】浜崎洋介&茂木誠対談【近代の超克】 。その中では民主主義・資本主義・自由主義(=リベラリズム)を近代の特徴としている)。
近代は人間性の否定から始まった
モーガンはいう。
そして啓蒙主義は、知識のない暗い状態(=蒙)から、知識のある状態へ啓く=教え導くこと。として「良いイメージを持っている人が大半だと思う」が、
うーん。だいぶ激しい言葉だけど…。私なりの理解では、「啓蒙主義」は進歩主義、つまり進歩するのがいいことだ、進歩するとはこういう方向だ、という考え方と親和性がいい、いや進歩主義そのものだ。そして進歩主義の目指す方向性は「普遍性」があるとされる西欧文化だ。こういう方向性や考え方そのものが、もっと幅広い可能性のある人間性を否定してしまっているのではないか?そして、啓蒙主義や近代の名においてなされたことは、残酷なことが多い、という。人権や平和の名の下になされたことも。結局は白人至上主義であった。美しい理念のもとでなされたことをはっきり見たほうがいいのでは、と(それには広島・長崎の原爆投下や東京大空襲やベトナムの枯葉剤作戦などが含まれる)(私が要約するとだいぶ荒い議論になってしまうが、もちろん著者は丁寧な議論・説明を重ねている)。
英霊は何と戦ったのか?
一方では、英霊がなしたことは、何だろう?
人を憎むのではなく、愛する人のために戦うこと。アジアを搾取するのでなく、解放すること。人間性を取り戻すために戦ったのだ、と。モーガンはいう。
これは特攻は人間性を奪うものだった、という言説に真っ向から対立する。私にはこの言説をすぐには否定できない。若い命を奪ったことに違いないからだ。だけれど、だからこそ、「近代主義者から世界で最も嫌われている場所は、もしかしたら靖国神社」なのかもしれないとも思う。個人を超えたものを体現している。じゃあ、特攻に散った英霊たちが愚かだったのか、と言われれば、「断じて違う」。ご自身の家族や日本という国を守るという強い志のもとに亡くなったのだ、と。
つまり私はアンビバレントでもあるのだ。拙速にどちらかに結論づけるより、今はアンビバレントのままでいようと思う。
英霊がグローバリストたちと戦ったことは、そうなのだろう。だから日本人に容赦なかった。英霊が「今だけ金だけ自分だけ」というグローバリストたちの価値観とは真逆の存在であることは確かである。
モーガンは学者らしく、いろいろな角度から説明を試みている。例えばルースベネディクトの『菊と刀』が結局はひどく人種差別的な作戦に寄与したこと。マーガレット・ミードの言説によって日本的家族の良さが破壊されたことなど。本書の豊かな知的、心情的展開を直に楽しんでいただければ、と思う。
大日本帝国の公平な評価
よく言われることではあるが、モーガンも大日本帝国の支配下の国々へのインフラ投資のことに言及している。
こういう美しい評判を、レプリコンワクチン輸出などで貶めてもらいたくない、と思うのは私だけではないだろう。
さらに下記の国々の独立には、「英霊たちが命を懸けて「植民地主義と戦い、歴史を変えた」」p210ことが大きく影響しているという。
一方で、大日本帝国を公平に評価できない圧力にも、著者は言及している。例えば、ラムザイヤー教授の『慰安婦論文』。その概要の執筆依頼をしたのはなんと著者だという。それから産経新聞に翻訳が掲載され、あれよあれよというまに大炎上することになった(私も読書感想記事を書いた)。
そのほか米学術界に蔓延している唯物史観、左翼的なものの見方など、病めるアメリカの現状も伝えてくれている。
親米・拝米保守という下僕と真に連帯すべき相手
YouTubeの動画などで、著者が親米保守メディアのことを『拝米タイムス』などと揶揄する発言をしているのを聞いた人は多いと思う。
著者は2022年8月に台湾有事に関するシミュレーションイベントにオブザーバー参加し、大変ショックを受けた。それは日本の現職政治家や元自衛隊幹部が日本政府の中核を再現する形で行われ、いくつかのシナリオに基づいて模擬訓練を行うというものだった。だが、モーガンが目にしたのは、
つまり日本は独立国家ではない、と。日本を守る最終決定権はワシントン=グローバリストが握っている、と。その現場を目撃して著者はショックを受けたのだ。
拝米保守の人々がいう「力による現状変更は許さない」という言葉。著者によれば、この言葉は日本の現状が米軍による攻撃と駐留から始まっていること、攻撃には一般市民の虐殺が含まれていたこと、それを隠蔽し、「パックス・アメリカーナ」という政治的神話を前提に無自覚に唱えられている、と警鐘を鳴らしているp262-p307。
その上で、
と、著者はいう。うーん。さすが青い目のサムライだ。こうなれば、どんなにいいだろう?そう思う人は、案外多いのでは?と私は思うのだが、みなさんはどうだろう?
あるいは、今すぐそう思えなくてもいい。頭の体操として、思考実験として、こういうことを考えておく意義は大きいように思う。
みなさんの読書の一助になれば、幸いです。
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
本書に関するジェイソン・モーガンの講演会
ジェイソン・モーガンのそのほかの著作
ふたつのアメリカ史
同じ年度に3ヶ月違いで出版されている。ページ数も同じ。どういう違いがあるのかわからないが、念のため。
慰安婦性奴隷説を ラムザイヤー教授が完全論破
これは良いと著者が本書の中でほめていた本
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